退職の自由を著しく制限
自治医科大学は、へき地医療に従事する医師を養成するため、都道府県が共同で設立した私立大学だ。入学者には修学資金が貸与され、卒業後、出身都道府県が指定する公立病院などで義務年限の期間(貸与期間の1.5倍、最低9年)勤務すれば、返還が全額免除される仕組みとなっている。しかし今回の原告であるA氏は、父親の失職や自閉症の弟の介護、妻の妊娠による扶養負担増で経済的に困窮。
一般的な研修修了医師の場合であれば、年収にプラスして、アルバイトで360万円程度が得られるが、A氏の場合は地方公務員身分のため、アルバイトは禁止されており、A氏は弟の介護や収入面などをふまえ、義務年限中の退職を決めた。
すると大学側は、修学資金2766万円と損害金を合わせた約3766万円を「一括返還せよ」と要求。A氏は2024年3月、この返還義務は無効だとして東京地裁に提訴した。
本訴訟の争点の一つは、自治医大と愛知県が「使用者」として一体的な存在といえるかどうかだ。
原告側は裁判で、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、または損害賠償額を予定する契約をしてはならない」(賠償予定の禁止)と定めた労働基準法16条に基づき、大学が要求している修学資金や損害金の返還は無効であると主張している。
他方で被告側(自治医大・愛知県)は、「修学資金の貸与主体は大学、雇用主は県であり、法的に別個の主体だ」として、労基法16条上の「使用者」に大学が含まれることを否定。
「修学資金契約と雇用関係は法的に区別されるべきだ」と主張しており、争いが生じている。
原告側代理人の金東煥弁護士は次のように指摘する。
「実質を見れば、A氏への就学資金の貸与は、卒業後に愛知県の指定する病院で医師として働くことが前提となって行われたものです。
このことから、われわれは、愛知県と自治医大の両方に使用者性があり、一体としてA氏の使用者に当たると主張しています」
また、同じく原告側代理人の伊藤建弁護士は愛知県と自治医大の一体性について述べた。
「たとえば、A氏は愛知県の県庁で自治医大の入試を受験しており、この際対応したのは自治医大の職員ではなく愛知県の職員でした」
こうした事実から原告側は、愛知県と自治医大が「義務年限中に退職すれば、巨額の金銭を一括返還しなければならない」という状況を一体となって作り出し、A氏の退職の自由を著しく制限していたと主張する。
50年間、なぜ問題視されなかったのか
A氏は自治医大の修学資金制度が半世紀にわたり存続してきた背景を以下のように説明する。「自治医大は開学して50年を超えますが、これまでこういった形で訴訟を提起したのは、おそらく私が初めてです。
同級生や先輩方、後輩には上から言われたことをしっかりやる『いい子ちゃんタイプ』が多くいました。こうした卒業生がへき地医療に従事してきたことで、自治医大は一定の意義を発揮してきたのです。
しかし、その陰で私のように仕方なく義務年限を離脱しなければならなかった人や、精神疾患を発症した人もいます。それでも、多くの人が義務年限を完遂し、へき地で勤務してきたという実績に県も大学側も甘えて『今のままで良いだろう』と制度を続けてきたのではないでしょうか」
「病気の原因に何も対処していないのと同じだ」
また、A氏は自治医大以外の医学部でも地域枠制度の導入が広がっている現状について、「自治体や大学の甘えが広がっている」と指摘。医療にたとえて批判した。「今、地域枠を使用する学生の数も増えており、医学部入学者の2割を超えてきています。
しかし、これはへき地に医師が行きたくなくなっている根本的な原因に目を向けず、強制的に若者を縛りつけることで、対症療法的に問題を処理しているだけに過ぎません。
腹痛を訴える患者さんに対し、原因を精査することなく痛み止めを処方し『痛みがなくなってよかったね』と言っているのと同じです」(A氏)
10年、20年後には制度が改善されていることを願う
原告側は今後、労働基準法上の主張に関する意見書の提出を予定しており、その後、消費者契約法上や憲法関係の主張も順次行うという。A氏は3月の提訴時の会見で、自治医大の修学資金制度について「無知な受験生を囲い込んで、卒業後、退職の自由を奪った上、不当な労働条件で使いたおす、まさに悪魔のような制度」と非難していた。
次回期日は2026年3月に開かれる予定で、判決は早くとも再来年ごろになる見通しだという。
「提訴をし、初めて記者会見を開いてから、次回期日で約1年が経つことになります。
現在、私のもとに同じような状況で困っているという人から相談を受けることもあり、判決が出るまでその方々をお待たせしてしまっているという点では思うところもありますが、10年後20年後に現在の制度がより良い形に改善されるのを願って、前向きに主張を続けていきたいです」(A氏)
なお、自治医大は弁護士JPニュース編集部の取材に対し、次のようにコメントした。
「係争中の本事案については、訴訟前から先方に対して再三にわたり、大学の姿勢と考え方を伝えて、修学資金の返還を求めてまいりました。
本事案で原告となっている医師は、本学の制度を理解した上で本学を受験し入学され、本学との貸与契約に基づき修学資金の貸与を受けて本学にて医学を学び、その結果医師の国家資格を取得されている方です。
そして、その後、当該医師の判断で、地域医療に従事することを断念され、貸与契約の返還免除の要件を満たさなくなったことから、本学は、貸与契約に基づき、当該医師らに対して返還を求めており、かかる返還請求は、契約に基づく正当な対応であると考えております。
本学としては、引き続き修学資金の返還を求めていくとともに、この制度の社会的意義の大きさ、憲法はもとより関係法令に適合していること等について、今後も必要な主張を尽くしてまいります」

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