【ことでん】復活なるか!? “讃岐の阪急”|産業遺産のM&A

四国地方を代表する私鉄「ことでん」。正式な社名は高松琴平電気鉄道といい、バス・タクシー事業を行う「ことでんバス」、駅業務の受託やコンビニエンスストア業務を行う「ことでんサービス」、ゴルフ場経営の「高松グランドカントリー」などの関連会社を擁し、「ことでんグループ」を経営している。

グループの中核企業、高松琴平電気鉄道の創業は1943(昭和18)年11月。昭和の創業と思われるが、実は明治・大正・昭和期にかけて讃岐地方で路線を広げたいくつかの鉄道会社の合併を経て誕生した。

前身のうち最も古い会社は高松電気軌道で、創業は1909(明治42)年10月。そこから数えると、110余年の歴史をもつ。それだけに、2009年2月には、車両3両、橋梁、駅舎、回転変流機(平木変電所跡)などの施設9箇所が、経済産業省の近代化産業遺産群に認定されている。

国策である交通統制に沿って統合した3社

 高松琴平電気鉄道は現在の琴平線を走る琴平電鉄、長尾線を走る高松電気軌道、志度線を走る讃岐電鉄の3社3路線が、1943年、当時の国策である交通統制に沿って統合して誕生した。その3社3路線の歴史を辿ってみる。

最も古い高松電気軌道は1909年10月設立で、1912年4月に路線が開業している。

二番手の讃岐電鉄は1910年5月に東讃鉄道として創業し、1911年11月に路線が開業した。だがその後、1916(大正5)年12月に四国水力電気と合併する。そして昭和初期にかけて電力会社が統合する中で鉄道部門は分離独立。1942(昭和17)年4月に讃岐電鉄として創業し、東讃鉄道の路線を引き継いだ。

三番手の琴平電鉄は1924年7月の創業で、1926年12月に路線を開いた。

ところが1938年7月に塩江温泉鉄道と合併して塩江線となり、その塩江線が1941年4月に廃止となった。路線はもとの琴平電鉄が引き継ぐことになる。

こうして讃岐地方を東と西と南へ “3社3様”の事業展開を経て、1943年11月に高松琴平電気鉄道は誕生した。

発足当時の東讃電気軌道と高松電気軌道はともに電車線の電圧が600Vと低く、車両は単台車の小型車両で、いわば軽便鉄道、遊覧電車として走っていた。一方、琴平電鉄は電車線の電圧が1500V、車両は半鋼製のボギー車を使用した本格的な郊外電車として運行した。琴平電鉄は運行当初は関西の大手私鉄の技術・車両、また駅周辺の開発などを学び、活かしたことから「讃岐の阪急」とも呼ばれたという。

高松城の堀の一角、JR高松駅にも近い高松築港駅が開業したのは1948年12月のこと。当時は「築港」駅と称し、1954年1月に「高松築港」駅に改称した。

【ことでん】復活なるか!? “讃岐の阪急”|産業遺産のM&A
高松城の堀の一角に開業した高松築港駅
高松城の堀の一角に開業した高松築港駅

バス路線もM&Aを重ねる

グループ会社もM&Aの観点からは多彩だ。

まず、ことでんバス。1950年12月に高松バスとして創業した。1954年11月には高松琴平電気鉄道と運輸協定を結び、琴電バスと高松バスの市内線の相互乗車を実施する。その後、1961年3月に高松琴平電気鉄道の関連会社になった。

1986年4月には高松琴平電気鉄道からバス部門を譲渡され、商号をコトデンバスに変更。翌1987年6月には大阪と高松を結ぶ高速バスの大阪コトデンバスを合併し、1988年12月にコトデンバス・琴平参宮電鉄・大川自動車の共同出資により四国高速バスを設立した。

ところが2001年12月、高松琴平電気鉄道とともに高松地裁に民事再生法適用を申請。そして2005年6月、商号をことでんバスに変更した。

再生を図りつつ、2018年8月には徳島西部交通を吸収合併する。また、2019年4月に、ことでんサービスよりタクシー事業(ことでんタクシー)を譲り受けている。

またグループ会社にはことでんサービスがあるが、同社は2004年に旧・コトデンタクシーとビルメンテナンス業の北四国総業が合併した会社であり、源平の合戦で有名な屋島を走る屋島ドライブウェイというグループ会社も、 2017年に有料道路事業から撤退している。

民事再生法適用後、新たな展開!

 「ことでん100周年」によると、これまで高松琴平電気鉄道としては、バス会社16社を統合したとされる。この交通網の整備により、自社バスと電車で高松市を中心とした周辺町村地域を縦横に結ぶようになった。まさに「讃岐にことでんあり」である。

高松琴平電気鉄道のターニングポイントは、やはり前述の民事再生法適用を申請した2001年12月である。経営が厳しくなったのは昭和40年代のモータリゼーションの波を受けてからだとされる。

1974年をピークにして鉄道の輸送人員は年々減少傾向を続け、前述のとおり1986年4月にはバス部門を分離している。

結局、2001年12月には民事再生法の適用を申請した。この背景には鉄道3線の拠点である瓦町駅の近代化計画が予定どおり進まなかったことがあったとされている。

拠点駅である瓦町駅に駅ビル(コトデン瓦町ビル)を建て、百貨店を開くことを考え、そごうグループと提携した。そごうが出資してテナントとして入るかたちで「コトデンそごう」を開店。構想自体は1970年代からあったようだが、コトデンそごうのオープンは1997年4月だった。

だが、バブル景気が崩壊して思うように業績は伸びず、コトデンそごうも2001年に閉店した。

新経営陣のもと、「新生ことでん」として再出発したのは、2002年8月のこと。コトデン瓦町ビルも、2015年10月には複合商業施設「瓦町FLAG」として生まれ変わった。瓦町FLAGは今年、10周年を迎えた。

近代化産業遺産群の認定当時、「ことでん」は高松市LRT構想で揺れていた。LRTとは、ライトレールトランジットのことで、日本でも、広島電鉄宮島線、京福電気鉄道(嵐電)、東急世田谷線、阪堺電気軌道、筑豊電気鉄道、江ノ島電鉄、富山地方鉄道富山港線、宇都宮ライトレールなどで利用されている(規格の認定によって異なる)。

まさに110余年の歴史の中で、残すべきものと新しく取り入れるものを峻別していた時代だったのである。

文・菱田 秀則(ライター)

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