クマによる“人の居住地での人身事故”「14年連続ゼロ」の軽井沢、背景に“犬”の活躍も…他地域で「即導入」が難しいワケ
今年は連日、クマの出没が報じられた。出没回数は年によって大きく変動するものの、2025年11月現在の速報値で年間の死亡事故が13人というのは近年異例の多さだ。
人里における人とクマとの距離は、いったいどうなっているのだろうか。
そんな状況のなか、クマ対策においてNPO法人ピッキオは一貫して「人の安全を守ること」と「クマの野生を保つこと」の両立を目指し、確実な成果を上げているという――。(本文:石川末紀)

NPOピッキオのクマ対策とは?

ピッキオは、「星野リゾート」(長野県本社)の自然保護活動の一環として、1992年に前身の「野鳥研究室」が長野県軽井沢町に設立され、1995年に現名称で活動をスタートした。
転機が訪れたのは1998年。ツキノワグマの出没が増加し、地域住民との軋轢(あつれき)が深刻化したことから、クマの生態を解明するための調査に着手。その後、2000年に軽井沢町からクマ対策事業を正式に受託し、2003年に株式会社として独立後、2004年にNPO法人を設立した。
ピッキオは、この経験を通じて科学的調査と地域連携による「予防管理」モデルを着実に構築してきた。人の居住地域においてはクマによる人身事故は14年以上にわたってゼロを記録している。
今回、ピッキオのスタッフにクマ対策の経緯や課題について話を伺うことができた。スタッフの玉谷宏夫さんは活動開始時期の様子をこう振り返る。
「宿泊施設や飲食店、住民など人が出したゴミを狙ってツキノワグマ(以下クマ)の出没が多発していました。人間にとってはゴミを捨てているだけかもしれませんが、生ゴミを放置するのはクマにとっては事実上の餌付けと一緒です。当初は町民にそのことを理解してもらうことに苦慮していました」
それでも、町とも協力して、ゴミの出し方を周知徹底する、クマが開けられない構造のフタのごみ箱に交換するなど、工夫を重ねた。
必要だと思われる場所には電気柵を設けた。
一方で、1998年ころからは、捕獲したクマに発信器を付け、ゴム弾や花火弾、人の叫び声やクマ鈴などを使って人の怖さを教え込ませて森に還(かえ)す「奥山での学習放獣」をおこなった。
当時は「なぜ捕獲したクマを放すのか」「もっと遠くで放ってくれ」といった声もあった。地道に説明を重ね、同時に各家庭を訪ねて、引き続きエサとなるものを家の周りに置かないようお願いするなど、草の根的な活動を続けたという。

ベアドッグの導入

もうひとつピッキオの大きな特徴は、2004年に「ベアドッグ」の導入を始めたことだ。「ベアドッグ」とは、クマの匂いや気配を察知し、スタッフの指示で吠えて森の奥へ追い払うよう訓練された犬だ。アメリカから導入された。
彼らは木の上に登るクマの下で見張ったり、吠えたりすることで「この近くには人間や犬がいて、来てもいいことがない」とクマに覚えさせるという役割を担っている。
ベアドッグの導入には軽井沢ならではの事情もあった。軽井沢は林や森の近くに別荘が点在しており、クマが移動中に敷地内を通過したり、身を隠したりすることもある。人とクマの距離が近い環境下では、不意の遭遇による事故を防ぐためのきめ細やかな対応が求められる。住宅地ゆえに猟銃等に頼れない中、発信器だけでなく、クマを嗅覚で追えるベアドッグの存在は大きい。
クマの活動時期にあたる6月1日~10月31日までは、ベアドッグと人がペアになり夜間監視がおこなわれている。
発信器を付けたクマの監視頭数は2024年度で35頭~42頭だ。
「発信器による測位では、クマが木の上にいる場合や見通しの良い場所であれば、かなり遠くでも感知できますが、逆にクマが窪地にいるときなどは、近くにいても感知できない場合もあります。
複数の場所から電波が強い方角を測定することで、どの位置にクマがいるのかを推定するのですが、もっと遠くにいると思っていたら目の前に現れることもあります。そんなときもベアドッグは頼もしい存在です」と玉谷さん。こうした活動には、犬たちとの信頼関係も重要な要素だ。
クマに発信器を付けることで行動を追跡しデータ化して個体カルテを作成することができる。同時にベアドッグによる追い払い時の反応や、行動履歴なども観察する。
クマの個性の幅は広い。すべての個体ではなく、問題個体に対応していくことが求められる。そのため、それぞれの個体は、人を攻撃する、威嚇する、怪我を負わせる、家屋に侵入するなど最も危険な「レベルA」から、厳重注意(人を認識しても逃げない、農作物を何度も食べるなど)の「レベルB」、注意(ゆっくり逃げる、ゴミなどを漁ったなど)の「レベルC」、留意(ほぼ森で暮らし、人の気配を感じると逃げる)の「レベルD」まで明確に区分される。
これをもとに、環境省、県、町と協議しながら対応を決めていくという。

他地域でベアドッグ導入が広がらない理由

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「令和6年度軽井沢町有害鳥獣被害予防対策協議会」の資料から

軽井沢では、このような活動が成果を生んでいるが、他地域でも同様に導入できるかというと、厳しい面もある。
「軽井沢町はもともと森林に囲まれた自然豊かな土地です。
町全体が自然とともに共存しながら暮らしていくという文化がありました」と、ピッキオの広報・角屋真澄さんは語る。
ベアドッグは犬という生き物を扱う以上、その責任は人間にある。ピッキオが導入したのはフィンランド原種のカレリア犬だが、動物の繁殖には予想外の困難が伴うこともある。たとえ繁殖に成功したとしても、すべてがベアドッグとして活躍できるわけではない。また、訓練期間も要するし、引退後の犬や、ベアドッグになれなかった犬も終生飼養が必要になる。
訓練を含め、専門的にベアドッグを扱える人も限られる。クマの活動期間は毎日夜間監視が必要になり、その人員を確保することも容易ではない。夜間に活動をおこなうのでスタッフの安全確保も必須だ。そのため、時間も手間もお金もかかる。そして継続性がなければ意味がない。
この持続的な活動を可能にしている理由として、住民の理解がすすんだことが大きいという。また、寄付を募っているが、都会からほど近い自然豊かな土地であり「軽井沢」という知名度から寄付が集まりやすいことも、この活動を可能にしている部分も大きいだろう。

軽井沢町はクマ対策に国から財政支援を受けていない県内で唯一の自治体だという。
当然ながら、どの地域でもこの活動がおこなえるかというとそうはいかない。高齢化や過疎化がすすんでいる地域ではクマ対策はどうしても後手にまわるのが実情だ。

クマ対策の「3つの柱」

ここで、クマ対策の基本を整理しておきたい。クマ対策には、「対処療法」「原因治療」「予防」の大きく3つの柱があると、玉谷さんは定義する。
「対処療法は市街地に頻繁に出没してしまうようなクマを捕獲、あるいは駆除することです。原因治療は、発信器を付けてクマの行動を調査したり、予防と重なるところはありますがゴミ対策などをして引き寄せる原因を排除すること。
予防とはクマから見た人里の魅力を下げる(エサがない、人は怖い)こと。長期的には、奥山を豊かにすることです。この地域では40年以上奥山に植林活動をおこなっています」
特に、人とクマとの緩衝地帯である里山の手入れをきちんとおこなうことで、里山より先にクマを入ってこさせないという「ゾーニング」が必要と指摘する。
市街地にエサ場を作らないことは最低限のマナーだ。もちろん、観光客が車からエサをやるのは論外。クマはすぐに学んで車の近くに来るようになり、一部のクマは車に向かってくることもある。
しかし、こうした危険性を想定できていない人は多い。
玉谷さんはこのような状況を憂慮している。
「ゾーニングに関しても、過疎化で集落が点在している地域もあり、里山の整備も簡単ではない地域があります。そうした場所では個別に対応していくことも大事になってくると思います。
ゴミを漁れないように徹底する、養蜂などをおこなっている家では蜂のまわりに電気柵を設ける、柿などのクマが好む実を付ける木は伐採するか早めに収穫してエサ場を作らない。もちろん農地対策も必要です。けれども、地域によって住民の意識もまちまちで、どこか他人事のように感じているという印象を受けることもあります」
実態を知らない都市住民の無関心や、「一頭も殺すな」「全頭駆除せよ」といった極端な意見・誤解が、地域社会の取り組みをより困難にしている側面もある。こうした状況を踏まえ、この一連のクマ騒動について、角屋さんは報道にも疑問を投げかける。
「報道では刺激的な場面が協調されがちですが、もともと臆病なはずのクマが街に出てくるのには、理由があるはずです。もちろん学習放獣しても何度も街へ出てきて人に危害を加えるクマは駆除もやむなしですが、駆除一辺倒の流れではなく、『原因』に向き合う視点も必要です」
玉谷さんはこう続けた。
「クマによる被害件数だけを見ていると大事なことを見落としてしまいます。クマを街中で見たのか、森林で見たのかは区別する必要があります。
森林はもともとクマの生息地ですから、人間がよそ者。だからこちらがしっかりと対策して山に入る必要があります」
 

「正しく怖がる」が大切

クマによる“人の居住地での人身事故”「14年連続ゼロ」の軽井沢、背景に“犬”の活躍も…他地域で「即導入」が難しいワケ

ベアドッグによる追い払い(ピッキオ提供)

玉谷さんは長期間のクマ対策を考える上で啓蒙(けいもう)活動は非常に重要だと語る。
「ピッキオでは、ネイチャーツアーをもうひとつの柱として活動しています。都市部などから来た旅行者の方にツアーに参加してもらうことによって、自然の豊かさを感じてもらうこと、そして、私たちは多くの野生動物とともに生きているということを実感してもらっています。“正しく”怖がることが大切なんです」
野生動物はペットではない。軽々しく近づいたり、餌付けしたり、触ったりすればどんなリスクがあるかもツアーに参加して学ぶことができる。一方、むやみに排除したり、怖がったりすることなく、どう向き合っていけばいいのかを実際に自然の中を歩くことで学んでいってほしいという。
同時に、軽井沢町は、全小学校でピッキオによるクマの課外授業をおこなっている。この町にはクマが住んでいて、そのクマとどう付き合っていけばいいのかを、具体的な事例や対策も提示しながら考えてもらうという。

「野生動物はコントロールできるものではない」という自覚を

明治時代以降、人間の勢力が著しく強くなり人口も急増、奥山を含めて大規模な開発が続いた時代があった。しかし、今、また人口が減り始めている。高齢化もすすんでいる。野生動物はクマに限らず、足元でまた数を増やしてきている。それは都市部でも同じだ。
だが、今を生きる現代人は野生動物が優勢であったころを誰も知らない。その間に科学技術も発展し、野生動物がまさか人間の社会を浸食してくるとは思ってはいない。そうであったとしても、それは人間が管理できる、と錯覚しがちだ。
「クマ程度なら人間が制御できる」という思い上がりのようなものが、どこかにあるのではないだろうか。
「私は、動物管理という言葉はあまり好きではありません。野生動物はコントロールしきれるものではありません。そのことを常に忘れないようにしながら活動しています」と玉谷さん。
現場で活動を続ける玉谷さんのこの言葉の意味は重い。
私たちには、クマに限らず野生動物、ひいては自然をもコントロールできる、というおごりがあるのではないだろうか。 
今は日本中がクマにおびえ、そして関心を持っている。クマの冬眠シーズンが終わるころ、私たちはクマに、あるいは野生動物に対して、どこまで自分事として関心を持っていることができるか、今こそ、人の姿勢も問われている。
※参考文献『クマが出た! 助けて ベアドッグ』太田京子(2021年、岩崎書店)
■石川未紀
フリーライター&編集者、社会福祉士。2023年、「世界共通トイレをめざす会」を立ち上げ、WEB望星で「トイレ事情を歩く」連載中。著書に『私たちは動物とどう向き合えばいいのか:不都合で困難な課題を解決するために』(2025年、論創社)


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