2026年を駆け抜けろ!  ウマ年の神社3選㊤…名馬「池月」の千束八幡神社(東京・大田)

2026年は「午年(うまどし)」。躍動の象徴である馬。

人々は移動や農耕、戦いをともにしてきた。神社でおなじみの絵馬の奉納は大切な願いを馬に乗せて届けることに由来する。「無事これ名馬なり」の格言も。馬にまつわる、おススメ神社を3回シリーズで紹介する。

別名「旗揚げ八幡」、頼朝の故事に由来

閑静な住宅街にあって、都内屈指の広さを誇る洗足池(東京都大田区南千束)。千束八幡神社はその西側の池畔に建つ。

創建は860年。宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請を受け、洗足池周辺の鎮守となったことに始まる。勧請元の宇佐神宮が全国に4万以上ある八幡神社(主祭神は応神天皇)の総本宮であることは言うまでもない。

千束八幡神社の別名は「旗揚げ八幡」。日本初の武家政権を樹立することになる源頼朝の故事に由来する。

源氏再興を期し、頼朝が伊豆で挙兵したのは1180年。石橋山の合戦に敗れ、安房(千葉県南部)に逃れたが、再起して東国武士団を糾合し、鎌倉入りを果たした。

途中、洗足池の近くに陣を張った頼朝が戦勝を祈願したと伝えられている。

2026年を駆け抜けろ!  ウマ年の神社3選㊤…名馬「池月」の千束八幡神社(東京・大田)
860年に創建されたと伝わる「千束八幡神社」

名馬「池月」伝説の始まり

ある月明かりの夜、一頭の馬が陣営に現れた。いななく声は天地を震わすほどで、その青毛は池に映る月光のように輝いていたことから、「池月」と命名された。

池月はその後、頼朝の家臣の佐々木高綱に与えられた。宇治川の合戦(1184年)で、同じく鎌倉軍配下で磨墨(するすみ)にまたがる梶原景季と先陣を争い、一番乗りを果たしたという。名馬・池月伝説の始まりだ。

2026年を駆け抜けろ!  ウマ年の神社3選㊤…名馬「池月」の千束八幡神社(東京・大田)
洗足池を見つめる「名馬池月」像

境内には現在、躍動感あふれる池月の銅像(1997年完成)が立ち、洗足池を見つめる。その視線の右手には、真ん中が半月形に反った三連太鼓橋「池月橋」が架かり、風情を添える。毎年5月には和楽器の演奏イベント「春宵の響き」が池月橋をステージに開かれている。

すでに述べた通り、神社は1200年近い歴史を持つ。その来歴から、豪華な社殿や建物を想像するかもしれないが、実物はいたって質素かつ簡素。境内もさほど広くはない。何より、古色蒼然とした佇まいが印象的だ。

散策がてら、一度は足を延ばしてみたい。

2026年を駆け抜けろ!  ウマ年の神社3選㊤…名馬「池月」の千束八幡神社(東京・大田)
三連太鼓橋…洗足池に架かる「池月橋」

別荘を構えた勝海舟の記念館も

洗足池の一周は約1.2㎞。歩いて20分ほど。野鳥の観測に適しているうえ、桜や紅葉の名所としてにぎわう。池にはボート乗り場もある。

池の周辺で立ち寄ってみたいのが「大田区立 勝海舟記念館」(要入館料)。幕末・明治維新の立役者である海舟の功績と足跡、そして洗足池とのかかわりをさまざまな史料とともに知ることができる。

海舟といえば、徳川の幕臣として、「江戸無血開城」を西郷隆盛との会談で実現し、江戸を新政府軍との戦火から守った偉人。晩年、洗足池のほとりに別荘を構えた。自身の墓所もこの地にある。

最寄り駅は東急池上線・洗足池駅。目の前に洗足池が広がり、5~6分歩くと、お目当ての千束八幡神社に着く。


【M&A速報、コラムを日々配信!】
X(旧Twitter)で情報を受け取るにはここをクリック

【M&A Online 無料会員登録のご案内】
6000本超のM&A関連コラム読み放題!! M&Aデータベースが使い放題!!
登録無料、会員登録はここをクリック

文:M&A Online

編集部おすすめ