東京都足立区梅島で24日、男性が運転する自動車が歩行者をはね、11人が死傷する事故が発生した。被疑者は事故の約2時間前に現場近くの自動車販売店から車両を盗み、パトカーに発見され追跡されていた。
被疑者は窃盗罪(刑法235条)の容疑で逮捕されたが、「盗んだわけではなく、車を試乗するためだった」と容疑を否認している。
今後、窃盗罪に加え、道路交通法のひき逃げの罪、自動車運転処罰法の危険運転致死傷罪での立件を視野に捜査が進められる見込みだが、現時点での逮捕の基礎となる被疑事実である窃盗罪について、「試乗するためだった」という弁明は、犯罪の成否に影響しうるか。
刑事事件・交通事故への対応が多い荒川香遥弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所代表)に聞いた。

窃盗罪の成立には「不法領得の意思」が必要

「試乗するためだった」というのは、自動車を一時的に使用して後で現場に戻すつもりだった、と言い換えることができる。
もし、被疑者が本当にそう思っていたとしたら、窃盗罪の立証は難しいのではないか。荒川弁護士は、たとえ一時的に使用する意思しかなかった場合でも、窃盗罪は成立し得ると説明する。
荒川弁護士:「窃盗罪が成立するには、故意、つまり他人が占有する財物を奪取することの認識だけでは足りず、それに加えて『不法領得の意思』があったことが必要とされます。
不法領得の意思は『①権利者を排除し、他人の物を自己の所有物として扱う意思(排除意思)』と、『②その経済的用法に従い利用・処分する意思(利用意思)』の2つからなります。」
このうち①排除意思が必要とされるのは、軽微な『利用妨害』(使用窃盗)を罰しないためです。また、②利用意思が必要とされるのは、器物損壊罪と区別するためです。
そして、①排除意思の有無は、行為後の客観的事情も考慮に入れて、推認されることになります」
単に時間の長短だけでなく、被害品の性質や、被害者の利用がどの程度妨げられるか等にも着目して判断されるという。
荒川弁護士:「自動車は価値が高いので、短時間の利用妨害でもそれ自体が大きな財産侵害であり、かつ、行動範囲が広いため被害者による取り戻しが困難になります。
したがって、判例も、自動車については、行為者にクルマを返す意思があったとしても窃盗罪の成立を認める傾向にあります(最高裁昭和55年(1980年)10月30日決定等)」
本件ではどうか。
荒川弁護士:「被疑者は『試乗のつもりだった』と述べていますが、『神奈川県の山の方へ行きたいと思っていた』と供述しているとのことであり、往復するだけでも数時間かかることから、試乗と称するには無理があります。

また、さらに、自動車販売店はその数時間のあいだ、被害車両の展示も販売も不可能になるのであり、被害者の利用が妨げられる程度も大きいといわざるを得ません。
したがって、①排除意思が認められます。また、②自動車を運転していた以上『②利用意思』も明らかに認められるので、不法領得の意思があるといえ、窃盗罪が成立します」

刑事責任能力も「認められる可能性が高い」

次に、報道によれば、警視庁は被疑者の「刑事責任能力」を調べているとされる。
刑法は、刑事責任能力について、「心神喪失者」の行為は「罰しない」、「心神耗弱者」の行為は「その刑を減軽する」と規定している(刑法39条)。
「心神喪失」「心神耗弱」とはどのようなものか。
荒川弁護士:「刑事責任能力は、『事理を弁識し、それをもとに行動を制御する能力』をいいます。
『心神喪失』はそのいずれかが欠けた状態、『心神耗弱』は著しく低下した状態をいいます。
なお、ややこしくて誤解されがちなのですが、刑事責任能力は人の属性ではなく、行為の属性です。
たとえば、本件でいえば『自動車の窃盗については刑事責任能力が認められるが、その後のひき逃げ行為については刑事責任能力が否定される』という可能性が、理論上はあり得るということです」
では、刑事責任能力の有無はどのように判断されることになるのか。
荒川弁護士:「伝統的な理解では、刑事責任能力が否定されるのは、本人にとって『他にとりうる適法な選択肢がなかった』という場合です。
本件では、なんらかの精神障害によって、『この自動車販売店のクルマを窃取する以外に選択肢がない』という精神状態に陥っていたのであれば、『心神喪失』ないしは『心神耗弱』と認められることになります。
しかし、現状の報道からは、そのような事情は見受けられないので、窃盗に関しては刑事責任能力が認められることになる可能性が高いと考えられます」
今回の一連の事件については不明な点が多い。
なぜ、被疑者は自動車を窃取したのか。また、そのことと約2時間後に被疑者が起こした死傷事故とはどのような関係があるのか。捜査の進展が待たれる。


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