今年も多くの事件や事故の裁判が行われ、判決が言い渡されてきた。立法、行政と並ぶ国家権力である「司法」の判断は、関係者の人生を左右するだけでなく、社会にも影響を与える。

中でも、「働くこと」の根幹に関わり、すべての人に無関係ではない「労働事件」では、今年どのような印象的な判決があったのか。この分野に注力する松井剛弁護士に聞いた。

1000円着服で退職金がゼロに…

松井弁護士が今年特に印象に残った判決として挙げたのは、「バスの運転手が乗客から預かった運賃の一部を着服し、懲戒免職と退職金の全額不支給処分を受けたことについて、『適法』とされた」ものだ(最高裁第一小法廷令和7年(2025年) 4月17日判決)。
松井弁護士は、「かなり重い判決で、弁護士の間でも話題になりました」と振り返る。
事案の事実関係は以下の通り。
市営バスの運転手として約29年間勤続していた男性が、勤務中、乗客から5人分の運賃(合計1150円)を受け取る際、硬貨を運賃箱に入れさせたうえで、紙幣(1000円札)を手で受け取り、これを着服した。また、運転手は乗客がいない停車中の運転席において、合計5回電子タバコを使用していた。
こうした行為がバスのドライブレコーダー点検で明らかになると、男性は喫煙行為を認めたが、一方の着服行為については否定した。しかし、上司からの指導を受け事実を認めた。
管理者である市は、男性に対し懲戒免職処分、および退職手当など約1211万円の全額不支給(全部支給制限)処分を行った。
これに対し男性側は、上記の懲戒免職処分および全部不支給制限処分は、市の裁量権の範囲を逸脱していて違法だとして、取り消しを求め提訴した。

揺れた司法判断

この裁判では、懲戒免職処分については、いずれの裁判所も一貫して適法であると認めた。しかし、退職金等の不支給については意見が割れた。
地裁は「裁量権の範囲内で適法」としたが、高裁は「バス運行等に支障が生じ公務への信頼が害されたとは認められない」「被害金額は1000円にとどまり被害弁償もされている」「29年間にわたり勤続し、本件非違行為以外に一般服務等に関する非違行為はみられない」などを斟酌(しんしゃく)し、退職金等の全部不支給制限について、「非違行為の程度・内容に対して酷であり、市の裁量権の範囲を逸脱している」と、地裁とは逆の結論を出した。

高裁判決は、被害額や長期勤続といった運転手側の個別事情を重視したと言える。
しかし、最高裁は、以下のような理由を述べ、高裁判決を覆し、運転手側の敗訴を言い渡した。
  • 本件着服行為は公務の遂行中に公金を着服したもので、重大な非違行為である。
  • 本件着服行為は市の自動車運送事業の運営の適正を害し、同事業への信頼を大きく損なうものといえる。
  • バス車内での喫煙行為は勤務状況が良好でないことを示す事情として評価されてもやむを得ない。
  • 着服に至った経緯に酌むべき事情がない。
  • 当初は着服行為を否認しようとするなど態度が誠実なものであったとはいえない。

松井弁護士「行為に対して処分が相当といえるか」

この判決に対し松井弁護士は、「着服は犯罪行為ですが、1000円は刑事裁判なら実刑になるような金額ではなく、男性はお金を返しています。それで賃金の後払い的性格もある退職手当、それも1000万円を超える金額がゼロになるのは、重い処分だなと率直に驚きました」と話す。
その理由について、「何を重視するかという価値判断や、感覚的な部分も含みますが…」と前置きしつつ、松井弁護士はこう説明する。
「極端な例ですが、たとえば1000円を横領して『死刑』と言われたら、多くの人が『重すぎる罰だ』と感じると思います。このように、やってしまった悪いことに対しては、その行為に相当な処分がされて然るべきだと思うところ、今回の判決は、行為に対しての処分が釣り合わないのではと感じました」
最高裁判決では、公務員による公金着服という職務への影響や組織の信頼を損なう結果が重視された。公務員に求められる厳格な服務基準が、判断の基盤になったといえるだろう。

松井弁護士も、懲戒処分の取り消しなどを求める労働裁判では、民間企業で働く人よりも公務員のほうが厳しい判決が出やすいと指摘する。
「たとえば、市営バスと変わらない公共性を持つJRや東京メトロのような民間企業で同じようなことが発生した場合、『全額不支給』にはならなかったかもしれません。
これには、市などの行政の判断に関して裁判所が用いてきた、『社会通念上著しく妥当を欠いて、裁量権の範囲を逸脱し、またはこれを乱用したと認められる』場合には違法になるという判断枠組みが影響していると考えられます。つまり、よほど乱暴な判断だと労働者側が立証できなければ、適法になる可能性が高いのです」

「(他の裁判の)判決への影響は大きくはない」が…

今回の判決は、今後の労働事件の裁判にも何らかの影響を及ぼすのか。
松井弁護士は、「裁判所が全く新しいことを言い出した訳ではないので、弁護士の実務や判決への影響は大きくはないと思います」という。
しかし、最高裁の判断だ。「これまで以上に、労働者とくに公務員の利益よりも、業務への影響や信頼の毀損を重視して裁判所が判断する傾向が強まる可能性はあるのではないかと思います」(松井弁護士)


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