西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった
西島秀俊 (撮影:源賀津己)

西島秀俊、グイ・ルンメイが出演する真利子哲也監督の新作映画『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』が9月12日(金)から公開になる。本作は息子の誘拐事件をきっかけに、ある夫婦が抱える問題が浮かび上がってくる様を描いたヒューマンサスペンス作品で、西島は「特別な1作になった」と撮影を振り返る。



異国の地で“暴力”にさらされている主人公たち

西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった

映画の舞台はニューヨーク。建築や廃墟について研究する賢治と、アジア系アメリカ人で人形を用いた劇団の演出を務めるジェーンの夫婦は、ひとり息子を育てながら忙しい日々を過ごしている。それぞれが母国ではない場所で、母国語ではない言葉で会話し、働き、家事や子育てに追われている。そんなある日、幼い息子が何者かに誘拐され、賢治とジェーンはパニックに巻き込まれる。



ひとつの事件によって浮かび上がってきた夫婦それぞれの想い、葛藤、抱えていた秘密、家族像の微妙な違い、異国の地で生きていくことへの考え方の差……消えた息子を追う過程で、誰も想像しなかったドラマが描き出される。



西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった

脚本と監督を務めた真利子哲也は、キャリアの初期から海外で高評価を集め、『ディストラクション・ベイビーズ』(2016)でロカルノ国際映画祭の最優秀新進監督賞を受賞。2019年にハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員としてボストンに滞在した際に本作を構想し、日本、台湾、アメリカなど、多国籍の映画人が集まって本作が制作された。



西島は真利子監督について「理屈を超えたところで映画を撮る方、という印象でした」と振り返る。



「人間の奥深くに隠されているものを表現する監督の映画に、機会があれば参加したいと思っていました。実際に撮影が始まると、直感的に撮るのと同時に現場をとても冷静に見ていると思いました。海外の撮影は時間の制約もありますし、スタッフ間のコミュニケーションも日本人だけで撮影するよりは難しい場合もありますが、監督が冷静に判断されていたことで、最後までスムーズに撮影することができました。



脚本にも、真利子監督のそうした直感的な部分と冷静な部分の両面が反映されていると思います。それがとても魅力的でしたし、今回ご一緒できて本当に嬉しかったです」



西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった

西島が語るとおり、真利子監督の作品はどれも直感的で荒々しい描写と、人間を冷静に観察しているような視点が入り混じっている。

本作では異国の地で暮らす一家が、さまざまな形で何かしらの“暴力”にさらされている。それはある時は殴ったり殴られたりの直接的な暴力かもしれない。しかし、そうでない場面でも冒頭から一家は無形の暴力、圧力、疎外感にさらされているのだ。



「この家族が移民であるという文化的な背景もありますし、彼らが暮らしているニューヨークのブルックリンという場所も関係あると思います。この家族は、自分のやっていることや、自分のやりたいことに対する周囲の“無理解”にさらされています。そこに暴力が存在する場合もありますし、そうでない場合もありますが、彼らは“自分が大切にしているもの”が周囲から大切にされていません。



それは家族が相手であっても同じです。特にルンメイさんが演じるジェーンは、彼女にとって本当に大切なもの、彼女が生きていく上で必要なものが周囲から“今は必要ないでしょう”と言われてしまう。それは直接的な暴力ではないかもしれませんが、不穏さとなって彼らを覆っています。自分の想いと現在の状況の折り合いがついておらず、この状況がいつか破綻するのでは、という予感があります。もしかしたら、このことは現代の何かしらの問題と直結しているのかもしれません」



西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった

ニューヨークで自身の研究が周囲から認められず、帰宅しても疎外感を感じている賢治と、愛する創作や舞台での活動の時間をうまく確保できなくて焦るジェーン。ふたりは有形/無形の暴力と無理解に常にさらされ続け、夫婦もお互いに相手を理解しあえていない。

そこで生まれた“小さな亀裂”はやがて広がっていき、人間の本質や本性が漏れ出てくる。本作では誘拐事件も、夫婦の諍いもすべて“降り注ぐ暴力”として描かれている。



何かに“飛び込む”ような演技をしたい

西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった

そこでふと頭をよぎったのが、西島が2011年に出演した『CUT』だ。イラン出身のアミール・ナデリ監督の作品で、西島は自分の映画を撮るために何度も殴られ、血を流し、暴力にさらされ続ける男を演じた。極限の状況と暴力、その隙間から見える強烈な意思、人間の剥き出しの姿。それを見つめる冷静な視点。『CUT』と本作はつくられた時代も設定もまったく異なるが、どこか共鳴するものを感じる。



西島は「本作と『CUT』を比較することはまったくなかったです」と前置きした上で「ただ、(真利子監督の)『ディストラクション・ベイビーズ』を観たときに、少しだけ『CUT』のことは考えました」と振り返る。



「自分の中で『CUT』は大きなターニングポイントになった作品です。人間の身体を痛めつけるシーンを、カメラを引いて撮影するというのはあまり選ばない手法で、通常であれば、もっとカメラが内側に入り臨場感のようなものを出します。カメラを引いて、もっと客観的に冷徹に撮ることで、暴力の滑稽さや無意味さを撮っているのかもしれません。でも、そこに何かしら感じられるものがあると思います。



そう考えると、両監督の暴力の描き方には何かしらの共通点があるのかもしれません。おふたりに聞いたことがないので分かりませんが」



西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった

『CUT』も『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』も西島演じる主人公は終始、物理的な/目に見えない暴力にさらされ続け、傷だらけになった瞬間にその人間の“本質”が垣間見える。そこには俳優の計算された演技や意図を超えたものが写っているはずだ。



「さまざまな要素が重なり、この映画の最後の方の撮影は本当に大変な状況でした。時間が押して、あと数カットしか撮影できない状況で、現場もものすごく寒くて……アミール・ナデリ監督の場合は、意図的にそういう追い詰められた状況に俳優を追い込んでいくので撮影現場が一種、異様なテンションになります。説明するのが難しいのですが、この映画でも最後の方に撮っているシーンでは、そういう状況の中で、僕自身が役と同化して“確信を持ってその場にいる”という感じでした。こういうときは、不思議と疑問もありませんし、演技しているという気もあまりない。でも、痛みだけはある、という感覚になります」



西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった

西島のキャリアを振り返ると、西島の意図や狙いを超えたものが映っている作品がいくつか存在する。すべてを受け入れて、カメラの前にただ立つ。北野武監督の『Dolls』(2002)、アミール・ナデリ監督の『CUT』、黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』(2016)……そこには誰も観たことのない西島秀俊が写っている。一瞬しか姿を見せない“むきだしの感情”がそこにはある。



「もしそのようなことが許される作品で、そのような場が提供されるのであれば、どう見えるかとか、どういう結果になるか、といったことをまったく考えずに、意図的ではない、何かに“飛び込む”ような演技をしたいと思っています。

なかなかそのような現場は少ないですが。



でも確かに『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』ではそういう瞬間がありました。充実感がありましたし、あらためて“自分がやりたいのはこれだ”という瞬間があったと思います。



そういう意味では特別な1作になったと思います。僕は自分がインディペンデント映画出身だという想いがありますから、そういう作品にこれからも出演できればと思っています」



西島秀俊、「自分がやりたいのはこれだ」と感じる瞬間が『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』にはあった

取材・文:中谷祐介(ぴあ)
撮影:源賀津己
ヘアメイク:亀田雅
スタイリスト:オクトシヒロ



<作品情報>
『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』



9月12日(金)公開



公式サイト:
https://d-stranger.jp/



(C)Roji Films, TOEI COMPANY, LTD.



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