大阪市天王寺区に本店を置く大阪信用金庫(略称:大信)は、信用金庫としてはめずらしく数多のM&Aを実施してきた金融機関だ。1920(大正9)年2月に創立し、1943(昭和18)年に大阪信用組合に名称を変更した(なお、1985年4月に誕生し、1997年1月に破綻した大阪信用組合はまったくの別組織)。
漏斗に集まる雫のように…
その後、大信は2000年代にかけて、大阪中南部の中小信用金庫のM&Aを重ねていく。その様相は大阪の信金業界にあって、まるで漏斗に集まり落ちる雫のようにも感じられる。まず“堺・泉州系”の信用金庫を見てみよう。
1966年2月に堺信用金庫と堺興業信用金庫が合併し、名称を堺市信用金庫に変更した。その堺市信用金庫は1977年4月に阪南信用金庫と合併し、泉陽信用金庫が誕生した。
一方、堺の南・泉州地域では、1961年8月に岸和田市春木信用金庫が春木信用金庫に名称変更した。そして1981年10月 、泉大津信用金庫と岸和田信用金庫、春木信用金庫の3信金が合併し、泉州信用金庫が誕生した。
その後、2001年11月に泉州信用金庫は泉陽信用金庫に吸収合併され、南大阪信用金庫が誕生した。泉州地域の信用金庫は、南大阪信用金庫が主力金庫になった。だが2004年10月、大信はその南大阪信用金庫を吸収合併した。
周辺信金のM&Aを続ける底力
次に大阪市内に本店を置いていた“東洋信金系”のM&Aだ。東洋信用金庫は1981年10月に福利信用金庫という信金を吸収合併した。大信はその東洋信用金庫から、1992年10月に営業の一部を譲り受けた。
次に大阪市内に本店のあった“三和信金系”だ。三和信用金庫(後の三菱UFJ銀行となる三和銀行とは別組織)は、1975年4月に住吉信用金庫を吸収合併した。大信はこの三和信用金庫を1997年10月に吸収合併している。
その後、大信は1999年11月に大阪市中央区にあった不動信用金庫を吸収合併し、2001年10月に経営破綻した大阪第一信用金庫の営業の全部を2002年3月に譲り受けた。事業譲受というスタイルだ。
最後に“相互信金系”である。1955年9月に大阪相互信用金庫が、地名を冠さない「相互信用金庫」という名称に変更した。そして1969年4月、相互信用金庫が明治信用金庫を吸収合併した。その相互信用金庫は、2002年1月に経営破綻し解散する。大信は同年6月に営業の全部を譲り受けた。
大阪信用金庫の名称となって以降、20を超える信金が大信の旗のもとに集まり、大信は営業の地盤を固めて大阪府内のトップ信金となった。
ライバルの出現
大信としては急なライバルの出現もあった。2013年11月に大阪市信用金庫(大阪信用金庫とは異なる)、大阪東信用金庫、大福信用金庫が合併して誕生した大阪シティ信用金庫である。
大阪シティ信用金庫の2024(令和6)年3月期の預金量は2兆5,421億円、 融資量は1兆4,127億円だった。預金量・融資量ともに全国の信用金庫でもトップ 10 クラスに入る規模だ(同金庫ホームページによる)。
対して同年度の大信の預金量は2兆5,484億円、融資量は1兆5,794億円。大信は大阪シティ信用金庫が誕生して以降、大阪府内トップ信金の座を明け渡していたが、2024年度は僅差で優った状況だった。
両信金のしのぎを削るライバル関係は続く。
文・菱田秀則(ライター)
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