岐阜空襲からきょうで80年です。この空襲ではたったの一晩で900人もの命が奪われました。
(岐阜空襲を体験した 山田昌子さん 92歳)
「こんな日がくるとは…いつまでもこうでありたい」
7月9日、岐阜市役所で行われた式典。涙を流すのは山田昌子さん92歳。山田さんは13歳のとき岐阜空襲にあいました。
空襲があった場所は、閉店した岐阜高島屋の建物がある岐阜市の中心地。
ここに立派な映画館があり、にぎやかな町並みが広がっていましたが、80年前の7月9日、一夜にして焼け野原に。

(太田有咲記者)
「岐阜空襲では、2種類の焼夷弾が使われました。実物を近くで見ると、この大きさにとても驚きます」

アメリカ軍のB29爆撃機129機が投下した焼夷弾の数は約10万発。約8万5000人が家を失い、900人もの命が犠牲となりました。なぜたった一晩でこれほど多くの人が亡くなったのでしょうか。
「一家に一人は残って火を消せ」と指導
(岐阜市が制作した動画の音声)
「『防空法』という当時の法律が影響しました」
岐阜市がことし制作した岐阜空襲の概要をまとめた動画の中では、国に「一家に一人は残って火を消せ」と指導され、逃げ遅れた人が多くなってしまったと説明されています。

(空襲を体験した 岩田貞子さん 90歳)
Q:誰が家に残ったんですか?
「父です。一家の主だから、お父さんがいないとさみしい。

次の世代に語り継ぐ…平和への願い
そして7月9日午前、この岐阜空襲の惨禍を後世に語り継ぎ、多くの市民に平和の尊さを伝えようと行われた「平和の鐘式典」。
地元の中学生らを前に空襲経験者が当時の様子を語り、参加者約130人が黙祷を捧げました。当時、小さい弟と叔母と防空壕に逃げたという92歳の山田さん。

(空襲を体験した 山田昌子さん 92歳)
Q:涙の理由は何かを思い出したから?
「思い出すことよりも、きょうの平和のありがたさ。いま世界中がきな臭いでしょう。いつまでもこうでありたい。もう絶対に鉄の雨や火の雨が降らないように。若い人たちの頭上に。私たちの世代だけでもう十分です」

平和への願いは次の世代へ。平和の誓いをした中学生は。
(式典に参加した 中学1年生)
「『10代だから関係ない』と思わず、自分ごととして考えて、日頃から意識して生活していきたい」
「『平和にしたい』という気持ちはみんな一緒。
岐阜空襲から80年、未来への願いが街に響いています。





