全国の児童相談所が対応した、2023年度の児童虐待相談件数は22万5509件にのぼり、前年より5%増となった(厚労省発表)。身体的虐待のほか、心理的虐待も増加している。

精神科医の片田珠美氏は、子どもを攻撃する親の多くが「自分は正しい」と思い込んでいることが厄介だと指摘する。善意のつもりで接しながらも、なぜ彼らは子どもに手をあげ、心を傷つける行為に至ってしまうのか――そのメカニズムを探る。
※ この記事は、片田珠美氏による『子どもを攻撃せずにはいられない親』(PHP新書)より一部抜粋・再構成しています。

子どもに「嫉妬と羨望」の刃を向ける親

親は子どもの成功や幸福を願い、我が子が幸せに包まれると自分のことのように喜ぶのが当たり前だと、一般には考えられている。だが、実際には我が子をうらやむ親が存在する。
イギリスの精神分析家、スティーブン・グロスは、そういう事例をいくつか紹介している(『人生に聴診器をあてる』)。
たとえば、ある母親は、自分の娘に買ってやったプラダのウールスーツのスカートを間違って洗濯機にほうりこんで、台なしにしてしまった。この母親が貧困のなかで育ったという事実を、グロスは指摘しており、我が子をうらやむ親の典型例として挙げている。
貧困のなかで育った親のなかには、自分が体験したような惨(みじ)めな思いを我が子にはさせまいとして、子どもが望むものは何でも買い与える親もいるが、この母親はそうではないのかもしれない。
フロイトがその炯眼(けいがん)で見抜いているように、「しくじり行為は二つの意図の干渉によって生じる心的行為である」(『精神分析学入門I』)。したがって、この母親がこんなうっかりミスをしたのは、一方ではプラダのスーツを着られる娘の幸福を喜びながらも、他方ではその幸福をうらやむ気持ち、そしてそういう幸福を享受できなかった自分自身の人生への怒りを抱いていたからだと考えられる。
もちろん、親のほうは、自分が我が子をうらやんでいるということを全然意識していない。たいてい、「そんなつもりは毛頭ありません」と否定する。
これは当然で、嫉妬や羨望のような陰湿な感情が自分の心の奥底に潜んでいることを誰だって認めたくない。だからこそ、嫉妬も羨望も、うっかり口をついて出たり、忠告を装って表れたりする。
たとえば、何かに熱中して調子づいている子どもを、「生意気」とか「ませている」とかいう言い方でへこませる父親がいる。自分の子どもは感謝の心を知らないと嘆きながら、「あなたはどんなに運がいいか知らないのよ」「私はこんなものもらったことないわ」などと、本音を漏らす母親もいる。
こういう親は、自分の子どもたちの「日々増してゆく肉体と精神の強靱さ、快活さ、幸福、物質的快楽」をうらやむ。いや、何よりも「子どもたちの潜在的な可能性に嫉妬する」(『人生に聴診器をあてる』)。
恐るべきことで、読者の方は耳を疑いたくなるはずだ。だが、この手の親が存在するのは事実であり、私自身も、30代の女性から、次のような話を聞いたことがある。
その女性は、母親から「早く結婚しなさい」と言われ続けていた。ところが、その女性が婚約者を母親に紹介するたびに、何やかやと難癖をつけられて結婚をつぶされたのだという。
この母親は、夫の浮気が原因で離婚してから、慰謝料も養育費ももらえず女手一つで娘を育ててきたらしい。そのため、娘が結婚したら自分は独りぼっちで取り残されてしまうという不安から、娘の結婚を邪魔するのかもしれない。

あるいは、娘を自分の思い通りにしたいという支配欲求を抱いていて、他人が家庭に入り込むのを阻止したいのかもしれない。だが、それだけではない。娘の幸福に対する嫉妬と羨望が心の奥底に渦巻いている可能性も十分考えられる。
もちろん、母親は全然意識していないだろう。あくまでも「娘を守るために」破談にしたのだと思い込んでいるはずだ。このように後ろめたさも罪悪感もみじんも覚えず、無自覚のまま我が子の人生を破壊していくところに、子どもを攻撃せずにはいられない親の怖さがある。

虐待親に共通する「自分は正しい」という信念

一番厄介なのは、子どもを攻撃する親の多くが、自分は正しいと思い込んでいることだ。当然、子どもを攻撃している自覚などない。
自分は正しいという信念は、たとえば、実の娘を虐待によって死なせ有罪となった「千葉・野田市小4虐待死事件」(2019年)の父親にも認められる。この父親は、警察の取り調べに「しつけで悪いとは思っていない」と供述したようだが、おそらく本音だろう。
死に至らしめるほどの暴力を「しつけ」と称するのは、理解に苦しむし、責任逃れのための詭弁(きべん)ではないかと勘繰りたくなる。
だが、虐待の加害者のなかには、「虐待を愛情の証ととらえ、『愛してなかったら、あんなことはしない』などと言う者も少なくない」(『DVにさらされる子どもたち――加害者としての親が家族機能に及ぼす影響』)。
この父親も、「虐待は愛の証」という価値観の持ち主だったのではないか。
こういうタイプは、子どもを虐待する傾向が強い。
「彼らは伝統的な価値観をもち出して虐待的な子育てを正当化することが多く、『むちを惜しめば、子どもはだめになる』という諺を口にしたり、『子どもを放任している親みたいになれと言うのか』などと言ったりする」(同書)。
このような愛情と虐待の混同は、虐待の加害者にしばしば認められ、自己正当化のために使われる。自己正当化によって、自分は正しいと思い込んでいるからこそ、あれだけ激しい暴力を子どもに加えるのだろうが、この自己正当化は、子どもを攻撃する親のほとんどに共通する特徴である。
子どもの心身をどれほど傷つけても、あくまでも子どものためにやっていると親は思い込んでいる。子どもを罵倒するのも、暴力を振るうのも、子どもが悪いことをしたので、その罰を与えて子どもを正しく導くためだと思っている。そういう親は、自分が悪かったとも、間違っていたとも認めない。
もちろん、決して謝らない。あくまでも子どものためを思ってやったことだと確信しているので、感謝されるのが筋で、謝る必要などないと思っている。
子どものほうは「親の身勝手な願望を満たすために、自分の人生をねじ曲げられたのだから、親に一言謝ってほしい」と思っていても、親のほうは「子どものためにやったことなのに、親切がわからないのか」となる。

“天才漫画家”が両親と絶交した理由

自分は正しいという信念を持つ親と子どもの間にズレが生じることは少なくない。そういうズレを漫画家の萩尾望都(もと)氏も経験したようで、『一瞬と永遠と』のなかで吐露している。

萩尾氏は小学校から高校まで一貫して漫画を描いていたが、両親は反対だったらしい。
そのため、萩尾氏の心は、「『好きなことをやって何がいけないの、マンガぐらい黙って描かせてよ、不良になってる理由(わけ)じゃなし』という怒りと、『ご両親様のおっしゃる通りでございます。禁じられているマンガを描くなんて、私は何と悪い娘でございましょう。申し訳ございません』という真剣な罪悪感との間をシーソーのように上下していた」(同書)。
それでも、「どうせ何を話しても理解してもらえないと思い、自分の意見を言うのを避けた」(同書)ため、思春期に両親とこれといった大ゲンカをすることはなかった。結局、事後承諾のような形で漫画家になったのだが、そのしっぺ返しが20代後半から30にかけてやってきたという。
萩尾氏は節税のために会社をつくり、父親に社長になってもらった。すると、両親が仕事に口を出してきたので、萩尾氏が「私の仕事に口を出さないでくれ」と言ったところ、次のようなことが起こった。
「両親は、親の言うことをないがしろにする娘に不満だ。このトラブルのもとはマンガだから、私にマンガ家を止めるようにと要請してきた。もちろん、両親は大マジメである。私は切れた。
会社は解散した。私は一方的に両親と絶交した」(同書)。
『ポーの一族』をはじめとして数々の傑作を世に送り出した萩尾氏は、正真正銘の天才だと私は思う。私に同意する読者の方も多いはずだが、その萩尾氏に向かって「マンガ家を止めるように」と要請した両親は、一体何を考えていたのかと首を傾げたくなる。
もっとも、「両親は大マジメ」だったのだろう。自分は正しいと思い込んでいる親からすれば当然の話である。その辺りのことは萩尾氏もわかっていたのか、次のように述べている。
「『我々は正しい』と思っている美しい親にとって、娘が心をいれかえて美しい娘になってくれるのだけが願いであって、自分たちのやることにはべつに問題はないのである」(同書)。
その通りだ。子どもを攻撃する親の多くが「自分は正しい」ので、「自分のやることにはべつに問題はない」と思っている。こういう信念を持つ親は、自分の価値観を決して変えようとしない。そして、自分が正しいと信じる価値観にもとづいて、子どもに「ああしなさい、こうしなさい」と言い続ける。

私に医学部への進学を強いた両親もそうで、私を医学部に進学させたのは正しい選択だったとずっと思い込んでいた。父が亡くなった後、80歳を過ぎて田舎で一人暮らしをしていた母はずっと「田舎に帰って開業しなさい」と言い続けた。
それが私の幸福のためだと信じていたのかもしれないが、よけいなお世話だと思った。ズレは永遠に埋まらないまま、母は数年前に亡くなった。


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