東京拘置所で男性刑務官から性被害を受けた被害者の男性が国家賠償を求めた裁判で11月17日、東京地裁で和解が成立した。
国側は解決金60万円の支払いに応じるとともに、異例の条件として全職員を対象とした人権研修の実施と再発防止策の組織体制づくりを約束。
同日、会見を開いた弁護団は「勝訴判決以上の価値がある」と評価した。

「食器口」から陰部触り続ける

「俺じゃ興奮しないんだね」
東京拘置所の独房前で、刑務官はそう言い残して去っていったという。被害にあったのは当時32歳の男性被収容者だった。
事件が起きたのは2021年12月28日の夜。就寝準備の時間帯、夜勤の男性刑務官が、睡眠導入剤を交付するため男性の居室前を訪れた。
刑務官は「さっきやってた?」「いつもどこでやってるの?」「大きいの?」などと性的な質問を執拗に繰り返し、やがて「陰茎を見せてほしい」と要求したという。
男性は拒めないと感じ、やむなくズボンと下着を膝まで下げ、独房扉の「食器口」と呼ばれる小窓に陰部を近づけた。すると刑務官は小窓から手を差し入れ、陰茎を握って前後に動かしたり、陰嚢を揉んだり、指で弾くように触り続けたりした。
最初は数十秒、その後「もう一回見せて」と再度命じ、約5分間にわたり性的なハラスメントを加えたとされる。
しかし、男性は勃起することはなく、それを見た刑務官は立ち去った。ただ、年末で職員も少ない中、男性は「(刑務官が)また来るんじゃないか」という恐怖を抱えたまま過ごしたという。

「被害届はやめてくれ」

翌12月29日、男性は別の職員に性被害を報告し、その職員は上司に伝えた。しかし東京拘置所として目に見える対応は取られず、加害刑務官は勤務を続けた。男性には、「もう来させない」といった説明もないまま、年末年始を過ごさせたという。

2022年1月3日、男性が「被害届を出したい」「弁護人に相談したい」と拘置所職員に伝えると、職員は「ちょっと待ってくれ。被害届はできればやめてくれ」と制止。
男性は翌4日、弁護人あてに事件を報告する手紙を送ったが、このタイミングになってようやく、東京拘置所は加害刑務官を担当業務から外した。
しかし、その事実は男性本人には告げられず、「(加害者が)いつまた部屋の前に現れるのか分からない」と不安は続いた。
その後、加害刑務官は懲戒処分を受けて辞職。特別公務員暴行陵虐罪などで告訴され、刑事事件では、2022年11月、元刑務官に懲役1年6か月・執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。

再現実験で「ズボンを下ろせ」

ただ、問題は、最初の性加害だけでは終わらなかった。
加害刑務官が起訴された後、東京拘置所は事件の状況確認を名目に「再現実験」を実施したが、その方法が被害者にさらなる苦痛を与えたと指摘されている。
拘置所側は男性本人に棒を持たせ、被害時と同じように食器口の前に立たせたうえで、「ズボンを下ろせ」と指示。男性が「全部ですか」と聞くと、「ズボンだけでいい」と答えたものの、下着姿の状態を写真撮影されるなど、性被害の再現を本人にさせる形になったという。
代役を立てるなどの配慮はなく、警察が性犯罪捜査で厳に避けるべきとする「二次被害」の典型例だった。
男性側は、こうした拘置所の対応も含めて国の責任を問うため、2023年8月30日、国に対し計220万円の支払を求める国家賠償請求訴訟を東京地裁に提起した。これに先立ち、加害元刑務官個人との間では100万円の示談が成立しており、訴訟では、国の責任と再発防止策が主な争点となった。

国が「遺憾」表明、人権研修も約束

弁護団によると、和解条項で国は解決金として60万円の支払義務を認めたうえで、東京拘置所長が本件行為について「遺憾の意を表し、再発防止に努める」と明記した。
弁護団の高遠あゆ子弁護士は「国家賠償請求訴訟で国が謝罪することはあまりないが、それでも遺憾の意を表したというのは大きな意味がある」と述べる。
さらに注目されるのは、その先に続く条項だ。
東京拘置所長は、外部有識者を講師として、全職員を対象に人権研修を実施することを約束。
職員による被収容者への性犯罪の再発防止を図るとともに、性犯罪が発生した場合の被害者対応や上司への報告を適切に行えるような「組織体制づくり」に努めるとした。
さらに、被害者の心情に配慮し、二次被害を防止する適正な捜査方法を学ぶ研修を行うことも盛り込まれた。研修内容としては、刑務官と被収容者の関係が「圧倒的な支配・服従関係」に陥り得ることを自覚し、相手の立場に立って考えることを習得させること、性犯罪被害者特有の問題を理解し、二次被害防止の対応策を身につけることなどが明記されている。
こうした文言の一部は、かつて行刑改革会議(※)が法務大臣に提出した提言の表現をほぼそのまま引用したものだという。
※日本の刑務所のあり方を改革することを目指した有識者会議(法務大臣の諮問機関)。2003年(平成15年)に提言を出した。
海渡雄一弁護士は「勝訴判決を得たとしても、ここまで具体的な再発防止策を引き出すのは難しい。研修の中身にまで踏み込んだ和解は、勝訴判決以上の価値がある」と評価した。

「自分と同じ思いをする人が二度と出ないように」

男性は現在、別の刑事施設で服役中のため会見には出席せず、代理人がメッセージを代読した。

「刑事施設のことやこういった性被害は、皆さんには関係のない世界の話かもしれません。私自身も、刑事施設に入ることはあっても、まさか性被害者になるとは思ってもみませんでした。
指導する側の刑務官が、身近に1人でもこういう性犯罪をする人であれば、すべての職員にそういう面があるのではないかという恐怖を感じます。一方で、今回の件を通じて、そうではない刑務官も何人か知ることができました。それは確かな希望です」
また、男性は、出所後は「人として間違いをしてしまったとき、相手が誰でも頭を下げることができる自分でありたい」と語り、「自分と同じ思いをする人が二度と出ないように」という強い願いから、金銭よりも再発防止策を重視して訴訟に臨んだという。
高遠弁護士は「刑事施設の中で受刑者・被収容者が性被害に遭うこと自体、これまで十分に想定されてこなかった。だが現実には性被害や傷害などの事件が起きている」と指摘。
海渡弁護士も「東京拘置所という代表的な刑事施設の所長が、改善を約束してくれたことは嬉しいが、今回の和解をきっかけに、全国の刑事施設で同様の取り組みを実施してほしい」と訴えた。


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