中日ドラゴンズ・中田翔選手の引退試合から一週間が経った。打点王3回、ベストナイン5回、輝かしい成績が超一流選手だったことを物語っている。
引退後、多くの番記者が取材メモを記事にしたことからもわかるように「記録」にも「記憶」にも残る選手だった。その輪に加わるのはおそれ多いのだが、入社2年目、普段はCBCテレビのローカル番組「サンデードラゴンズ」のディレクターをしている私も、中田選手とのエピソードを書き残したいと思う。
出会いは衝撃の一言から
初めて取材をしたのは去年8月。当時1年目の私は二軍に降格した中田翔選手に「彼の今の思いを聞いてきて」と上司から指示を受けて、一人ナゴヤ球場に駆り出された。
プロ野球が好きだった私にとって中田選手はまさにテレビの中の人だった。そんな憧れの中田選手と話せる嬉しさと、自分に務まるのかという不安が入り混じるなか、練習終わりの中田選手に声を掛けた。すると。
「お前誰や、なんでお前に言わなあかんねん」
返ってきた言葉は衝撃の一言だった。怖すぎて、返答ができなかった。「え…あ……」頭の中がグルグル回り、数秒間口をパクパクさせているだけの私を見かねた中田選手は
「明日なら話聞いたるわ」
と一言残して帰宅していった。なんとか取材の約束はできた。だが、怖い。
再び中田選手から衝撃の一言が
朝いちばんでナゴヤ球場に出向き、何度も話しかけるシミュレーションをしていると、中田選手の車が来た。前日の記憶がフラッシュバックし、不安な気持ちが大きくなる。そして大柄の男が車を降りてきた。
「お前早すぎやろ。取材、練習終わりでええか」
このパターンのシミュレーションはしていなかった。呆気に取られている私に「なんか言えや」と中田選手は言う。「ハイ!お願いします!」めちゃくちゃ大きな声で返事をした。
そして練習後、中田選手は腰に対する不安、自分の今の気持ちを正直に話してくれた。「ありがとうございました!」取材後にお礼を言うと
「お疲れさん、編集頑張ってな」

怖いのか優しいのか分からなくなった。でもその人柄に強く惹かれた。だからここからは、かつてテレビで見ていた「中田選手」ではなく、あえて「中田さん」と呼ばせていただく。
若手ディレクターはファームの取材を担当することが多い。もれなく私もほぼ毎日ナゴヤ球場にいた。あの取材から2週間ほどが経ったある日、中田さんから話しかけられた。
「お前毎日おるな、何してんの?」「今日ホント暑いな」
気さくに話しかけてくれた中田さんと数分間、世間話をした。私にとっては夢のような時間。一生忘れることはない。今年に入ってからも「暑い中よう頑張ってるな」と声を掛けてくれる。ただただ怖かった初対面のときが、遥か昔のように感じられた。
自分にできる恩返しとは・・・
8月15日。「中田翔、現役引退」の一報が届いた。
その時こみ上げてきた感情は、「寂しい」だった。でもそれ以上に中田さんを最後まで応援するのが自分の仕事だと思った。

9月15日、中田さんが二軍で最後の試合に出るらしい。その日休みだった私は仕事抜きで、ナゴヤ球場へ足を運んだ。一軍での引退試合は別の仕事で見に行けないことがわかっていた。私は、ただのプロ野球ファンとして"中田翔"の最後の姿を自分の目で見たかった。
その試合、中田さんはショートフライに倒れた。でもフルスイングを見せてくれた。平田良介コーチから花束を受け取り、ベンチに帰る背番号6の姿はどこか晴れやかで、私の中にもこみ上げてくるものがあった。
確かに第一印象はすごく怖かった。だけど、名前も知らない若手ディレクターに気さくに話しかけてくれたり、取材をねぎらってくれたりしてくれた。それも球界を代表する超一流の「中田選手」がだ。そんな選手は他にもいるのだろうか、まだ2年目の私にはわからない。

私は今の仕事をすごく楽しいと感じている。中田さんのような、取材していて心奪われる選手のことを、視聴者に届けられるからだ。そう思わせてくれた人が球界を去る。
これからも中田さんと関わる機会はないだろうか。指導者か、解説者か、はたまた別の何かかもしれない。そうだ、まだチャンスがあるうちに、最後に取材がしたい。「中田さん、今後は何をされますか?」。
それでもきっと言われるんだろうなぁ。
「お前誰や、なんでお前に言わなあかんねん」