2026年1月13日、山口県宇部市沖の海底炭鉱である「長生炭鉱」で見つかった人骨のDNA鑑定を行うことが決まった。韓国李在明大統領の来日による首脳会談で、高市早苗首相がこの方針を明らかにしたという。
長生炭鉱では第二次大戦中に水没事故が発生し、朝鮮半島出身者を含む180余命の尊い命が犠牲になった。長生炭鉱は現在、トップ写真のように宇部の海辺から2本のピーヤ(排気・排水筒)を覗かせる遺構である。その長生炭鉱をはじめ日本最大の海底炭鉱を擁した宇部炭鉱・炭田のM&Aと炭都宇部の炭鉱史を垣間見る。
宇部市郊外、ときわ公園にある「石炭記念館」
宇部市の郊外にある常盤湖周辺に広がるときわ公園には、日本で初めて誕生した石炭博物館が建つ。館内では、炭鉱で使用された採炭道具や機材などを中心とした炭鉱関連資料を展示している。
石炭記念館の屋上には天高く櫓が建つ。このシンボルともいえる櫓は、かつて宇部興産(現UBE)<4208>の東見初炭鉱で閉山まで使用された竪坑櫓(坑夫を昇降させ石炭を搬出する施設)を移設したものだ。エレベーターを設置した展望台に昇ると、眼下に常盤湖や宇部の街並みが広がり、瀬戸内海、四国・九州まで一望できる。
また、地下に延びるモデル坑道では、昭和30年代の宇部の海底炭鉱の採掘現場を模した坑道が再現され、坑内の様子を身近に体感できる。
この博物館が紹介する宇部周辺の炭鉱・炭田の歴史年表をもとに、宇部を中心とした炭鉱史を振り返ってみたい。
宇部VS.明治政府の採掘史
宇部の石炭産出は江戸期に始まり、1868(明治元)年に長州藩は石炭局を置き、石炭の直営を始めた。ところが1869年以降、明治政府は日本坑法や鉱業条例、鉱業法などからなる鉱山関連法令を相次いで発布した。1872年には「鉱山心得」を各県に公布。これら明治政府の施策により鉱物は国有化され、採掘は「国民の請負稼業」であると規定された。
明治政府は日本坑法という法律を公布したが、それは鉱物の国有化を確固たるものとした法律であり、国は鉱区税を規定した。一方で宇部市に近い現山陽小野田市では1873年、現在の太平洋セメント<5233>の源流ともいえる小野田石炭会社が設立されている。炭都宇部としてはこうした動きに“対応”するかのように地元士族・地主・炭鉱関係者らが宇部共同義会という組織を設立し、宇部村を挙げて石炭鉱区の統一管理と社会事業を推進していった。
「対応」というのは長州藩の管轄から明治政府の管轄への移行は国有化だが、一方で明治政府は国有化したものを民営に移す動きもあったからだ。そこで一定の規模で管理する必要があると考えた宇部村としては、宇部共同義会を設立したということができる。対抗でもなければ順応・呼応とも異なる。宇部の“黒いダイヤ”は、こうして炭都の主要産業になった。
“宇部市発展の父”の活躍
宇部が主要産業として海底炭鉱に乗り出したのは明治後期のことだ。1897(明治30)年、宇部の発展に最大の貢献をしたとされる渡辺祐策が沖ノ山炭鉱を創業した。匿名組合組織であったが、事実上の宇部炭鉱のスタートである。匿名組合とは現在、クラウドファンディングや不動産投資などでも利用される組織のこと。事業を行う側と出資する側(匿名組合員)による「営業目的で出資し、利益を分配する」二者間の契約形態である。法人格はなく、出資は事業者の財産となり、匿名組合員は有限責任を持つが、経営には関与せずに利益分配を受けることができ、出資者間の関係は特に表に出ることもない。
“宇部市発展の父”と呼ばれる渡辺祐策の功績を顕彰した渡辺翁記念会館は、宇部市街中心部に街を象徴するかのように建つ。渡辺翁は炭都宇部を代表する沖ノ山炭鉱を1897年に創業し、その後、宇部新川鉄工所(のちの宇部鉄工所)、宇部紡織所(のちの宇部紡績)、宇部セメント製造、新沖ノ山炭鉱、宇部電気鉄道、宇部窒素工業などを次々と創業していった。さながら“宇部の渋沢栄一”という存在だっただろう。
渡辺翁は限りある石炭から無限の可能性を秘めた工業への転換に力を注いだ。それが現在のUBE(ユービーイー ※旧宇部興産)へとつながっていく。記念会館が完成したのは渡辺翁の没後3年経った1937(昭和12)年のこと。完成と同時に宇部市に寄贈されたという。なお、同記念会館は2005(平成17)年に国の重要文化財、2007年に経済産業省の近代化産業遺産に認定されている。
海底事故が続いた宇部の炭鉱
沖ノ山炭鉱では、1910(明治43)年に海底炭田の採掘に着手し、1915(大正4)年には沖合に「百間角」という人工島を構築した。さらに1922年には、百間角の南の海中を掘削して本格的に海底炭田の採掘に乗り出した。明治後期から大正期にかけ、地元の有力者らが東見初炭鉱など続々と炭鉱経営に乗り出していった。
ところが1915年、東見初炭鉱で殉職者230余名にのぼる甚大な海底陥没事故が発生した。その頃から炭鉱の買収合戦が進んでいく。
この宇部興産の設立年に起きた惨事が、殉職者183名を出した長生炭鉱の水没事故であった。第二次大戦のさなかでもあり、殉職者には多くの朝鮮系労働者も含まれていたとされる。7割以上が朝鮮半島出身者といわれるが、その惨事の記憶が80余年たった今、よみがえる。
1960年代に終止符を打った“炭鉱M&A”
時代が前後するが、1921(大正10)年、宇部村に市制が施行された。村が一足飛びに「市」に昇格した。大正期の市制への転換は1947年に地方自治法が施行される以前だから弾力的に運用されていたはずだが、産業発展にともなう人口の増加やインフラの充実が市制への昇格を可能にしたのだろう。
一方で “炭鉱M&A”は終焉を迎えつつあった。1944年、宇部興産は東見初炭鉱を買収したが、その後1965年に西沖ノ山鉱業所が、1967年には宇部鉱業所が閉山した。1960年代後半、「炭都」としての宇部は一区切りをつけた。
石炭産業が終焉を迎えて以降、宇部を象徴する宇部興産は数々の関連会社・海外子会社、合弁会社などを設立し、一大グループへと成長し、その過程で新産業としてM&Aを続けていく。そして2022年4月にUBEに社名を変更した。
文・菱田秀則(ライター)
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