個人が持つ知識や技能、能力、資質などを、付加価値を生み出す資本と見なし、投資の対象とする考え方の「人的資本」。近年の急激なビジネス環境の変化に伴い、企業経営において、人的資本の考え方は重要性を増しています。
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【日本語訳】ISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)の管理項目
人的資本の定義について
人的資本とは、企業を構成する「人材」を、投資によって価値を創造することができる「資本」と捉えた概念のこと。教育と経済成長の因果関係を明らかにする経済学で使われてきた言葉です。英語では、「Human capital」と表現します。教育や訓練、経験により蓄積された知識や技能は労働生産性向上に寄与するため、人材は資本であり投資の対象となるというのが、人的資本の考え方です。従来の概念である、人材を「資源」と捉えて管理する「人的資源」とは相反する考え方と言えます。
人的資本経営とは?
人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出す経営のことです。中長期的な企業価値向上につなげる経営の在り方として、注目されています。
資本とは?人的資本とその他の資本の違いとは?
そもそも「資本」とはどういったもので、人的資本とその他の資本は何が違うのでしょうか。資本の定義や、人的資本とその他の資本との違いについて、ご紹介します。
資本とは資本とは、基本的に「投資」の対象となるものです。資本に対して投資を行うことで、将来の価値を増幅できると考えられています。資本には、土地や建物、機械、貨幣などの有形財産からなる「有形資本」と、従業員の有する特殊な技能や特許権、著作権といった無形財産からなる「無形資本」があります。
人的資本とその他の資本の違いは人的資本は、「無形資本」に属します。
無形資本の標準的な分類方法によると、人的資本に加え3つの無形資本に分類できます。「知的資本」は、特許権や著作権といった組織的な知識ベースの資本のこと。「社会・関係資本」は、個々のコミュニティや多様なステークホルダーとの関係において、個別的・集合的幸福を高めるために情報を共有する能力を指します。そして、「自然資本」は、空気や水、土地、鉱物、森林など、再生可能および再生不可能な環境資源およびプロセスなどが当てはまります。
企業は、人的資本を含めた6つの資本がどのように増減して相互に影響しあっているかを把握し、外部とコミュニケーションしていく必要があると考えられています。

(参考:国際統合報告評議会〈IIRC〉『国際統合報告フレームワーク日本語訳』)
ISO30414とは
ISO30414とは、人的資本の情報開示に関する国際的なガイドラインです。2018年12月、スイスのジュネーブを拠点とする国際標準化機構(ISO)によって、発表されました。ISOは、国際的に通用する商取引を行うためのさまざまなルールを標準化・規格化している非政府機関です。
ISO30414では、「人的資本の情報開示」を、企業の人材戦略を定性的かつ定量的に社内外に向けて明らかにすることと定義しています。人的資本を可視化する「コスト」「組織文化」「採用」などの項目がガイドラインとして設けられていますが、ISO30414には認証制度や適用義務はありません。
ISO30414の目的は大きく2つあります。1つ目は、「組織や投資家が人的資本の状況を定性的かつ定量的に把握すること」です。ISO30414の策定によってこれまであいまいだった基準が明確になり、人的資本を定量化しやすくなりました。基準化・定量化により、「社内での比較」や「他社との比較」もしやすくなっています。
2つ目の目的は、「企業経営の持続可能性をサポートすること」です。ISO30414には、人的資本の状況を定量化し、組織への影響に対する因果関係を明らかにする狙いがあります。人的資本の状況をデータ化することで、従業員の貢献度を最大化するための戦略を練りやすくなり、企業の持続的な成長につながると考えられています。
人的資本の指標「11領域」についてISO30414には、11領域49項目が記載されています。具体的な内容を下の表にまとめました。
(参考:ISO30414『Human resource management — Guidelines for internal and external human capital reporting』)
各項目の詳細については、こちらからご確認ください。
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【日本語訳】ISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)の管理項目
なぜ今、人的資本の開示が求められているのか?
世界的に人的資本開示の機運が高まりを見せていますが、それはなぜでしょうか。人的資本の開示が求められている背景を見ていきましょう。
ESG投資への関心の高まり
人的資本の開示が求められるようになった背景として、ESG投資への関心の高まりが挙げられます。ESG(イーエスジー)とは、「Environment(環境)」「Social(社会)」「Governance(ガバナンス)」の頭文字を取ってつくられた造語です。2006年、当時の国連事務総長コフィー・アナン氏は、「責任投資原則(PRI)」の中で、投資判断の新たな観点としてESGを紹介しました。近年は企業が長期的に継続して成長するために、「二酸化炭素の排出量の削減」「ダイバーシティの推進」「積極的な情報開示」など、ESGに取り組む必要があると考えられています。
ESG投資は、企業の財務指標だけを見るのではなく、「環境への配慮や社会と良好な関係を築けているか」「企業の統制がきちんと取れているか」といった非財務指標も加味して投資を行います。そのため、「Social(社会)」に該当する企業の人的資本について、開示が求められているのです。
(参考:『【5分でわかる】ESG・ESG投資とは?ー選ばれる企業になるために必要な経営戦略ー』『パーパス(purpose)とは?注目される理由や「パーパス経営」「パーパスドリブン」などの関連用語をわかりやすく解説』)
人的資本の重要性が増している
米国証券取引委員会は、2019年に『Recommendation of the Investor Advisory Committee Human Capital Management Disclosure March 28, 2019(投資家諮問委員会の勧告 人的資本管理の開示 2019年3月28日)』を発表しました。その中で示された、米国の代表的な株価指数「S&P500」の市場価値の構成要素をみると、1975年当時は有形資産の割合が8割を超えており、有形資産の保有状況が重視されていたことがわかります。しかし、1990年代には無形資産の割合が7割近くにまで増加しました。2000年以降は無形資産の割合が8割を超えており、リーマンショックを契機に、この流れが加速したと考えられるでしょう。増加傾向が続く無形資産の中でも、とりわけその重要性が増しているのが、人的資本だと言われています。

(参考:米国証券取引委員会『Recommendation of the Investor Advisory Committee Human Capital Management Disclosure March 28, 2019』をもとに作成)
人的資本の開示を巡るグローバル、日本の動き
ここからは、人的資本の開示について世界と日本で起きている潮流に目を向けてみましょう。
欧州、米国におけるトレンド
特に環境保護やサステナビリティへの関心が高い欧州諸国では、米国に先駆けてESG投資が浸透しつつありました。その過程で、人的資本開示の機運も一層高まりを見せました。また、2008年のリーマンショックを機に、米国においても同様の動きが進むようになります。背景には、モノづくりからサービス提供へと産業構造が変化し、人や研究開発といった無形資産への投資が進む中で、企業価値が財務情報だけでは判断しづらくなったことがあります。
人的資本の開示を巡る、この他の動きについてご紹介します。
2018年12月/「ISO30414」を策定国際標準化機構(ISO)が2018年12月に策定したISO30414に基づき、欧州の一部企業では、ISO30414に準拠した形で人的資本情報の開示を開始。今後はISO30414が世界標準となっていくことが予想されます。
2020年8月/米国証券取引委員会(SEC)が「人的資本に関する情報開示を義務化」ESG投資への関心の高まりなどを背景に、2020年8月に米国証券取引委員会(SEC)が米国の上場企業に対して人的資本の開示を義務化しました。人的資本の開示により、これまで財務指標だけでは見えてこなかった、企業の「人材投資の状況」「人材の流動性」「ハラスメントリスク」などの可視化にもつながっているようです。
欧米の後を追いかける日本
ESG経営の本格化に対して、日本は欧米に後れを取ってしまいました。背景にはリーマンショックの影響があります。リーマンショック以降、多くの日本企業では財務状況の悪化を受け、企業の社会的責任に関するCSR予算を削減せざるを得ませんでした。そのため、環境や社会問題そのものへの取り組みを弱めてしまうことになります。しかし、欧米での機運の高まりを受け、2020年代に入ると、日本でも官公庁が主導となり、人的資本開示への取り組みが進むことになります。代表的な2つの出来事を解説します。
2020年9月/「人材版伊藤レポート」の発行2020年9月、経済産業省は『持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書~人材版伊藤レポート~』を発表。
2021年6月に施行された「改訂版コーポレート・ガバナンスコード」において、「人的資本に関する開示・提示」と「取締役会による実効的な監督」が求められるようになりました。現時点では開示項目として明示されていないものの、持続的な成長につながるように「人的資本や知的財産へ経営資源を配分し監督すべきこと」「人的資本や知的財産への投資を適切に開示すべきこと」が示されています。
(参考:『【3分でわかる】ガバナンスとは?コンプライアンスとの違いと企業がすべきこと』『【弁護士監修】サクセッションプラン(後継者育成計画)とは?導入の目的・手順や企業事例をご紹介』)
日本における人的資本の開示状況について
経済産業省が発表した『持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書~人材版伊藤レポート~』によると、日本企業の統合報告書において提示されているKPI(主要指数)のうち、非財務KPIが占める割合は増加傾向にあります。人的KPIが占める割合も増加傾向にあり、今後ますます増えていくことが予想されます。下の右側のグラフにある通り、人的KPIの上位3項目は、「従業員数」「女性管理職数・比率」「女性職員数・比率」です。「女性管理職数・比率」「女性職員数・比率」は上昇傾向にあり、人的資本の中でも、投資家からの関心が特に高い項目であることがうかがえます。
企業における人材関連情報の発信状況

(参考:経済産業省『持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート~』)
参考にしたい人的資本の情報開示事例
日本企業において人的資本の情報開示とは、どのように行われているのでしょうか。金融庁が発表している「記述情報の開示の好事例集2021 『サステナビリティ情報』(2)『経営・人的資本・多様性等』の開示例(2021年12月21日)」から企業事例を3つピックアップして、具体的な開示内容をご紹介します。
三浦工業株式会社:女性の登用に向けた取り組みについて定量的な情報を含めて記載
三浦工業株式会社は、特に女性従業員のキャリア形成について支援強化を継続しています。女性管理職比率目標を3%と掲げ、役職者登用の拡大と育成強化を推進しているそうです。2021年3月期の有価証券報告書では、女性の登用に関する情報として「直前5カ年の女性役職者数および比率」を開示しました。
直前5カ年の女性役職者数および比率
※1 女性役職者比率は、同社の全役職者に対する女性の割合を記載しています。
※2 女性管理監督者比率は、同社の全管理監督者(課長以上)に対する女性の割合を記載しています。
第一生命ホールディングス株式会社:ダイバーシティの推進に関する情報として「非財務情報ハイライト」を開示
第一生命ホールディングス株式会社は、 女性が活躍できる環境の構築がダイバーシティの推進、ひいては企業価値の向上に資するとの認識から、意識・風土の改革、能力開発の充実、ワーク・ライフ・マネジメントの推進を3本柱として取り組んでいます。2021年3月期の有価証券報告書では、「非財務情報ハイライト」を開示し、定量的な情報も含めて記載しています。
非財務情報ハイライト
※2 2021年4月時点、同社および国内生命保険3社合計、営業部長・機関担当のオフィス長・オフィス長代理を含む
※6 2020年6月1日現在、持株会社および第一生命(キャリアローテーション者を含む)・第一生命情報システム・第一生命ビジネスサービス・第一生命チャレンジドの合計
※7 2021年3月末時点、海外子会社5社合計
※8 2021年3月末時点、持株会社および第一生命(キャリアローテーション者を含む)の合計
アンリツ株式会社:エリア別の幹部職に占める女性の割合の推移状況を含めて記載
アンリツ株式会社は、従業員の採用において、技術職、事務職を問わず、外国籍人財の他ジェンダー平等に配慮した人財の採用を進めています。2021年3月期の有価証券報告書では、当連結会計年度末時点におけるグローバルにみた女性の活躍状況を開示。ジェンダー平等に関する取り組みについて、エリア別の「幹部職に占める女性の割合」の推移状況を含めて記載しています。
幹部職に占める女性の割合(女性幹部職数÷全幹部職数)(単位:%)
※ EMEA(Europe, Middle East and Africa): 欧州・中近東・アフリカ地域
まとめ
ESG投資への関心の高まりやISO30414の策定などを背景に、人的資本の開示の動きが進んでいます。人的資本の開示は、「企業活動において、人的資本に対する投資が健全に行われているかどうか」や「継続して成長が見込める企業であるか」を内外に示すために、企業として行うのが望ましいとされている対応です。今回ご紹介した企業事例などを参考に、自社の人的資本開示に向けた取り組みを始めてみてはいかがでしょうか。
(制作協力/株式会社はたらクリエイト、監修協力/弁護士 藥師寺正典、編集/ds JOURNAL編集部)