車いすテニスに打ち込んでいた長野県塩尻市に住む小学生、鷲尾勇人(わしお・はやと)くん。友だちからは「わっしー」と呼ばれて親しまれていますが、難病を克服し「とある快挙」を成し遂げました。
私たちが勇人くんに初めて出会ったのは、2023年の4月。車いすテニスのジャパンオープンでした。
勇人くんは7歳のときペルテス病という大腿骨の頭の部分の血行障害で、骨が壊死してしまう病気になり足の自由が奪われました。
その後、車いすテニスに出会った勇人くん。憧れは小田凱人選手です。


(当時9歳の勇人くん)
「(今の目標は)小田選手みたいに声出しまくってやりたいです」
当時の勇人くんはちょっと照れ屋さん。試合ではポイントを取っても、控え目なガッツポーズ。小田選手のような気合の入ったプレーをするのが、この時の目標でした。
小田選手の試合をみて、同じポーズで雄叫びをあげる勇人くん。
次に勇人くんに出会ったのは同じ年の8月。小田選手がジュニアの選手に直接指導するイベントでした。
「Hey!Come on!」トップ選手のオーラを目の当たりに

(父・鷲尾裕一さん)
「トップにいる人の雰囲気とかオーラを目の当たりにして、受け身じゃなくて自分から発信するのが増えた」
(勇人くん)
「Hey!Come on!」
車いすテニスに真剣に取り組むようになった勇人くん。このイベントではMVPを獲得するほど成長をみせました。
なんと、立てるようになったのです!

(勇人くん)
「立てるようになってうれしい。やっと立てるみたいな」
治療の経過を父・裕一さんは…
寝る時も外さなかった“器具”
(裕一さん)
「骨に負荷をかけないように(歩行禁止)。歩かないように車いす生活、装具で一定の角度にして、骨をきれいにするという治療を続けた」

足を一定の角度に保つ器具で骨を綺麗にするという保存療法で生活し、寝る時も外すことはありませんでした。足を動かさないことで骨の再生・修復が促され去年1月に歩行の許可が出ました。
しかし、最初は…
(勇人くん)「力が入らないというか、体重が乗らないみたいな感じで、歩きたくても歩けないみたいな感じでした」
(裕一さん)「右足に体重を乗せることが怖くてできないのか、もう2年半やっていないからやり方を忘れちゃっているのか」

難病を“克服” 「50m走」は…8.6秒
それでも徐々に歩けるようになると2か月後には運動も解禁。少しずつ走ることもできるようになり、まさに難病を克服したのです。
(勇人くん)
Q.今50mは何秒ぐらいで走れる?
「8秒6ぐらいです」
Q.クラスで何番目に速い?
「クラスで3番目」
Q.めちゃくちゃ速いじゃん!
「いや…あんまり人いないんで(笑)」
今は両足でしっかり立ってテニスに打ち込んでいて、地元長野のテニススクールで日々練習に励んでいます。

(勇人くん)
Q.車いすテニスの経験は生かされていますか?
「メンタル的な部分も生かされていると思います。最初(病気に)なったときは辛かったので、それよりつらいなと思うことあまりないので、そういう気持ちでいけば(ほかのことは)あんまり辛くないですね」
(小澤健太郎コーチ)
「下半身使えないであのボールを車椅子テニスのときに打っていたので、上半身の筋力とか、ラケットの振り方とか、力強さっていうものが生かされていると思いますね」
勇人くんの本当の凄さはここからです。

錦織圭選手も輩出したアカデミーで“快挙”
あの錦織圭選手も輩出したIMGアカデミー。そこが主催する次世代の才能の発掘を目的とした大会の日本予選で見事優勝という快挙。名門アカデミーのアメリカ本戦へと出場を果たしました。
1回戦をストレートで突破しベスト8に進出しましたが、2回戦でおしくも敗退しました。

(勇人くん)
「もっと考えてやる。やみくもにずっとやるんじゃなくて、考えてプレーする」
今勇人くんが輝いているのは、車いすテニスを経験したからこそ。その財産を生かした更なる飛躍に期待です。

CBCテレビ「チャント!」2025年6月10日放送より