1956年に制定された現行の売春防止法においては、「売春を助長する行為」等 に罰則が設けられているものの、「買春」行為については罰せられていない。
これに対し、売春防止法が制定されて以来、「買う側は問題にされないのに」という声が途絶えることはなかった。
とりわけ昨今、立法・行政・支援団体など数多くの方面から、買春処罰の必要性を訴える声が高まっている。また、高市早苗首相も2025年11月11日の衆院予算委員会で、法務大臣に対し、売春防止法の処罰対象に買春も含める法改正についての検討を指示した。
買春防止法が制定されれば、非対称性は確かに解消されるだろう。しかし、どのような効果をどこまで期待できるのだろうか? 思わぬ「副作用」が生じる危険性はないのだろうか? まず、当事者の小さな声を聞き取ってみる努力が必要なのではないか?
歴史的経緯を踏まえ、筆者自身の取材経験も考慮に入れつつ、考えてみる。
なお、本記事では、明確な人権侵害であり犯罪である人身売買や未成年者のケースは除外し、成人である本人が自分自身の意思によって性風俗店で就労している状況のみを考えることとする。(みわ よしこ)

いわゆる「弱者男性」に“疑似恋愛”の機会を提供?

貧困と社会保障に関する執筆・取材を約15年間にわたって続けてきた筆者は、数多くの貧困問題の当事者と出会ってきた。
時には、男性から性や恋愛の悩みを相談されることもあった。相談を口実としたセクハラも若干あったが、大半は「この人なら、笑わずに聞いてくれるかも」という期待と不安がないまぜの口調で切り出される、真摯かつ切実な相談であった。
売買春において「買う」側、すなわち「売る」側より強い立場にあるはずの彼らは、女性と出会ったり恋愛したり交際したりする機会が少ないという悩みを異口同音に語った。
マッチングサイトの利用や「推し活」などの場への参加は、話がはずんで交際できそうな異性との出会いを約束してくれるわけではない。出会えたとしても、資金力不足や自らの「スペック」が交際の進展を阻む。1回か2回の挫折で大きく傷つき、「もう、出会わない」と固く決意する人もいる。
とはいえ、異性や恋愛や交際や結婚に対する憧れが消えるわけではない。
むしろ、決して実現しない理想であることを理解しているゆえに、理想としての異性や恋愛や交際や結婚への憧れが大きくなっている感じを受けるほどである。「恋に恋する」という古い言い回しを思い浮かべてしまう。
自分の思いが現実に噛み合っていないことは、彼らも充分に認識している。彼らにとっての現実的な「落とし所」の一つは、性風俗産業に 数千円~数万円を支払い、数十分間の疑似恋愛と快感を購入することである。あくまでも「相手は仕事だからしてくれているだけ」と割り切りつつ楽しみ、別れた後は余韻を味わう。
性風俗業の従事者からサービスを受けることは、恋愛や交際や結婚の代替にはならない。とはいえ、「恋に恋する」状態で恋愛を成立させて維持することは難しいだろう。
出会いや恋愛や交際や結婚などの経験を積んで「経験値」を高める機会があった人々は、その面ではすでに“強者“なのだ。”強者”が、彼らの心に響くアドバイスをすることは可能だろうか? そもそも彼らが本当に求めているのは、いったい何なのだろうか? 正直なところ、筆者にも分からない。

性風俗業で働く女性には、どのような“引力“が働いているのか

次に、性風俗業で働く女性たちへと視点を移してみよう。
彼女らの背景は多様である。年齢にも生育歴にも教育歴にも体型にも、性風俗店で働く女性の典型といえる類型はないだろう。ただ一つの共通点は、「現在、性風俗店で性的サービスに従事している」ということだけかもしれない。

ここに「たぶん、今日の就業時間終了まではいて、次の出勤日もいる」、つまり「現在のところ、性風俗業をやめる強い動機はない」を追加してもよいかもしれない。もちろん、仕事に誇りを持ち、「続けられる間は続けたい」と思っている人々もいる。
性風俗業でのキャリアには、「履歴書に書けない」という問題がある。本人に多様なスキルや成長の機会をもたらしているはずの経歴ではあるが、履歴書に堂々と書かれる可能性は極めて低い。その経歴を評価して採用する企業も、おそらく極めて稀だろう。
性風俗業に専念して10年が経過すれば、履歴書に10年分の空白期間ができてしまうことになる。求職にあたっては、不利な材料だ。
もちろん彼女たちは、その可能性を自覚している。年齢とともに容色が衰えていけば、性風俗業で充分な収入を得ることも困難になるだろう。「少しでも若いうちに一般的な就職をしなくては」という思いから、多様な努力や試行錯誤を重ねる女性たちもいる。性風俗業から脱却して生活保護を利用したり、給付つきの職業訓練を受けたりする女性たちもいる。
しかしながら筆者の知る限り、性風俗業から自分の意思で脱却することは、 極めて難しい。

いったん性風俗業から離れた女性が結局“戻っていく”理由

「性風俗業を辞め、生活保護を利用して傷ついた心身を治療し、回復したら職業訓練を受けて就職」という支援のルートに乗り、職場にスムーズに定着するのは、そもそも比較的若年で身体的には健康、知能は平均以上、困難は抱えているが「こじれ」は少ない人々だ。語弊を恐れずにいえば「支援しやすい」人々なのではないかと思うほどだ。
身体にも知能にも問題がなくとも、40歳以上まで性風俗業に従事している人々の場合、他人には(もちろん筆者にも)理解できない「こじれ」を抱えていたり、支援に包摂されようとしているのは理解しつつも自分自身が理解されていないことに苛立ったり、自意識と収入を満足させられる就職先が見当たらなさそうであることに失望したりしがちである。
生活保護や職業訓練により性風俗業からの脱却に成功したように見えても、数か月・数週間、ときには数日で終わることが多い。
彼女たちの戻っていく先は性風俗業しかない。そこに彼女たち自身の明るい未来はなく、性風俗業を脱却しようとした時よりも悪条件の仕事しかなかったりする。
とはいえ長年続けてきた仕事であり、時給でいえば一般的な職業と桁違いの収入が得られる。さらに、性的サービスを提供することによってしか得られない「対価」も見いだせるかも知れない。
ある女性が「男に必要としてもらえることや、男の肌の温もりがないと、私は生きていけないから」と語るのを聞いたこともある。その瞬間、彼女たちに対して用意された公的「支援」が成果に結びつきにくい理由を、筆者は少しだけ理解できそうな気がした。

売買春の「社会的機能」は、充分に理解されているか?

売買春に対しては、「あって当然」「あるべきではない」というモラル面からの両論に加え、売買春を含むセックスワークを一般的な職業として認めるべきか否かという議論もある。人身売買や児童に対する搾取など、決して許されない人権侵害と重なる部分もある。しかし、それらと重なっていない部分もある。
また、男女いずれの性にも「買う」可能性はあり、その際に「売る」のが異性とは限らない。

売買春をめぐる議論が紛糾しやすく感情的な応酬になりやすい原因の一つは、「考慮すべき可能性が多く、複雑だから」であろう。
そこで、筆者はまず「成人」「人身売買は無関係」「本人の意思に基づいていると言える」の3つが重なるケースの多数例、すなわち「女性による売春+男性による買春」のみを対象としたい。このような、最もありふれた類型でさえ、充分に理解され議論されているとは言えないように見受けられるからだ。

売買春は「構造的暴力」かもしれない、けれども?

「売買春は撤廃されるべき」という主張を長年にわたって展開している人々の中で、代表的な存在は社会学者の上野千鶴子氏である。筆者は大学院博士課程において、上野氏にゼミで指導を受けた。上野氏の驚異的な指導力と知見の数々をシャワーのように浴びる数年間がなかったら、現在の筆者はない。紛れもない恩師である。
その上野氏は、売買春(性売買)を構造的暴力として批判し続けている。 上野氏によれば、女性が性を売ることは個人の自由意志による選択ではなく、社会経済的な不平等や力関係の結果である。
その認識については、筆者も強く同意する。日本において、女性は社会によって機会や人権を奪われ、不利な地位に置かれ続けている。もちろん、男性たちの都合のために、女性が特定の職業で特定のサービスを提供し、低い地位に留め置かれる必要はない。
上野氏の指摘は、「社会が女性から機会や人権を奪っている結果として、女性本人が『売春しかない』と考えてしまう可能性が生み出される。
その社会は、本人が売春しつづけることになる状況を温存している」と言い換えることも可能であろう。筆者は、その点も否定できないと思う。
しかし筆者は同時に、女性と接触して疑似恋愛を味わう機会が性風俗産業の中にしかない男性たちの姿を思い浮かべる。
その男性たちは出会いや恋愛や交際や結婚の機会が得られにくい。それは、生育・教育・就労などにおける機会を剥奪されてきた結果でもある。
特に生活保護利用であれば、2013年以来の生活保護基準額削減をはじめとする多様な施策によってボディブローを受け続けているような状態にあり、「人権を保障されている」とは到底言えない。
女性もまた、その日そこで性的サービスを提供して対価を得る必要に迫られている。背景や経緯はさまざまだが、その日の数時間の就労によって、その日のうちに万円単位の収入を得ようとするのであれば、おそらく他の選択肢はない。
性風俗業に従事することに関して、自らの中に数多くの感情が沸くのを自覚しつつ、笑顔を浮かべてトークを続け、目の前の客の満足を得ようとする。その努力は、時間延長やオプションや次回の「指名」という形で、収入の増加につながるかもしれない。

「正論」では片付かない問題

性風俗産業の中での2人の時間は売買春であるのと同時に、人権や尊厳にかかわる数多くの要素を剥奪されてきた2人の、一瞬のかりそめの共生なのかもしれない。
その男性に、「あなたがお金で女性の時間と性行為を買うことは、間違っている」と言えるだろうか? 女性に、「あなたの仕事は、買いに来る男ゆえに成り立っている社会悪であり、その男ごと消滅させるべきものだ」と言えるだろうか?
殺人や窃盗や詐欺は、刑法に処罰が定められている犯罪であり、加害(者)と被害(者)の存在が前提となっている。しかし「成人」「人身売買は無関係」「本人の意思」が重なっている場合、売買春には加害(者)も被害(者)もない。
それなのに、その人自身の生業である売春や顧客による買春を「社会悪」「消滅させるべき」と断罪することは、反発しか招かないだろう。
いかに正義であり正論であっても、面と向かって言うべきではない事柄が、世の中にはある。面と向かって言えるところまで検討しつくしていない間は、相手が目の前にいなくても言うべきではない。そもそも、男の肌の温もりゆえに性風俗業をやめられない女性の心に、性売買に関する上野氏の言葉は届くだろうか。
社会的・経済的な背景から、「買う男」「売る女」の組み合わせが圧倒的に多くなっているのは事実である。それは「女性は非正規労働者になりやすい」という事実と同様に、ジェンダー差別の反映でもある。
差別があるのなら、解消されなくてはならない。しかし、たとえば、女性が正規雇用されにくい現実を変えるために「非正規雇用というものをなくしてしまえばいい」と主張して受け入れられる余地はあるだろうか? おそらく、嘲笑されて終わりだろう。
私には、売買春に対する法的規制にも同様の問題を感じる。本質を見据えて対処しているのではなく、表層的な現象への対処に見える。売買春が社会的に果たしてきている機能は、「買う」側を含めて理解され尽くしていると言えるのだろうか?

「売春」だけが処罰対象となる不平等を、どのように解消するのか

1956年に売春防止法が定められた時、買春も規制すべきという意見はあったが、法律には反映されなかった。売春の斡旋や勧誘は罰則とともに禁じられ、売春しそうな女性や売春させられている女性は、「要保護女子」として保護や再教育の対象となった。
2022年、売春防止法が改正されて「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」となったが、筆者から見ると「要保護女子」を「困難な問題を抱える女性」と言い換え、現在の社会状況に合わせて若干の模様替えを行ったのみである。
なお、売春防止法は廃止されたわけではなく現在も存続している。いわゆる「立ちんぼ」は、売春防止法5条により「6月以下の拘禁刑または2万円以下の罰金」に処せられる罪である。売春側の女性が処罰されるのに買春側の男性が罪に問われない状況は、売買春の是非と無関係に、ジェンダー不平等そのものである。
この不平等を是正するために、買春処罰規定を設けることは確かに有効なのかもしれない。

断罪ではなく「当事者の声を聞く」ことの重要性

しかしながら、売買春は現に存在している。可視化されているものも可視化されにくいものも含めて多様な社会的機能を果たしていることは、否定できないだろう。
まずは、それらの社会的機能を必要としている人々自身の声を聞く必要があるはずだ。そのためには、その人々が現に行っている売買春という行為について、「あなたがたがどう考えて感じているのか分からないから、教えてもらえませんか? 絶対に『良い』とか『悪い』とか断罪しませんから、お願いします」という態度で臨む必要があろう。
障害者である筆者は、障害者運動の国際スローガン「Nothing With Us Without Us(私たち抜きに私たちのことを決めるな)」を思い浮かべる。障害ゆえに出会う困難や差別に対して、「私たちをこんな目に合わせる社会が間違っている」と障害者自身が声を挙げることは、障害者運動の文脈では絶対的な正義であるが、容易ではない。障害者は少数派であるからだ。
買春や売春の現場にいる当事者たちは、昨今の買春禁止法制定への報道やネット世論に対して、沈黙を守りながら、もどかしさや言いたい言葉を飲み込んでいるのではないだろうか。
彼ら彼女らの「私はこうするより他にどうしようもないけれど、大きな声で堂々と言えることではないし」という思いに対してすべきことは、「大きな声で言えないなら、抱いてはならない思い」という断罪ではなく、「私たちには、あなたたちのことが分からないから語ってほしいし、できれば一緒に今後の世の中を考えられればと思う」という態度であろう。私は、「正義」による分断の拡大に加担したくない。


■みわ よしこ
フリーランスライター。博士(学術)。著書は『生活保護制度の政策決定 「自立支援」に翻弄されるセーフティネット』(日本評論社、2023年)、『いちばんやさしいアルゴリズムの本』(永島孝との共著、技術評論社、2013年)など。
東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了。立命館大学大学院博士課程修了。ICT技術者・企業内研究者などを経験した後、2000年より、著述業にほぼ専念。その後、中途障害者となったことから、社会問題、教育、科学、技術など、幅広い関心対象を持つようになった。
2014年、貧困ジャーナリズム大賞を受賞。2023年、生活保護制度の政策決定に関する研究で博士の学位を授与され、現在は災害被災地の復興における社会保障給付の役割を研究。また2014年より、国連等での国際人権活動を継続している。
日本科学技術ジャーナリスト会議理事、立命館大学客員協力研究員。約40年にわたり、保護猫と暮らし続ける愛猫家。


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