【展示レポート】『藤田嗣治×国吉康雄』 100年前、パリとニューヨークで活躍したふたりの画家の軌跡をたどる
左:藤田嗣治《私の夢》1947年 新潟県立近代美術館・万代島美術館蔵  右:国吉康雄《恋人たちの道》1946年 福武コレクション

20世紀前半、日本を飛び出し、世界で挑戦・活躍した画家、藤田嗣治(1886~1968)と国吉康雄(1889~1953)。激動の時代をくぐり抜け、フランスやアメリカで確固たる地位を築いた二人の画家の道のりを対比したどる展覧会『藤田嗣治×国吉康雄:二人のパラレル・キャリア―百年目の再会』が兵庫県立美術館で8月17日(日)まで開催されている。



東京で生まれた藤田嗣治は1913年、26歳で渡仏。1920年代に「乳白色の下地」と呼ばれる独自の画風を確立、パリの画壇はもちろんのこと、世界中から大絶賛され、時代の寵児となった。



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展示風景より

一方、岡山出身の国吉康雄は藤田より3歳年下。1906年、16歳でアメリカにわたり、当地で働きながら絵画を学び、アメリカ具象絵画を代表するアーティストとしての地位を着実に築いていく。同展は共通の知人も多かったという二人の関係性にも注目した展覧会だ。



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国吉康雄《ミスターエース》1952年 福武コレクション
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展示風景より 国吉康雄の作品(奥の壁にあるのは藤田嗣治の作品)

展覧会は9章構成。第1章「1910年代後半から20年代初頭:日本人「移住者」としてのはじまり」、第2章「1922年から24年:異国での成功」では二人がフランス、アメリカにわたり、画家として成功していった過程をたどる。



会場には藤田が世に出るきっかけとなった代表作《五人の裸婦》や、国吉がアメリカで注目を集めた作品がずらりと並ぶ。藤田や国吉は裸婦像など、同じモチーフも多く、その画風の違いも楽しめる。



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展示風景より
【展示レポート】『藤田嗣治×国吉康雄』 100年前、パリとニューヨークで活躍したふたりの画家の軌跡をたどる

第2章 展示風景より

第3章「1925年と1928年:藤田のパリ絶頂期と国吉の渡欧」、第4章「1929/1930/1931年:ニューヨークでの交流とそれぞれの日本帰国」、 第5章「1930年代:軍国主義化する母国の内外で」では、充実した生活を送っていた二人の画家の活躍を追う。1930年、藤田と国吉はニューヨークで直接交流の機会があったという。



【展示レポート】『藤田嗣治×国吉康雄』 100年前、パリとニューヨークで活躍したふたりの画家の軌跡をたどる

左:藤田嗣治《タピスリーの裸婦》1923年 京都国立近代美術館蔵  右:国吉康雄《幸福の島》1924年 東京都現代美術館蔵

しかし、二人がたどる道はその後大きな変化を遂げる。

国際情勢は変化し、日本は軍国主義化、そして日米開戦へと突き進んでいく。第6章「1941年から45年:日米開戦下の、運命の二人」では、戦時下の状況で、二人がどのような行動をとったのかを見ていく。



フランスから帰国した藤田は軍部からの注文を受け「作戦記録画」の制作を行う。《十二月八日の真珠湾》は藤田の作戦記録画のなかでも数少ない「戦勝画」で、東宝が作った真珠湾のセットを取材して制作したとされている。



【展示レポート】『藤田嗣治×国吉康雄』 100年前、パリとニューヨークで活躍したふたりの画家の軌跡をたどる

左:藤田嗣治《十二月八日の真珠湾》1942年  右:藤田嗣治《ソロモン海域に於ける米兵の末路》1943年  両作品とも東京国立近代美術館蔵(アメリカ合衆国より無期限貸与)

アメリカにおいて「敵性外国人」となった国吉は行動を制限されるようになりながらも、軍国主義を批判する活動や制作に取り組んだ。日本国民に停戦を呼びかける短波放送に原稿を書いて朗読したり、戦時情報局のために戦争ポスターの下絵も描いたりしていたという。



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3点とも国吉康雄 左:《戦争ポスター「このごみを一掃せよ」(習作2)》1942年 中:《戦争ポスターの習作(殺人者)》 1943年  右:《戦争ポスター「水責め」の習作(1)》1943年 いずれも福武コレクション

1945年、第二次世界大戦が終結する。第7章「1946年から48年:戦後の再生と異夢」、第8章「1949年ニューヨーク:すれ違う二人」、第9章「1950年から53年:藤田のフランス永住と国吉の死」では、戦後の二人の活動を追う。



戦時中の作戦記録画への積極的な関与について強い批判を受けた藤田嗣治は1949年に離日。ニューヨークにしばらく滞在したのちにパリへと渡り、その後フランス国籍を取得。1968年になくなるまで日本の地を踏むことはなかった。



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左 :藤田嗣治《ラ・フォンテーヌ頌》1949年 ポーラ美術館蔵 右:藤田嗣治 《美しいスペイン女》1949年 豊田市美術館蔵

第二次世界大戦後、行動制限が解消された国吉は精力的に制作を行い、1948年にはホイットニー美術館で回顧展を開催、1952年のヴェネツィア・ヴィエンナーレではアメリカ代表アーティストとして選出されるまでになった。

しかし、1953年、がんのためその生涯を閉じる。アメリカ国籍取得を進めていた途中のことだった。



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国吉康雄《鯉のぼり》1950年 福武コレクション

今回の展覧会は、同じ時期に生まれ、外国へわたり、その地で評価をされたという共通点が多く、そして戦争によって非常に多くの相違点が生まれてしまった二人について、同時に鑑賞し、思いを馳せることができる意義深い展覧会だ。国内の主要な藤田嗣治作品がずらりと揃い、さらに、国内にはあまり作品数が多くない国吉康雄作品もまとめてみることができる。兵庫県立美術館でのみの開催のため、ぜひこの機会に足を運んでみよう。



取材・文・撮影:浦島茂世




<開催概要>
『藤田嗣治×国吉康雄:二人のパラレル・キャリア―百年目の再会』



2025年6月14日(土)~8月17日(日)、兵庫県立美術館にて開催

公式サイト:
https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_2506/index.html

チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2504772(https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2504772&afid=P66)

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