【あいち銀行】2025年の先陣を飾った合併|ご当地銀行のM&A

愛知県名古屋市に本店を置くあいち銀行は、2025年1月1日に愛知銀行と中京銀行が合併して誕生した。青森銀行とみちのく銀行が合併して誕生した青森みちのく銀行とともに、最も新しいM&Aによって誕生した地銀の一つだ。

まず、前身である2地銀のM&Aを振り返ってみる。

相銀時代に2信組のM&Aを経験した愛知銀行

存続銀行である愛知銀行は、1910(明治43)年9月に設立した日本貯蓄興業という会社にさかのぼる。1916(大正5)年10月には名古屋無尽に改称。1942(昭和17)年2月に当時の愛知無尽と合併し、新たに愛知無尽として発足した。

このとき合併した愛知無尽は、1918年6月に設立した大正無尽を起源とし、翌1919年3月に愛知無尽に改称した組織である。その後、1944年5月には愛知無尽、勧業無尽、東海無尽による3社合併を行い、愛知合同無尽が誕生した。

愛知合同無尽は1948年2月、中央無尽に改称。さらに1951年5月の相互銀行法の制定に伴い、同年10月相互銀行に転換し、中央相互銀行に改称した。昭和の中・後期に相互銀行として営業を続け、その間、1971年4月に昭和信用組合を、1973年4月には品野信用組合という2信組を合併して基盤を拡大した。

1989(平成元)年以降、相互銀行法がなくなることに伴って全国の相互銀行が第二地銀に転換していくが、中央相互銀行は同年2月に普通銀行へ転換し、愛知銀行となる。そして愛知銀行としてのM&Aはないまま2024(令和6)年12月に中京銀行との合併認可を受け、2025年1月1日にあいち銀行として新たな歩みを始めた。

中京銀行は2信組・1信金とのM&Aを経験

この合併に関わる1行である中京銀行は、もともとは愛知県の隣県である三重県を地盤に成長してきた。1927(昭和2)年10月に設立した三重殖産無尽(本店は現伊賀市・名張市)と、1926年7月に相互無尽から改称した三重相互無尽が1941年10月に合併して誕生した八紘無尽(津市)が源流である。

この三重相互無尽はもともと1918(大正7)年2月に設立された北勢無尽であったことから、三重県でも愛知県に近い北勢地域に地盤があった金融機関だ。

八紘無尽はその後1943年に紀勢無尽と合併し、1948年1月には太道無尽と改称した。太道無尽としては同年7月、名古屋市を拠点とする宝無尽を買収。1951年10月相互銀行に転換し、太道相互銀行となった。

太道相互銀行は三重県に本店を置いていたが、1964年2月愛知県に本店を移す。太道相互銀行としては1969年5月に名古屋信用金庫を合併し、中京相互銀行に改称した。

中京相互銀行としては1970年11月に海部信用組合を、1972年4月に名古屋商工信用組合を合併。そして1989年2月に普銀に転換して中京銀行に改称し、2025年1月1日にあいち銀行となった。

あいち銀行の前身である愛知銀行と中京銀行は、ともに無尽→相銀→第二地銀の道を歩み、その過程ではともに信組とのM&Aを経ている。

あいちフィナンシャルグループ内での合併劇

愛知銀行と中京銀行は2022年10月に設立されたあいちフィナンシャルグループ(あいちFG)<7389>の一員。あいちFGは両行が共同株式移転を行うことにより設立した金融持株会社で、同グループの設立以降、両行はその子会社の位置づけだった。

その両子会社が合併することで、1フィナンシャルグループ・1銀行というスタイルになる。資本金180億円、預金残高5兆9,457億円、貸出金4兆8,547億円、職員数2,303名、190店舗の金融機関(2025年3月時点、同行ホームページより)。

東海3県の地銀では十六銀行(岐阜県)、百五銀行(三重県)に次ぐ規模になり、愛知県を地盤とする地銀は、あいち銀行と名古屋銀行の2行に集約された。

合併初年を終え確かに規模は拡大したが、一方で店舗再編や業務効率化などを進めているため、合併効果は未知数だ。あいちFGとしては、顧客のニーズに応じたコンサルティング機能を発揮し、地域企業の本業支援や資産形成のサポートなど銀行業を超えたトータルサポートのほか、スタートアップ支援の強化などをめざしている。

文・菱田秀則(ライター)

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