マンションを購入するという決断は、多くの人にとって人生で最も大きな買い物のひとつだ。資金計画を立て、家族と話し合い、将来を見据えて契約書にサインする。
しかしその直後に、同じマンションの同じタイプの部屋が大幅に値下げされたと知ったらどうだろう。
「販売者は、なぜ『もう少し待てば下がるよ』と教えてくれなかったのか」「差額を返してもらえないのか」――そんな思いがよぎるのは無理もない。
新築マンション価格は高止まりが続く一方で、郊外では高額ゆえに販売に苦戦する物件も出始めていて、価格調整が行われるケースもある。Xでは「都内人気エリアの新築マンションが1000万円値下げされた」という投稿が話題になるなど、関心を集めている。
購入直後の値下げは、多くの人にとって「納得しきれない出来事」だが、こうしたケースで差額の返金を求めることは、法的に可能なのだろうか。宅地建物取引士と管理業務主任者の資格を持つ貝吹仁哉弁護士に話を聞いた。(ライター・蜂谷智子/Asuamu)

「差額を返せ」は通用するのか?

「マンション分譲後の売れ残り住戸が値下げされたことを理由に、既購入者が差額を請求できると認めた裁判例は、ほぼありません」(貝吹弁護士)
バブル崩壊後にも同種の争いは起きたが、裁判所は「価格は市場原理により決まるべきもので、売買契約後に値下げ販売しないという信義則(相手の信頼を裏切らないよう誠意をもって行動すること)上の義務は存在しない」との立場を取っている。
つまり、契約時に価格に合意した事実があれば、その後の市場変動による値下げ自体は、違法とはならないのだ。
では、既に契約を結んだ購入者は、ただ指をくわえて見ているしかないのか…。実は、状況によってはまだ検討できる対抗策があるという。

引き渡し前なら「手付解除」制度も

売買契約を締結していても、まだ物件の「引き渡し」を受けていない段階であれば、「手付解除」という制度がある。
「手付解除とは、買主があらかじめ手付金を差し入れている場合、『相手方が契約の履行に着手』する前に、交付した手付金を放棄することによって、相手方に契約違反がなくても契約を解除できるという民法上の規定です。
『履行の着手』とは具体的には、物件の引渡し準備とその通知や、抵当権抹消登記の準備行為とその通知等をさします。これらがなされる前に手付を放棄することで解除が認められるということです。

実務上は、売買契約書等に手付解除の期限についての特約を定めていることが多いため、この点についても注意が必要ですが、分譲マンションの手付金は物件価格の5~10%くらいが相場ですから、それを大幅に上回るほど多額の販売価格の下落が生じている場合には、手付解除も選択肢になり得るかと思います」(貝吹弁護士)
たとえば、7000万円のマンションを購入し、手付金として10%の700万円を支払っていたとする。その後、同じマンションの別住戸が1000万円値下げされ、6000万円で販売された場合はどうか。買主は手付金700万円を放棄して契約を解除し、6000万円で買い直すことができる。手付金700万円を差し引いても300万円分は“オトク”になる計算だ。
もっとも、今のところ手付金を大きく上回るほどの値下げが行われるケースは稀だ。大抵は数百万円規模の値下げで、手付金と同程度か、それ以下に収まるのが一般的だ。
そのため、手付解除が選択肢となる場面はかなり限定的であるという。

効果的な交渉方法は「感情的にならないこと」

裁判をしても勝てる可能性は低い。手付金の放棄も現実的ではない。だとすれば実務上の落としどころは、どのようなところにあるのだろう。貝吹弁護士はこう語る。
「裁判例の蓄積からすれば、デベロッパーや販売会社側が素直に返金に応じる可能性は、極めて低いといえます。
自身の購入後まもなく大幅な売買価格の値下げがなされた場合であっても、管理費・修繕積立金の数年分の値引きや駐車場の優先権や利用料の減免、入居前であればキッチンやお風呂回りなどのグレードアップ等、オプション部分での埋め合わせを交渉するくらいが限度かと思われます」
そのうえで、交渉で重要なのは「感情的にならないこと」だと貝吹弁護士は続ける。

「『調停や裁判に持ち込むぞ』『消費生活センターに行くぞ』といった脅し文句は、不動産会社側の態度を硬化させるだけで逆効果になることが多いといえます。同じような理屈で、アポ無しで訪問したり、感情的に担当者を怒鳴りつけたり、SNSで拡散しようとしたりするのもやめた方がよいでしょう。
裁判になった時点で勝ち目は薄いのですから、少しでも譲歩や値引き代わりの提案を引き出せるよう、穏やかな交渉態度を心がけるべきです」
法廷での勝算が高くない以上、目指すべきは“全面勝利”ではなく、現実的な着地点だ。冷静な交渉こそが、実利につながる可能性を高める。

「損得」より「納得」が大事

貝吹弁護士は、交渉の際の戦略で参考になる裁判例として、東京地裁(平成21年)2009年11月26日判決が示した基準を挙げる。
「同判決は、同じような物件を一斉に販売しているケースについて、以下のような特段の事情がある場合には、信義則違反と認められる余地があるとの基準を示しています。
①値下げ後の価格が市場相場に比べて著しく低く、その結果、マンションの資産価値が大きく下がったといえる場合
②今後も同程度の価格で販売が続くと買主が信じても無理はないような説明や言動が、売主側にあった場合
ただし、多くの契約書や重要事項説明書には『市場動向等により価格が変更される場合がある』と記載されており、実際に信義則違反があったことを立証するのは、簡単ではありません」
交渉を考えるのであれば、当時の販売資料や価格表、担当者とのメール、面談時の録音など、「価格は維持される」と受け取れる説明があったことを裏づける資料を整理しておきたい。
不動産価格は水物で、高騰期に不動産を購入することは、価格変動リスクを引き受けるということでもある。たとえ自分の買った時より金額が下がっていたとしても法的な対抗手段は多くない。
しかし、だからといって「買い時を間違えた」と落ち込むのは早計ではないだろうか。住宅は資産である前に、日々の暮らしの基盤である。数字上の損得だけでなく、その家で得られる生活の質に目を向けることで、見えてくる納得感もあるだろう。

■Asuamu(アスアム)
ライター・編集者の蜂谷智子が主宰する編集プロダクション。「明日を、編む」をミッションに掲げ、消費される言葉ではなく人の温もりを宿す言葉を大切にしながら、取材・執筆・編集・撮影ディレクションまで一貫して手がけます。


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