フィリピン中部のレイテ島。南北に細長く、中央に山岳地帯を持つこの島は、80年前、多くの日本兵が命を落とした場所でした。

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レイテ島では毎年、戦没者の遺族が慰霊の訪問を行なっています。

「父ちゃーん」
橋の上から遠くに向かって泣きながら叫ぶ男性。

(岐阜県に住む遺児・兼村正美さん 84歳)
「僕たちはいま、楽しく幸せに暮らしています。まだ日本は平和で繁栄しています。これも皆さんの犠牲があってのことです」

しかし、遺族の訪問はことしが最後。関係者が高齢化する中、戦争の“記憶”は、風化しつつあります。

軍歴照会で父親の戦火をたどる…約8万人がほぼ全滅 “何の意味もなかった戦い” フィリピン・レイテ島で最後の慰霊 友廣南実アナウンサーの大伯父も
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“大伯父が戦死”ことし初めて知った友廣アナ

一方で「記録」を元に、知らなかった親族の戦争をたどる若い世代も。

友廣南実アナウンサー24歳。戦後80年のことし、遠い親戚が戦死していたことを、初めて知りました。祖父の兄 静雄さん。

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どこでどう亡くなったのか、詳しいことは家族の誰も知らず、調べることに。都道府県が管理する旧日本陸軍の個人情報を、「軍歴照会」という制度で開示請求し、届いたのが9枚の資料。手書きで、どこで何をしていたのかが記されています。



そこには長く戦争に関わった、静雄さんの人生が。

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最後を迎えたのは“ブラウエン飛行場”

1937年、日中戦争に従軍。

(友廣)
「11月9日、ツヤ子さんと結婚」

1939年に一旦兵役をとかれ26歳で結婚。子どもも授かりましたが、その誕生を見ることなく、太平洋戦争で再び招集されフィリピンへ。

(友廣)
「死亡時の所属部隊が、歩兵9連隊というところだったみたいです。死亡場所はレイテ島ブラウエン飛行場となっています」

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静雄さんは、ブラウエン飛行場という場所で最期を迎えたとありますが…

(友廣)
「レイテ島…このなかのブラウエン飛行場というところ。このバーオーアン(Burauen)、ローマ字が「ブラウエン」とも読めます。8月15日以降がどこにも書いてないですね。軍歴が詳しく書いてあるこの紙も、昭和17年で終わってしまってそれ以降は空欄なんですよ、何していたんだろう静雄さん」

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同じ場所で父親を亡くした遺族を訪ねると…

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日本遺族会に連絡をとり訪ねたのが、福岡県に住む大江ヒロミさん87歳。大江さんの父親も、ブラウエン飛行場で戦死した一人です。

(大江ヒロミさん)
「レイテ島は幻の島だったのね。私が4~5歳の時に出征し、抱かれた記憶も言葉を交わした記憶もない。顔もおぼろにしか覚えてないから、お父さんは、レイテ島のブラウエン。父親=レイテ島ブラウエン。

それしか情報がなかったから」

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大江さんが父親の最期を調べていたところ、戦没者の遺族から貴重な資料を託されました。それは、父の名前が載った部隊の業務日誌。
(友廣)
「中隊長と書いてあります」
(大江さん)
「飛行場を作っていて完成して、8月に遊軍機がたくさん来て万歳した。その飛行場は一度も使われることなく、アメリカに占領されてしまった」

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「もしかしたら守れた命だったかもしれない」

(友廣)
「私の大伯父の静雄さんは、歩兵9連隊というところに所属していたんですけれど」

(大江さん)
「12月の戦死なら、レイテ島の脊梁山脈が連なっている。この山ににいた人たちが、奪回作戦でブラウエンに行って、12月に亡くなった」

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太平洋戦争の序盤、日本はフィリピンを占領支配していましたが、その後アメリカ軍の猛攻を受け戦況は悪化。

ブラウエン飛行場など、日本軍が作った3つの航空拠点を奪われ、その奪回作戦が1944年12月に行われたのです。

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しかしアメリカは物量で圧倒。多くの日本兵が山岳地帯に追い込まれますが、「生きて虜囚の辱めを受けず」という、いわゆる「戦陣訓」が掟だった当時の日本兵は、降伏することもせず戦い続け、約8万人がほぼ全滅したのです。

(大江さん)
「奪回作戦は何の意味もなかったと書いてあるでしょう」

(友廣)
「私の大伯父の静雄さんはここで命を落としたけれど、もしかしたら“守れた命”だったのかもしれない」

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20年ぶりに父が亡くなったレイテ島を訪問

12月13日、大江さんはレイテ島に。毎年遺族会が行なっている、慰霊訪問に参加していました。現地訪問は20年ぶりですが、高齢になる中、今回は娘の満里さん(57)と一緒に参加。戦争の事実を引き継いでいくためです。

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(大江さん)
「やっと父親に辿り着けた。若い人にも悲惨なことがあったと繋いでほしいと思います」

(娘 満里さん)
「海や山を見ても、人がたくさん死んだんだと思うと、今の穏やかさも違うものに感じる」

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遺族の高齢化も進み、ことしで最後の慰霊に

戦後80年が経ち遺族の高齢化が進む中、現地訪問はことしで最後となりました。飛行場跡の慰霊碑の前で、追悼文を読み上げる大江さん。



「304名の中隊の名簿を携えて、最後の慰霊に参りました。想像を絶するご苦労の末、散華された多くの方々。それぞれの家で、大事な方であったに違いありません」

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大勢が戦死した飛行場の跡地は、小学校や田んぼに変わっています。

(大江さん)
「もう来られないからね。一緒に連れて帰る。父のことばかり考えていたら、レイテ島の人たちが一番迷惑よね。アメリカと日本がやってきてバンバン戦って…。そういうことにも、思いを致さないといけませんね」

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日本陸軍の慰霊碑をフィリピン人が建立

島の東海岸に、日本ではアメリカの占領統治の責任者として知られる、ダグラス・マッカーサーの銅像が立っています。フィリピンでは最高司令官として、日本の支配から島を解放した英雄の扱いです。

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アメリカ軍の記録では、レイテ島攻略は、飛行場の占領で東アジアの制空権を抑えて、日本への石油の供給を断つための計画で、狙い通りこの戦い以降日本の戦況は急速に悪化していきました。

(資料館ガイド)
「この写真は陸軍大尉の山添勇夫さんです。山添大尉はゲリラ戦で亡くなりましたが、原住民に友好的だったので、戦死後にフィリピン人が記念碑を建てました」

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街のあちこちにある慰霊碑

現地では、学生たちがレイテ島の戦いを伝え、日本人が建てた慰霊碑もあります。そこには友廣アナウンサーの大伯父、静雄さんが所属していた、歩兵第9連隊の名が残されていました。

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街のあちこちに、慰霊碑が。



(住民)
Q.あなたがこの慰霊碑を管理している?
「はい、これは来場者名簿です。ここに来る日本人は優しくて会話も楽しいです」
Q.第2次世界大戦を知っていますか?
「知りません。ごめんなさい」

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戦争は“自分事” 戦火の記録をたどってみて…

太平洋戦争の戦跡が、今は重要な観光資源にもなっているレイテ島。島そのものが、あの戦争の記憶と記録です。

現地には仕事で行けなかった友廣アナ。映像を見て…

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(友廣)
「自分の子どもの顔を見ずに亡くなった、その資料を見ただけで私は胸がぐっと痛くなったんですけれど、でも、レイテ島に向かった方々の話を聞いていると、『お父さんの顔なんて見たことがない』という人がたくさんいて。戦争はずっと遠い昔の話と思っていたけど、そんなことは全然ない。“自分の家族が戦死した”ということで、どんどん調べて何よりも一番感じたのは、戦争は“自分事”なのだと捉えられるようになった」

これからの時代を「戦前」にしないため、どう戦争の悲惨さを共有していくのか、戦後80年を迎えた日本の課題です。

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