「地上の楽園」という虚偽の宣伝で北朝鮮に渡らされ、出国を許されず過酷な生活を強いられたとして、脱北者4人が北朝鮮政府に損害賠償を求めた訴訟の差し戻し審で、東京地裁(神野泰一裁判長)は1月26日、北朝鮮政府に対し計8800万円(原告1人あたり2200万円)の支払いを命じる判決を言い渡した。日本の裁判所が北朝鮮帰還事業をめぐり、北朝鮮政府に賠償を命じたのは初めてである。

原告は川崎栄子さん(83)ら4人で、1959年から84年にかけて実施された「北朝鮮帰還事業(北送事業)」に参加し北朝鮮に渡航したが、その後日本へ逃れ、2018年に1人あたり1億円の損害賠償を求めて提訴していた。

「仕事も住居も保障する」虚偽の宣伝で9万人超を誘導

北送事業は、1959年から1984年にかけて在日朝鮮人とその配偶者ら約9万3340人を北朝鮮に送った大規模な集団移住事業だ。
判決によれば、北朝鮮の金日成(キム・イルソン)首相(当時)は「日本で生活の道を失い、祖国の懐に戻ろうとする同胞の念願を熱烈に歓迎する」と表明し、帰還後の生活安定を強調。
金一(キム・イル)副首相(当時)も平壌放送を通じ「北朝鮮は食糧に余裕のある地帯に変わりました」「住宅、食糧、衣服その他生活に必要な一切の物質的条件を十分に保障されるでしょう」と宣伝していた。
また、朝鮮総連も「悲惨な境遇にあえいでいる在日朝鮮人が、地上の楽園に変わっている祖国へ、一日も早く帰って幸福な生活を営もうと希望している」との声明を発表。
しかし原告らによると実態は正反対であり、判決でも「衣食住にも事欠く劣悪なもので、とりわけ1994年頃からの大飢饉の時は餓死の危険すら伴う過酷なもの」だったと認められた。

一審は却下・棄却も…高裁が差し戻し命じる

訴訟の争点は下記の4点だ。
  • 日本の裁判所に国際裁判管轄権があるか
  • 被告(北朝鮮)の主権免除の有無
  • 被告(北朝鮮)の不法行為の成否および損害額
  • 民法改正前の除斥期間が経過しているか
原審の東京地裁判決(令和4年(2022年)3月23日)は、勧誘行為と北朝鮮での拘束を別個の不法行為と判断。
このうち勧誘行為については、北朝鮮政府が「朝鮮総連と共に、または朝鮮総連を通じて北朝鮮の状況について事実と異なる宣伝による勧誘を行ったことにより、原告らが北朝鮮の状況について誤信し、北朝鮮に渡航するとの決断をしたという客観的事実関係」を認めた。
しかし、勧誘行為については、民法改正前の除斥期間(不法行為の損害および加害者を知った時から20年)を理由に請求を棄却。さらに、北朝鮮国内での留置行為については日本の裁判管轄権がないとして却下した。
これに対し原告側が控訴。令和5年(2023年)10月30日の東京高裁判決では、原判決の取り消しと、原審(東京地裁)への差し戻しが言い渡された。
東京高裁は「北朝鮮での生活条件等につき事実と異なる情報を流布して北朝鮮への帰還(移住)を呼びかけて、日本から北朝鮮に渡航させ、渡航後は出国を許さずに在留させることにより、居住地選択の自由を侵害し、事前の情報と異なる過酷な状況下で長時間生活することを余儀なくされた」として、一連の行為を「継続的不法行為」と認定。

日本の裁判管轄権を肯定し「原審が除斥期間経過を理由として請求を棄却した部分についても、弁論を分離することなく審理判断の対象とすべき」と判断した。
また、主権免除についても、高裁は「日本政府が北朝鮮を国家として承認していない」「未承認国家について民事裁判権からの免除を当然に享受するとの国際慣習法が存在するとも認められない」と指摘。訴えのすべてを東京地裁に差し戻した。
そして、差し戻し審では、裁判所法4条により高裁判決に拘束されるとして、この判断をそのまま踏襲した。

「日本の相場では非常に高額だが…」

差し戻し審の判決では、損害額について「原告らは被告により人生の大半を奪われたといっても過言ではなく、精神的、肉体的苦痛は甚大」として、慰謝料を1人あたり2000万円と算定。
加えて弁護士費用200万円の合計2200万円の支払いを命じた。原告側の請求額は1人1億円だったため、認容額は請求の約5分の1となった。
判決後に開かれた会見で、代理人の福田健治弁護士は「北朝鮮という人権侵害国家で長年住み続けるのはどれだけの苦痛か。それを金銭的に評価するのは難しい作業だ」とした上で「賠償額2000万円は日本の慰謝料相場から考えれば非常に高額だが、それが本当に原告の被害を慰謝するのに十分かといえばそうではない」と語った。

「本当に感激」も、判決の実効性には疑問

判決後の会見で、原告らは喜びと同時に今後への決意を表明した。川崎さんは「本当に感激している。日本の司法は真摯に向き合ってくれた。北朝鮮による犯罪が認められ、賠償が命じられた。
どれほど克服が難しい課題であったか」と述べた。
一方で、川崎さんは「北送事業は北朝鮮によって一方的に行われたわけではない。日本国政府にも一定の責任はあると思う」とも指摘。さらに「80%以上は朝鮮総連に責任がある。地上の楽園説を宣伝し、船にまで乗せたのは朝鮮総連だ。次の段階では必ず朝鮮総連にも責任をとってもらう」と、新たに法的責任を追及する意向を明らかにした。
ただし、判決の実効性には疑問が残る。福田弁護士は「判決書自体はただの紙であって、どのように損害賠償金を北朝鮮政府から回収するかは課題が残る」と認めた上で「日本国内に所在する北朝鮮資産への強制執行等を検討する」と今後の方針を説明。
北朝鮮政府は訴訟に一切対応しておらず、原告の一人は「北朝鮮側が今回の判決に反応を示すとは思えない」と冷静な受け止めを語った。
それでも福田弁護士は「これだけの人権侵害に対しては救済が行われなければならない」と強調した。


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