
近代の日本画の充実したコレクションで知られる東京・広尾の山種美術館は、実は江戸絵画と浮世絵版画の分野でも優れた作品を所蔵している。今回の展覧会は、その江戸時代の絵師たちに焦点をあて、江戸絵画の名作と収蔵する浮世絵全作品を前後期に分けて展観するもの。
展覧会は浮世絵から始まる。同館のコレクションは、鈴木春信や喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重など、代表的な浮世絵師の名品を網羅するとともに、個々の作品の保存状態が良いことでも知られるという。今回の展示では、まだ色を摺り重ねる技術が充分でなかった時代に、墨摺りに手彩色で紅色を施していた紅絵から、色版を摺り重ねて多彩な色彩を表現した錦絵の登場とその展開まで、浮世絵にまつわる用語のわかりやすい解説とともに、その歴史を追うことが可能だ。

展示風景より、奥村政信《踊り一人立》1723-37(享保8-元文2)年頃 山種美術館蔵(前期展示)
会期の前期に紹介される奥村政信の素朴な味わいのある紅絵が、1720年代ないし1730年代の作品だとすると、場面設定の面白さや人物の愛らしさ、そして着物の柄や背景の緻密な描写と美しい色遣いが魅力的な鈴木春信の錦絵は、1760年代後半の作。30年から40年の間に、浮世絵の技術も表現の洗練度も、飛躍的に高まったことがよくわかる。

展示風景より、鈴木春信《梅の枝折り》1767-68(明和4-5)年頃 山種美術館蔵(前期展示)
今年はNHKの大河ドラマの主役が江戸の版元・蔦屋重三郎であることから、浮世絵や版元に注目した展覧会が数多く開かれているが、その蔦重がプロデュースした二大人気絵師、歌麿と写楽ももちろん登場する。歌麿の美人画は、モデルの個性がうかがえる容貌や表情の描写や、髪の生え際の彫りの緻密さが魅力的。一方、光沢のある雲母摺(きらずり)を背景に浮かび上がる写楽の役者絵は、シンプルな描写ながらも、人物の内面も感じさせるような個性的な表情が目を惹く。

展示風景より、喜多川歌麿《美人五面相 犬を抱く女》1803(享和3)年頃 山種美術館蔵(前期展示)

展示風景より、東洲斎写楽《二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉》1794(寛政6)年 山種美術館蔵(前期展示)
19世紀になると、浮世絵の世界では、風景を主体とした名所絵が新たなジャンルとして確立し、北斎と広重が活躍する。山種美術館は北斎作品も所蔵するが、特に広重作品が充実しており、なかでも名作と名高い保永堂版《東海道五拾三次》は全点の揃いに加え、珍しい表紙もついている。またこのセットは初摺りが揃っていることでも知られ、後に摺られた作品とのぼかしなどの違いが、解説パネルで丁寧に紹介されているのも興味深いところだ。

展示風景より、歌川広重《東海道五拾三次》1833-36(天保4-7)年頃 山種美術館蔵(前期展示)
前期は江戸の日本橋から掛川まで、後期は袋井から京の都の三條大橋まで、全55点が展示される。

《東海道五拾三次之内 蒲原・夜之雪》1833-36(天保4-7)年頃 山種美術館蔵(前期展示)
第2章は、様々な流派が現れ、個性豊かな画家たちが多彩な表現を生み出した江戸絵画の華やかさが感じられる展示となっている。京都で生まれ、江戸に受け継がれた「琳派」では、俵屋宗達の鹿の絵と本阿弥光悦の書による新古今集和歌巻の断簡が登場する。巻物が分断された断簡は世界各地の美術館等に収蔵されているが、山種美術館の所蔵作は巻物の冒頭部分にあたり、美しい刺繡が施された表装も見どころだという。酒井抱一や近年特に人気が高まっている鈴木其一の金地の屏風も見応えたっぷりだ。

[絵]俵屋宗達/[書]本阿弥光悦《鹿下絵新古今集和歌巻断簡》17世紀(江戸時代)山種美術館蔵

鈴木其一《四季花鳥図》19世紀(江戸時代)山種美術館蔵
琳派の華やかさとはまた異なる、静けさをたたえた美しさが光るモノトーンの作品や味わい深い作品も見られる。例えば岩佐又兵衛の《官女観菊図》【重要文化財】は、ほぼ墨の濃淡で描き、ところどころにさりげなく金泥を施した作品。又兵衛は髪の毛フェチだったそうで、至近距離で見る毛髪と着物の柄や草花の精緻な描写は圧巻だ。中国趣味に根ざす「文人画」では、筆ではなく、指や爪、手のひらで描いたという池大雅の山水図など、どんなふうに描いたのかとしみじみ見つめてしまう作品も並ぶ。

岩佐又兵衛《官女観菊図》【重要文化財】17世紀(江戸時代)山種美術館蔵

池大雅《指頭山水図》1745(延享2)年 山種美術館蔵
江戸絵画と言えば外せない大人気絵師・若冲の作品は、素朴な伏見人形を描いたほのぼのとした図。若冲は伏見人形を好んで題材としていたが、こちらは亡くなる前年に描いた作品だ。可愛らしい作品と言えば、「円山派」の祖・円山応挙に学んだ長沢芦雪の作と伝わる子どもたちを描いた絵や、兎や鳥などの小動物を描いた絵が並ぶのも楽しい。

展示風景より、伊藤若冲《伏見人形図》1799(寛政11)年 山種美術館蔵

伝 長沢芦雪《唐子遊び図》【重要美術品】18世紀(江戸時代) 山種美術館蔵

柴田是真《墨林筆哥》1877-88(明治10-21)年 山種美術館蔵 こちらは山種美術館蔵の出品作品のなかでは唯一、明治初期の漆絵。第16図のカエルの可愛さは絶品だ。
なお、今回は、同じ渋谷区にある浮世絵の専門美術館・太田記念美術館の浮世絵が、第2展示室で特集展示されている。夏の花火や秋のお月見といった季節の行事をテーマとする作品や戯画など、見るとワクワクしたり、ほのぼのしたりする楽しい作品や可愛い作品が選ばれており、山種美術館の浮世絵コレクションとはまた違ったタイプの浮世絵も合わせて楽しむことができる。

両国橋を埋め尽くす人々の熱気を描いた、歌川豊国《両国花火之図》大判錦絵6枚続のうちの3枚 1813-14(文化10-11)年頃 太田記念美術館蔵(前期展示)

擬人化されたホオズキが見事な八艘飛びを見せる、歌川国芳《ほふづきづくし 八そふとび》1842(天保13)年頃 太田記念美術館蔵(前期展示)
取材・文・撮影:中山ゆかり
<開催概要>
『【特別展】江戸の人気絵師 夢の競演 宗達から写楽、広重まで 特集展示:太田記念美術館の楽しい浮世絵』
2025年8月9日(土)~9月28日(日)、山種美術館にて開催
※浮世絵は、前・後期で展示替え/画帖と巻物は頁替と巻替あり
(前期: 8月9日~8月31日、後期: 9月2日~9月28日)
公式サイト:
https://www.yamatane-museum.jp/exh/2025/ukiyoe.html