ここ20年ほどで「発達障害」という言葉は社会に深く浸透した。かつての社会では、個々の多様な振る舞いや独自のスタイルとして受け入れられていた特性が、今、改めて「発達障害」として顕在化している。

これは人々の性質が変化したのではなく、社会が求める「適切さ」の基準がかつてないほど高まり、個々の特性が社会に適応できるかどうかを峻別する精度が上がった結果だと言えるだろう。
この潮流は、いわゆる「エリート」層にも波及している。難関大学を卒業した高い知的能力を持つ人々の中にも、特定の領域で卓越した力を発揮する一方で、現代の職場に不可欠とされる高度な対人スキルや臨機応変な対応に苦慮する当事者が少なくない。
本記事では、医師として地域精神医療に従事するかたわら、現代人の社会適応をテーマに独自の視点から発信を続ける精神科医・熊代亨さんへの取材をもとに、発達障害が顕在化してきた背景について紹介する。
※ この記事は、フリーライター・姫野 桂氏による『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書、2023年)より一部抜粋・再構成しています。

コモディティ化した現代の生きづらさ

発達障害について、ここ20年ほどの間で“ブーム”が巻き起こった。その背景には何が存在しているのだろうか。熊代さんは次のように話す。
「人間のコモディティ化(一般化)が進んで、誰もが誰とでもコミュニケーションできるあり方を要請されるようになりました。同時に、社会通念や習慣のレベルでも、横並びからのはみ出しは良くない、あるいはイレギュラーなことには容赦しない方向に年来傾いてきたのが先進国社会の基調だと思うんですよね。
社会において少しはみ出してしまう人は、かつて昭和時代の頃は大きな問題にならなかったかもしれない。けれど、この令和時代においては、そのままでは会社や学校にいてはいけない問題のある人としてクローズアップされるようになってしまいました」
熊代さんの著書『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)によれば、昭和はそこらじゅうで喫煙をしている人がいたり、子どもが危険な遊びをしていたりと、社会全体がある意味で寛容だった。
しかし、やがて社会全体の風潮が厳しくなってきて、路上で喫煙する人や道端で遊ぶ子どもを見かけることはなくなりつつある。

「昭和時代の学校は、今でいう特別支援学級に入るような子どもがたくさんいて、ワイワイギャーギャーとカオスな世界が作られていました。
わかりやすいのが『ドラえもん』のジャイアンとのび太です。医療的な目線では、ジャイアンとのび太は発達障害だと言われるでしょう。そしてこんにちの令和時代の目線では、ジャイアンやのび太はクラスに適応できないので、支援の対象とされるべきです。
しかし、ジャイアンやのび太のような人は昭和の時代では医療や福祉の支援対象として見なされないのが当たり前だったんです。学校だけじゃありません。職場にもそういう人がいて、そういう人は窓際族などになっていました。そういう人がいてもなんとかやっていたんですよ。
暴力に対する受け止め方も変わりました。発達障害で空気が読めなくても、竹刀を持った強面の体育教師がウロウロしていたらそのメッセージは伝わるんですよね。ときどき、悪いことをしている生徒がいたら竹刀で小突くこともある。
それは今だったら体罰であり、到底容認できないものですが、コミュニケーションのツールとしては発達障害の方でもわかる極めてシンプルなものです。

そういった意味では、昭和の時代に発達障害の方や知的障害の方が巷にいっぱいいて働けていたということと、身体的なコミュニケーション(暴力)が流通していたことはパラレルな関係にあると感じています。
今の世の中は全て言葉で伝えないといけないですよね。狭い意味での暴力を含まないコミュニケーションで全て解決しなければならない。言葉だけでなんとかしようと思ってもなんともならない人がたくさんいるのは分かる気がします」(熊代さん)
また、社会規範の変化については人々の健康リスクの変化もあると語る。
現在、健康リスクに関する知見の浸透により喫煙者は少なくなっている。私の両親は若い頃、タバコに健康被害があると知らずに喫煙していたという。母いわく、「大人になったらタバコを吸うものだと思っていた」という。そのうち「タバコは健康に良くない」という知識が広まり、両親はタバコを辞めた。
「健康の通念について昭和の頃を思い出すと、リスクに対してみんな鈍感でした。健康リスクという考え方はわりあいに新しいものなのです。コレステロールや血圧に注意を払ったり、適度な運動やバランスのとれた食事をとるべきだという考え方自体が珍しいものでした。
医師による指導や治療をきちんと受けるようになって、1950年代には男女ともに60歳前後だった平均寿命は、2010年には男性が約79歳、女性が約86歳と大きく伸びています。

また、リスクに関して言えば、子どもの外遊びで事故に遭って亡くなる子も珍しくありませんでした。未成年が事故や事件に巻き込まれる割合が、人口10万人あたりで割合として現在より昭和のほうがずっと多いんです。昭和の子のほうが拐(さら)われたり事故に遭ったり、時には殺されていました。
でも、それはそういうものだとみんなが思っていた社会だったんです。しかしそれではダメなんじゃないかと考えられるようになり、啓蒙してきた人たちが現代を形作ってきました。
こうやって社会の規範が変化したことに対応できない人たちとして、『発達障害』が浮かび上がってきた。発達障害は治療しなければならない対象になったとも言えますし、社会が人間をふるいにかける度合いがひどくなったとも言えます」(熊代さん)
もちろん、昭和の時代がユートピアだったわけでは決してないだろう。当時には現在の観点からすれば看過することのできない問題があったはずだ。ただ、今なら「発達障害」と呼ばれるような人が社会の中に溶け込めるだけの余地はあった。それがだんだんと、言うなれば「まっとうな人間」の基準が高まっていったのだ。

産業構造と発達障害

「昭和のままの世の中では暴力によって弱い者が傷ついてしまうし、少なくとも今の私たちの基準から見て許しがたい様々な問題が過去の規範や模範の体系には含まれていたわけです。それと真正面から向き合っていくには学校も医療も社会も、今の規範や模範の体系へと変えていかなければならなかった。

こうした変化を一概に否定はできないのですが、変化が徹底されたことで昭和時代の規範や模範の体系でははみ出さなかった人でもはみ出してしまうようになった。まさにそうした人たちをなんとかすることが医療に期待された、あるいは要請されたということです。発達障害という概念がブームになったことはある種必然だったと思います。
こうした社会規範の変化の背景には道徳や健康に対する通念の変化のみならず、資本主義との関係もあります。資本主義において人間は、流動性が高く、より効率的、生産的であることが期待されます。第三次産業がメインの新しい産業社会に変わっていかなければならない問題ともリンクしています」(熊代さん)
障害学の研究によれば、身体に障害を持つ人が「障害者」として区別されるようになったのは産業革命が起こったことと関係しているのだという。
それ以前は障害のある人にはその人にできる仕事が与えられていたのが、産業革命により、多くの人が工場で同じ作業を同じクオリティでやらなければならなくなってしまった。発達障害が取り沙汰されるようになった変化には、産業革命の頃のこうした変化と似た構図があるのではないだろうか。
「産業革命の後に障害者の働き先がなくなったかというと断言するのは難しいところで、常々変わってきたという表現の方が適切かもしれません。
第二次世界大戦が終わり、高度成長期ぐらいまでは工場の仕事がたくさんありました。工場の仕事や駅で切符を切る仕事などはASD(自閉スペクトラム障害)の人が向いていることがままあります。また、職人にもASD気質の人が多いです。
そういう意味では産業革命はある時期、発達障害の人に優しい部分すらあったようにも私は思います。
ただ、産業構造が変わって、例えばサービス業などの第三次産業の割合が増えれば、ADHD(注意欠如多動性障害)やASDの人が農業や漁業といった職に就ける確率は減っていきますよね。
そういう人たちでもデスクワークをしなければならなくなる。第三次産業が台頭していくにつれて人間同士のコミュニケーションをする必要性が出てきて、どんな職場においてもうまく溶け込まなければならないといった要請が労働者の側に立ち上がってきます。
そうなると、発達障害の方々はこの新しい状況についていけなくなりやすい。こうしてASDの人は自分にぴったりのリピート作業を奪われていった経緯があるのではないでしょうか」(熊代さん)


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