極寒の地で芽生えた80年越しの恋

にわかには信じ難いエピソードだった。それは、極寒の乾いた大地に咲いた一輪の花に好意を抱いた抑留者の恋とでもいうべきか。クリスタル・ターニャというロシア人女性と恋愛関係だったという。

「もう一度ターニャに会いたい」。戦後80年、自身の人生に終わりが近づいていることを感じているからこそ願う、最期のひたむきな恋愛感情だったのかもしれない。

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名古屋市内に住む長澤春男さんに、私が初めて会ったのは2022年の夏だった。あれから3年、何度彼に会い、電話で会話をしただろうか。今年3月に100歳を迎え、国からも自治体からも表彰を受けていた。

そのご長寿の長澤さんが、シベリアで抑留生活を余儀なくされていた時に、ロシア人女性からプロポーズされ、最終的にはその女性の両親から「娘と結婚してほしい」と懇願されたという話を聞いた。私は自分の耳を疑った。なぜなら、これまで幾度となくシベリア抑留者に取材してきたが、そのような類の話を聞いたことなど皆無だったからだ。

シベリアで出会ったロシア人女性との“禁断の恋” 100歳抑留者が初めて明かす戦後80年の秘密とは?【大石邦彦が聞く】
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相手は日本兵に過酷な労働を強いる立場のロシア人、抑留を主導した、ある意味加害者側のロシア人女性が捕虜の日本人にプロポーズするなどあり得ないと思っていた。しかし、それは紛れもなく真実だった。自身もこれまで80年間封印してきた逸話というが、本人の許しを得て、ここに解禁したい。知られざるシベリア抑留体験記として。

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反故にされた帰還と過酷な現実

1945年8月の終戦直前、満州に日本兵として駐留していた長澤さんは、日ソ不可侵条約を破ったソ連軍の攻撃を受け、捕虜として連行された。ソ連兵は「もう少し行けば、汽車が待っている。それに乗って港に行き、船で日本に帰れる」と何度も励ましてくれた。帰国を意味する「ダバイ」というロシア語は、今も脳裏に深く刻まれているという。しかし、どこにも海はなく、かわりに目に飛び込んできたのは雄大な山々だった。「励まされた」のではなく「騙された」と知ったのは、この後だった。日本に帰れるどころか、その後は3年にもわたる抑留生活が続くとは、誰一人として決して予測していなかっただろう。

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気づけば2か月の歳月が流れていた。辿り着いた地がロシアにあるシベリアだと聞いたのは、少しあとのことだった。「この場所でどんな暮らしが始まるのか」。想像もできなかった。すぐにラーゲリと呼ばれる収容所に入れられたが、まさか、ここから3年に及ぶ抑留生活が始まるとは思ってもみなかったという。

シベリアの過酷な労働と食糧難

季節は夏から秋に移り変わっていた。彼を最初に待ち受けていたのは強制労働で、手掘りでの採炭だった。

言ってみれば、炭鉱夫として強制的に働かされていたのだ。ツルハシで炭壁を掘り崩し、それをスコップで集めて滑車に乗せて運ぶという単純労働だった。しかし、季節が冬になるとシベリアの寒さが立ちはだかった。ツルハシを振るう手はかじかみ、握れない。さらに、ただでさえ硬い岩壁が、寒さで凍り、より硬くなっていたのだ。その硬さで、ツルハシの刃が跳ね返された。作業効率は悪くなり、課されたノルマを達成することができなかった。作業効率の低下は日々の食事にも跳ね返ってきた。ノルマを達成しないと、その罰として食事の量が減らされてしまうのだ。

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「それまで食事は朝晩2回で、少しの黒パンとニシンが配給されたよ」。しかし、その黒パンが何とも言えない食感だったという。口当たりに柔らかさなどなく、しかも水分量が少ないためか、パサパサで、最初口にした時は食えたものではなかったという。

ただ、それが主食で毎回配給されたため、嫌でも徐々に慣れていった。

食べるしかない“生臭いニシン” 起死回生の一手とは?

しかし、最後まで慣れなかったのがニシン。私は、この話を聞いた時は、そう悪くないメニューとも思ったが、詳しく内容を聞いて食欲は減退した。そのニシンは焼いたものではなく生なのだ。しかも、新鮮とは程遠い、臭いニシン。それを生のままで食べる。毎食、この食中毒リスクとの闘いでもあったが、食べないという選択はあり得なかった。なぜなら、この腐敗し始めているニシンであっても、貴重なタンパク源であり、それは陽が昇り始めたら確実に訪れる重労働の活力源になるからだ。どれだけのニシンを生で食べたであろうか。

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「食えたものではなかった」と表現した黒パンと生ニシンがセットだったが、ノルマを満たさないと減らされた。食事の量が減れば、入る力も入らない。そうなると、必然的に仕事の質は下がり、採炭の効率はみるみるうちに落ちていった。

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それに追い打ちをかけるような厳しい寒さも続いた。マイナス30度から40度の極寒のシベリアで凍傷になったり、体力が尽きて倒れたりする人も絶えなかった。「このままでは、こっちが参ってしまう。死ぬかもしれない」。追い込まれた彼は、ここであることを思いついた。それは、人生を大きく変えるきっかけでもあり、好奇心旺盛で、なんでもトライしてみようというバイタリティー豊富な彼だからこそなし得た起死回生の策だった。

「そうだ、ロシア語を覚えよう!」

この思いつきが、その後の抑留生活を劇的に変え、ターニャと出会うことになるとは知るはずもなかった(次回に続く)。

CBCテレビ 解説委員 大石邦彦

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