全国の児童相談所が対応した、2023年度の子どもの非行やしつけ、不登校などに関する相談(非行相談・育成相談)は約5万5000件だった。(厚労省発表)
家庭では、親から子への虐待に限らず、成人した子のひきこもりや子から親への暴力など、さまざまな「問題」が起こりうる。
こうした問題は、家庭という場が持つ閉鎖性ゆえに、外部からは見えにくい。
しかし、精神科医の片田珠美氏は、親が自分たちだけで問題に対処しようとすることは危うさも伴うという。子を「自分の所有物」だと考え、過剰に責任を背負った結果、悲劇的な結末を迎えたケースもある。
※ この記事は、片田珠美氏による『子どもを攻撃せずにはいられない親』(PHP新書)より一部抜粋・再構成しています。

元事務次官の子殺し

2019年6月、東京都練馬区の自宅で、農林水産省の元事務次官の70代の父親が、無職で長年ひきこもり気味の生活を送っていた40代の長男を殺害した事件は衝撃的だった。
この父親は、長男から日常的に家庭内暴力を受けていたらしく、「身の危険を感じた」と話している。また、同年5月末に川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れ、「長男も人に危害を加えるかもしれないと不安に思った」「迷惑をかけたくないと思った」などとも供述しているという。
事件当日は自宅に隣接する小学校で運動会が行われており、「(音が)うるせぇな。ぶっ殺してやる」と騒ぐ長男を父親が注意し、口論になったらしい。
長男の家庭内暴力が始まったのは中学2年のときで、当時長男は東大への進学実績が高い都内の中高一貫校に通学していた。当時のことを長男自身が2017年にツイッターに書き込んでいる。
〈中2の時、初めて愚母を殴り倒した時の快感は今でも覚えている〉
父親は東大法学部を卒業後、農林省(当時)に入省し、農水省トップの事務次官にまで上り詰めた超エリートだが、長男は父親と同じエリートコースを歩むことができなかった。高校卒業後、日本大学に進学し、流通経済大学へと転籍したが、学業を終えても仕事はせず、ゲームとネットにどっぷり浸かった生活を送っていたようだ。

もっとも、長男はずっと実家で生活していたわけではない。十数年間、都内で一人暮らしをしており、その間、父親が部屋を訪れて片づけなどを行っていたらしい。ところが、一人暮らしのマンションでゴミ出しをめぐって近隣住民と揉めたため、事件の1週間ほど前に長男が自ら希望して実家に戻り、再び両親と暮らし始めた。
それ以降、長男は口癖のように「ぶっ殺す」と言うようになり、事件の6日前には父親に激しい暴行を加えた。この頃、長男は「俺の人生は何なんだ」と叫ぶこともあったという。また、両親を殴ったり蹴ったりする状況が事件当日まで毎日続いていたようだ。

「遺影に灰を投げつけてやる」子どもが暴君化するきっかけ

この長男は、暴君化する子どもの典型のように見える。父親の体にあざが無数にあったらしく、長男から日常的に暴力を受けていたことがうかがえる。
だから、父親が身の危険を感じたとしても不思議ではない。
また、川崎市でカリタス小学校の児童らを殺傷したのが50代のひきこもりだったことから、長男も同様の事件を引き起こすのではないかと父親が危惧したのも、理解できる。だからこそ、この父親への同情の声が少なくなかったのだろう。
だが、私は「ちょっと待って」と言いたい。たしかに、この長男のように暴君化する子どもは、親を責めて奴隷のように扱い、暴言を浴びせたり、暴力を振るったりする。

ただ、親を責める言葉を聞いていると、一抹の真実が含まれているように思われることが少なくない。
たとえば、長男の2017年のツイートである。
〈私が勉強を頑張ったのは愚母に玩具を壊されたくなかったからだ〉
〈愚母はエルガイムMK-IIを壊した大罪人だ。万死に値する。いいか? 1万回死んでようやく貴様の罪は償われるのだ。自分の犯した罪の大きさを思い知れ。貴様の葬式では遺影に灰を投げつけてやる〉
これらのツイートから透けて見えるのは、母親に対する強い怒りと復讐願望だ。長男がこれほど怒っているのは、ツイートの内容通り、勉強しなければ母親に玩具を壊されるようなことが中学時代に実際にあったからだろう。その怒りをぶつけずにはいられず、母親を殴り倒した可能性が高い。
成人してからも家庭内暴力を続けた長男を擁護するわけではないが、子どもの怒りと復讐願望をかき立てるようなことを親がやっていた可能性は否定しがたい。
東大への進学実績が高い中高一貫校に長男を進学させたのは、東大法学部卒のキャリア官僚である父親と同じレベルの学歴と職業を長男に望んだからかもしれないが、「勝ち組教育」の一端のようにも見える。
しかも、父親はキャリア官僚として超多忙で、しつけも教育も母親に任せきりだったのかもしれない。
そういう事情から母親が過度に教育熱心になった可能性も十分考えられるが、皮肉なことにそれが長男の怒りと復讐願望をかき立てたのではないだろうか。

「親が子の始末をつける発想」の危うさ

この事件に対する世間の反応で、私が一番驚いたのは、父親への同情の声だけでなく、称賛の声もあったことだ。しかも、「息子殺しを責められない」という発言、あるいは「親が始末をつけるという発想」を容認する発言もあった。こうした発言には強い違和感を覚えたし、非常に危ういものを感じた。
なぜかといえば、その背景に、「所有意識」が潜んでいるように見えたからだ。親が子どもを自分の所有物とみなしているからこそ、親自身の価値観を押しつけるのだし、子どもの人生がうまくいかなくなると自分の手で何とかしなければと思い込むのだ。
たとえば、私は、ひきこもりの子どもを持つ親から相談を受けることが少なくなく、しばしば「この子を残して死ねません。私たち親のほうが先に死ぬのに、どうしたらいいのかわかりません」という訴えを聞く。
親の気持ちは痛いほどわかるが、このような訴え自体、子どもの人生すべてに親が責任を持たなければならないと思い込んでおり、さまざまな問題を家族だけで抱え込もうとしていることの裏返しのように私の目には映る。
実際、こういう親は、子どもがひきこもるようになると、近所や親戚とのつき合いを避け、外出を控えるようになりやすい。これは、責任感が強いことにもよるし、世間体を気にすることにもよる。いずれにせよ、親自身もひきこもりがちになる。そして、皮肉にも、親子の一体感がさらに強まって、共依存の関係に陥りやすい。

精神科医としての長年の臨床経験から申し上げると、ひきこもりは、本人の資質や親の育て方のせいにして片づけられる問題ではなく、家族、教育、社会の構造的な問題の結果表面化した「症状」とみなすべきである。当然、親が自分たちだけで抱え込んでも、どうにかなるわけではない。むしろ悲劇的な結末を迎えかねないことは、元事務次官の子殺しを見れば明らかだ。
だから、子どもが一定の年齢以上になったら、「血がつながっているとはいえ、親と子は別人格。子どもの問題をすべて親が解決できるわけではない。親のほうが先に死ぬのだから、子どもの面倒を最後まで見るのは所詮無理」という割り切りが親の側に必要なのだが、実際にはそれができない親が少なくない。しかも、世間体や見栄がからんでいると、さらに厄介になる。

母子心中を生む「私物的我が子観」

息子を殺害するまで追い詰められた元事務次官の苦悩は、わからないではない。ただ、ひきこもりについても家庭内暴力についても相談していなかったのは一体なぜなのかという疑問を抱かざるを得ない。その理由として、一つは世間体、もう一つは「私物的我が子観」が考えられる。
「私物的我が子観」とは、母子心中の実態を調査した研究から明らかになった傾向である。母親が我が子を「私物」とみなし、「一緒に死んだほうがこの子にとって幸せ」「生きていてもこの子は不幸になるだけ」などと思い込んで、母子心中を図る(『母子心中の実態と家族関係の健康化――保健福祉学的アプローチによる研究』)。

つまり、子どもへの所有意識が極度に強くなったのが「私物的我が子観」であり、我が国では、伝統的な家父長的家族制度のなかで養われてきた(同書)。
この「私物的我が子観」は、母親だけでなく、ときには父親にも認められる。戦後80年が経ち、家父長的家族制度は崩れたはずなのに、いまだに「私物的我が子観」を引きずっている人が少なくないのは、実に残念である。


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