“大人になる”とは何か──舞台『ピーターとアリス』が問いかける記憶と現実
舞台『ピーターとアリス』より (撮影:岡千里)

舞台『ピーターとアリス』が上演中だ。



本作は、誰もが知る児童文学の傑作『不思議の国のアリス』のモデルとなったアリス・リデル・ハーグリーヴズと、同じく世界中の子どもたちを魅了した『ピーター・パン』のモデルとなったピーター・ルウェリン・デイヴィス。

ふたりが、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルの生誕100年を祝したイベントで会っていた──という歴史的事実から着想を得た、追憶と苦悩の物語。



脚本は、ミュージカル『ムーラン・ルージュ!』や映画『ラストサムライ』『007 スカイフォール』で知られるジョン・ローガン。2013年にロンドン・ウエストエンドにて初演。今回の上演が、日本初演となる。



演出は、『インヘリタンス-継承-』『陽気な幽霊』の熊林弘高。光と影、過去と現在、現実と虚構、大人と子ども。いくつもの相対するテーマが配置された本作に、観客は何を見るだろうか。



観客それぞれが見つける「大人になる」ことの答え

“大人になる”とは何か──舞台『ピーターとアリス』が問いかける記憶と現実

物語は、ルイス・キャロル(飯田基祐)の生誕展で、ピーター(佐藤寛太)がアリス(麻実れい)に回顧録を書かないかと提案するところから始まる。ピーターの申し出に、アリスは難色を示す。しかし、やがてふたりはそれぞれの過去を思い返し、そこに不思議の国のアリス(古川琴音)やピーター・パン(青木柚)、さらにそれぞれの作者であるキャロルやジェームズ・バリー(岡田義徳)まで乱入してくることで、時空も、フィクションとノンフィクションの境目も超越した不思議な世界が醸成されていく。



幻想的な作品ではあるが、その手ざわりはファンタジーというより、もっとヘビーでソリッドだ。舞台美術に用いられているのは、いくつもの物語が生まれる場所である机。アンティーク調の机を並べ、その上をステージのようにして俳優が躍動する。

音楽は、ごく一部の場面を除いて使用されない。緊張感漂う無音が伴奏となって、俳優のセリフを粒立てる。さらに、何度か上演中に客電をつけることで、フィクションとリアルの境界線をますます曖昧にさせる。



“大人になる”とは何か──舞台『ピーターとアリス』が問いかける記憶と現実

セリフも、時折唐突にキャロルやバリーの書いた原作小説の一節が挟み込まれるなど、やや特殊な構造をしており、観客を振り落とすように何度となく現実と虚構を行き来する。それらの多層的な仕掛けが難解な印象をもたらすが、主題はシンプルで明確だ。



「大人になる」とはどういうことか。生きていく限り、人はみな大人になる。だが、しばし大人になるということは、ネガティブな文脈で語られる。夢を忘れた。あきらめることを知った。愛想笑いが上手になった。辛い現実の中で、どうにか心を壊さず折り合いをつけて生きていく方法を、世の中は「大人になる」と呼ぶ。



だからこそ、大人になることを拒み続けるピーター・パンに人は憧れるのだろう。あんなふうに生きられたら、と。ネバーランドなんてどこにもないことを知っているから、僕たちはピーター・パンに希望と、ほんの少しの妬みと蔑みを差し向ける。



アリスとピーターも、大人になっていく中でどんどん過酷な現実に打ちのめされていった。キャロルの心を捉えた金髪の美少女のままではいられない。老いていくほどに輝きは衰え、大切な人たちも次々と見送った。80歳になったアリスは、自らを孤独な老いぼれのように自嘲する。



ピーターもまた父を癌によって喪い、母も父の後を追うように亡くなった。病気で上顎と頬の肉を失った父を見たとき、ピーターは父を化け物のように感じた。そして始まる第一次世界大戦。空飛ぶ少年が向かったのは、ネバーランドではなく、戦場だった。



“大人になる”とは何か──舞台『ピーターとアリス』が問いかける記憶と現実

なぜ子ども時代は眩しく見えるのか。

答えは、大人になってからの人生が辛いからだ。困難な人生をどうにか生きていく拠り所として、神様は幸せな子ども時代を用意してくれた。確かに、現実に気が滅入れば滅入るほど、「あの頃は楽しかった」と無邪気な子ども時代に逃げ込みたくなる。



でも、ならば人生のピークは子ども時代で、大人になるということは下り坂をひたすら転がり続けることなのか。まるでアリスが白ウサギによって不思議の国にいざなわれたように、観客もこの多層的で複雑な世界に迷い込みながら、それぞれの答えを見つけ出していく。



佐藤寛太が刻みつけたピーターの苦悩と解放

古川琴音は、イタズラっぽいキュートな雰囲気が不思議の国のアリスにぴたりとハマる。ちょっと高めのコケティッシュな声がよく通り聞き心地がいい。青木柚は持ち前の少年性に加え、脱力した体の使い方が、大人になることを拒否したピーター・パンの面影をよぎらせる。フライングでの強い体幹、軽やかなアクロバットなど高い身体能力も印象に残った。



“大人になる”とは何か──舞台『ピーターとアリス』が問いかける記憶と現実

本作が初舞台の簡秀吉は二役を演じており、アリスの夫レジナルド・ハーグリーヴスはちょっと様子のおかしなキャラクター。簡自身の少々天然なところがうまく役にブレンドされ、シリアスな作風の中にふっと柔らかな風を運び込んだ。もう一役は、ピーターの弟マイケル・デイヴィス。その登場シーンは、本作きっての耽美的な演出がなされており、夢心地の陶酔感と悲劇的な筋書きが、観客の心をかき乱す。



“大人になる”とは何か──舞台『ピーターとアリス』が問いかける記憶と現実

膨大なセリフ量で本作の要を担う麻実れいと佐藤寛太はどちらも力のあるところを示した。麻実は、80年の人生の中でアリスが背負った幸福と罪を、語らずともその立ち姿で内包していた。エキゾチックな気品と老境の凄みが溶け合い、舞台の隅にいてもなお目がいく存在感だ。



そして、佐藤寛太の熱量は間違いなく作品の機動力となっていた。自らの人生を滅茶苦茶にしたバリーへの憎しみ。そのバリーの財産に頼らざるを得ないジレンマ。佐藤寛太の出力の高い演技が、ピーターの苦悩を迸らせる。



けれど、苦悶に満ちた表情が、あるシーンだけまるで憑き物がとれたように解放される。眠るように横たわる無垢であどけない顔つきは、皮肉にも永遠の少年そのものだった。



“大人になる”とは何か──舞台『ピーターとアリス』が問いかける記憶と現実

舞台『ピーターとアリス』は、2月23日(月・祝) まで東京芸術劇場 プレイハウスにて上演。大阪公演は、2月28日(土) から3月2日(月) まで梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて上演される。



『ピーターとアリス』舞台映像



取材・文:横川良明 撮影:岡千里



<公演情報>
舞台『ピーターとアリス』



作:ジョン・ローガン
翻訳:早船歌江子
演出:熊林弘高



【キャスト】
不思議の国のアリス:古川琴音
ピーター・パン:青木柚
ルイス・キャロル:飯田基祐
ジェームズ・バリー:岡田義徳
マイケル・デイヴィス/レジナルド・ハーグリーヴス:簡秀吉
アーサー・デイヴィス:山森大輔
ピーター・ルウェリン・デイヴィス:佐藤寛太
アリス・リデル・ハーグリーヴス:麻実れい



【東京公演】
2026年2月9日(月)~23日(月・祝)
会場:東京芸術劇場 プレイハウス



【大阪公演】
2026年2月28日(土)~3月2日(月)
会場:梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ



関連リンク

チケット情報:
https://w.pia.jp/t/peteralice2026/(https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2562608&afid=P66)



公式サイト:
https://www.umegei.com/peteralice2026/



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