浅草寺“真横”に「不法占拠」32店舗、約40年“黙認”も…なぜ、いま裁判に? 揉める“きっかけ”となった「元区長」鶴の一声
東京・浅草。浅草寺から南に向かって延びる仲見世通りを横切るようなかっこうで伝法院通りはある。
浅草寺の本坊、伝法院からこの名がついた。
ここに、長く不法占拠の状態で営業を続ける店舗が並んでいる。10月上旬、「2026年の夏をめどに立ち退きが決まっている」と報道されたようだが、関係者の話を拾うと、別の事実が見えてきた。(ライター・末並俊司)

すべての店舗が「不法占拠」というわけではない

伝法院通りは、浅草二丁目の交差点から浅草六区に続く五叉路までの300メートルほどの区道(台東区)だ。真ん中あたりで仲見世通りと交差する。浅草二丁目の交差点から歩くと、仲見世までは通りの両側に4、5階建てのビルが並んでいる。ビルの1階部分では、観光客相手の居酒屋、喫茶店、着物のレンタルショップなどが営業している。
そのまま西に向かって歩き、仲見世通りを超えると風景が少し変わる。向かって左側にはやはり、1階部分が商店の低層ビルが並ぶのだが、浅草寺の敷地に隣接する通りの右側は、平屋の商店が軒を連ねている。これらの多くが不法占拠状態なのだという。
ただし、ここに並ぶ平屋店舗の全てが不法なわけではない。仲見世通りにほど近い店舗の店主は次のように語る。
「新聞やテレビが“伝法院通りの不法占拠店舗”って報道するから、私たちまで不法なのかって思われちゃって迷惑してるんですよ。
こないだなんか、店の前を掃き掃除をしてたら、どこかのおじさんに“ちゃんと家賃を払え”って怒鳴られちゃいました。
うちは不法でもなんでもない。家賃はきちんと浅草寺さんに払っているし、商店会会費も毎月しっかり納めています」

街の風景に溶け込んだ不法占拠物件

少しわかりにくいが、問題となっているのは、間口が約2メートル、奥行き1.5メートルほどの店舗群。コンテナを並べたような作りの32店舗だ。地元に長く住む人はこんなふうに話す。
「あれはあれで街の風景だよね。店はちゃんと鉄筋だし、りっぱな看板をあげてるでしょ。そこに店舗と自宅の電話番号を記載している店もある。まぁ、かなり昔に建てられたものだから、あの電話番号に電話してもどこにもつながらないだろうけどね」
伝法院通りはいくつかの商店会に分かれている。不法占拠状態の32店舗は「浅草伝法院通り商栄会」を組織しており、地域の商店街を取り上げたウェブサイトでも紹介されている。
実際にここで商売をする人たちに話を聞いたが、「裁判中だから詳しいことは話せない」など、口が重い。取りまとめ役となっている人物は「日経新聞が取材に来て、そこでいろいろ話した。でも今は後悔している」と表情を曇らせた。

「裁判が終わったら書いていいから、と言ったんだけど、それを守ってくれなかった。だから今はもう話したくないんだ。日経は来年の夏を目安に立ち退きが決定しているってふうな書きぶりだったけど、それについてもまだ正式に決まっているわけではないと認識してます」

もとは観音様(浅草寺)の差配だった

別の商店会に所属する、ある商店主は「もとは観音様の差配だったんですよ」と話す。地元の古い人は浅草寺のことを「観音様」と呼ぶ。
「第二次世界大戦では東京中が空襲されたでしょ。大勢の人があちこちで焼け出されたり、火に巻かれて亡くなったりした。身元のわからないご遺体が、観音様の近くにあった瓢箪(ひょうたん)池(今は埋め立てられている)に置き去りにされたんだそうですよ。
それを地元の人たちが片付けて、街の美化に貢献したんだね。中には自分の店も焼けちゃった人もいたんだ。そんな人たちのために、観音様が境内近くの土地に、ひとりに1軒ずつ店を出していいと許可をくれた。そんなふうに聞いてますね」
伝法院通りの不法占拠問題でキーパーソンとなったのは、当時の台東区長・内山栄一氏だった。同じ商店主が続ける。
「その後、1977年に浅草公会堂ができたのをきっかけに、今の場所にいくつかの店舗が移ってきた。
その時に当時の内山区長が“ここで商売をしていい、地代はいらない”という話をしたらしいんだ。ただし、この経緯を文書にしてなかったんだな。だから今でも揉めてるんですよ」(同上)
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浅草公会堂(撮影:2025年11月/末並俊司)

ことの経緯を台東区に問い合わせると、以下のような説明だった。
「内山元区長は2012年に亡くなりました。店舗側と内山氏のやり取りを示す書類が残っていないので、なんとも言えないところです。
ただ、道路などを営利活動に使う場合、自治体に“占用許可”を申請してもらうことになります。たとえばお祭りの縁日などで出店をやるときなどがそうですね。
伝法院通りの商栄会32店舗に関しては、そうした手続きがなされていません。区としてはそこだけ特別扱いはできないということです」

キーパーソンが亡くなってすぐの方向転換

内山元区長が亡くなった2年後の2014年に、台東区は問題となっている32店舗に対して説明会を開催し、そこから店舗撤去についての話し合いが持たれるようになった。それまで40年近くも黙認されてきたのに、突然の方向転換のように見える。
話し合いはまとまらず、双方が弁護士をたてることになった。そして2022年1月、台東区側から、店舗所有者に対して、建物撤収や土地明け渡しなどを求める訴訟が提起され、裁判が始まった。
問題となっている店舗のひとつで衣料品店を営む70代の男性は、少し迷惑そうな顔をしながら、自分の置かれた状況を言葉少なに語ってくれた。

「私は、ここで店を始めてからまだ5年くらいなんですよ。それ以前は、もうちょっと仲見世通りに近い場所で50年くらい商売をやっていたんです。今は地代の支払いはないけど、商店会の会費は払っていますよ」
一部では来年の夏には立ち退きが決まっていると報じられている。そこについてはどう感じているのかを問うてみたが「まだ裁判が終わってないから、どうなるんだろうね。こっちが知りたいよ」と言葉を濁した。
立ち退き料はもらえるのか? これも気になるところだ。ただ、この質問に対しても、
「そんなものは出ないよ、逆に撤去費とかはこちらの自腹さ。悪くすると不法占拠の罰金みたいなものも払わなきゃいけないかもしれない。それでもねぇ、生きてくためには仕事しないと」
とだけ、独り言のように語った。
確かに、台東区議会が訴え提起の前提として行った決議には「原告は、被告に対して、対象物件の収去及び本件土地の明渡し並びに本件土地の占用料相当額の支払を求めるため、訴訟を提起する」との文言が見える。
この「占用料相当額」とはいったいどれほどの金額になるのか。台東区の担当者は「店舗の規模や業種、占用期間によってさまざまですし、そもそも裁判中ですのでお答えは控えます」としか答えてくれない。

法律上、一定期間占有すると「取得時効」が適用されるケースもあるが…

土地の取得に関しては、「取得時効」という仕組みがある(民法162条)。他人の土地を一定期間、自分のものとして占有し続けると、その土地の所有権を得られる制度だ。
土地の相続や権利関係に詳しい荒川香遥弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所代表)に聞いた。
「確かにそうした制度はあるのですが、要件がかなり厳しい。法律上は、単に物理的に土地を使っているだけでなく、固定資産税の支払いなど、その土地の所有者でなければできないことを長い期間している必要があります。他人の土地であることを認識している状態では、何年経過しても取得時効は成立しません」
そして、そもそも本件の土地は区道であることから、「取得時効は適用されない可能性が極めて高い」(荒川弁護士)という。
「区道や広場など、公共の用途に供されている土地を『公物』と呼びますが、その取得時効を否定した裁判例が存在します。この裁判では、公物の時効取得を認めると、公共の利益を著しく害するために『公の目的に供されている公物については、その公用が廃止されない限り、時効によって所有権を取得することはできない』と判示されました。
『伝法院通り』の通路や店舗の前の土地は、不特定多数の通行の用に供されている、または公共的な利用が前提とされている土地であり、区の所有物です。よって、公物(行政財産または普通財産だが公用が残存)とみなされ、時効取得は認められません」(同上)

裁判で撤去を命じられた場合、費用は誰が負担するのか

本件において、裁判の結果、当該店舗の撤去が命じられた場合、撤去料は区と店舗のいずれが負担することになるのか。荒川弁護士は次の見解を示す。
「不法占拠しているのは店舗ですから、店舗が負担することになるでしょう。ただ、店舗が逃げてしまい行方が分からない場合や、そもそも不法占拠の店舗であり誰が権利者かわからない場合は、店舗から費用を回収できないので、実質的に区の負担となってしまいます」
本件裁判で、区は店舗に対して「土地の占用料相当額の支払」も求めている。
区は筆者の取材に対して「店舗の規模や業種、占用期間によってさまざまですし、そもそも裁判中ですのでお答えは控えます」と回答しているが、目安として、いくらくらいになると考えられるのか。荒川弁護士が続ける。
「区が求めているのは、不法占拠によって区が土地を利用できなかったことによる損害、すなわち不法行為に基づく損害賠償請求または不当利得返還請求としての『逸失利益』(賃料相当損害金)です。
具体的な金額は、土地の値段から出すこともありますが、基本的には、近隣の相場や、区の基準があれば、そうしたものに準拠して算出されることが一般的です」
観音様の差配から始まり、伝法院通りに落ち着いてから半世紀。戦後の浅草を支えた庶民の記憶でもあるように感じる。不法か、伝統か――。行政の論理と生活の現場がぶつかるとき、単純な白黒はつけがたい。
浅草寺“真横”に「不法占拠」32店舗、約40年“黙認”も…なぜ、いま裁判に? 揉める“きっかけ”となった「元区長」鶴の一声

観光客でにぎわう浅草寺(撮影:2025年11月/末並俊司)

■末並俊司
福岡県生まれ。93年日本大学芸術学部を卒業後、テレビ番組制作会社に所属。09年からライターとして活動開始。両親の自宅介護をきっかけに介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)修了。現在、『週刊ポスト』を中心として取材・執筆を行っている。


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