『オールド・ボーイ』『イノセント・ガーデン』『お嬢さん』のパク・チャヌク監督の新作映画『しあわせな選択』が明日から公開になる。パク・チャヌク監督は長いキャリアの中で復讐にまつわるもの、恋愛を描いたものなど幅広い作品を描いてきたが、そこには“ある共通点”が存在する。
本作の冒頭は極めてシンプルだ。25年にわたって製紙会社に勤務するマンスは、妻と娘と二匹の犬と共にマイホームで理想の暮らしをおくっていたが、ある日、突然、解雇される。一瞬にして日常は崩壊し、マンスは転職活動を開始するが、同業他社への転職は枠も少なく、競争も激しい。そこで彼は思う。「ライバルがいなくなれば、仕事は手に入る」。マンスは“同じ椅子”を狙っているであろう相手をあぶり出し、彼らを“なきもの”にしようと行動を開始する。
以降、目的のために手段を選ばないマンスの行動がエスカレートしていくさまと、そこで生まれる哀しみ、人間の愚かさ、間抜けさが容赦なく描かれるが、どこまで行ってもマンスは悪人としては描かれない。彼は現在の暮らしを、自分の利益を守りたい、それだけだ。悪いことなど何もしていない。彼は経済市場のプレイヤーがそうであるように、単に状況に“適応”しようとしているだけに過ぎない。
「とても正確に観ていただき、ありがとうございます。
とは言え、冷静にこの状況を見て、突き詰めていくと“しかたない”ことなど、ひとつもないとわかります。劇中でマンスの妻が『製紙会社以外の仕事も探してみたらどう?』と聞く場面がありますが、まさにそうなんです。仕事を探す上では他の選択肢もあるでしょうし、そもそもを言うなら、会社だってマンスを解雇しないで乗り切る方法があったかもしれません。しかし、誰もが簡単な解決を選び、誰もが“しかたない”と言い訳することで、このような状況が生まれたのです」
本作に登場する人物は、マンスだけでなく誰もが切実な想いを抱え、切実であるがゆえに簡単な解決に飛びつく。その表情は必死で、必死であるがゆえに哀れだが、その行動は少し距離をとって観ると、間抜けで滑稽だ。
「サスペンスや悲劇というものは“コメディ”と切り離せないと思っています。緊迫する時間が描かれた後に、緊張がほどけて笑いのある時間が描かれるのではありません。そんな風にふたつの時間を行ったり来たりするのではなく、サスペンスや悲劇と笑いは一体になっていると思うのです。ですから、この映画では暴力性や悲劇を中和させるためのユーモアは描かれません。
劇中で、マンスと、ある夫婦が大音量の音楽がかかる中で、もみ合うシーンがあります。とても笑える場面なのですが、考えようによっては、この三人はとても哀れなんです。彼らは巨大なシステムから“しかたない”と言われて窮地に陥っているのに、その怒りの矛先を巨大なシステムに向け、自分を苦しめる相手に戦いを挑むのではなく、哀れな人同士が集まって、お互いに取っ組み合いをしているわけですから」
「本作を描く上で“境界線”が大事だと思いました」
Photo by GION
パク・チャヌク作品で最も重要なのは、すべてが登場人物から“少しだけ距離をとった場所”から描かれていることだ。キャラクターの感情と完全に同化するのではなく、冷静に突き放すのでもない絶妙な視点。ここに唯一無二の魅力がある。
「マンスはかわいそうな状況にいる人物で、観客はそのことをわかった上で彼の行動を追っていきます。だからこそ私は本作を描く上で“境界線”が大事だと思いました。
確かにマンスは哀れですし、客観的に見るとその行動は理解できるし、共感できるものかもしれません。しかし、彼が実際にしていることを考えると、それは本当に“哀れ”だけで片付けられるものでしょうか? マンスは自分の就職のためにライバルたちを“消そう”としていますが、彼がライバルだと思っている人は、そもそも彼とは何の関係もないですし、彼らもまたマンスと同じように解雇された可哀そうな人なんです。しかし、マンスは自分の再就職のために相手を消そうとしている。これはあまりにも身勝手だと思います。
観客のみなさんには、マンスに対して哀れみを感じつつも、道徳的な面からも彼を追ってほしいのです。物語を批判的に、少し距離を置いて観てもらいたいと思っています」
愛する者を殺された主人公は復讐するべきか? 吸血鬼になってしまった神父は自身の本能に従うべきか? 惹かれ合ってしまった刑事と容疑者は相手を冷静に見つめるべきか? パク・チャヌク監督はジャンルや物語は変われど、いつも“境界線”を描き続けている。人間はどの境界線を越えれば人間でなくなってしまうのか? 私たちが私たちであるための“境界線”はどこにあるのか?
「私は、ある人物が意図しないのに、ある状況に追い込まれてしまって、その条件の中でどのような選択をすればいいのか悩む物語を描いてきました。私がどの作品でも強調したいのは“モラル・ジレンマ”です。もちろん、私たちが日々の人生を送る中で映画に出てくるような極端な状況に置かれることはまず、ありません。ですから、私は映画をひとつの“比喩=たとえ”として観てもらえたら、と思っています。ある極端な状況に置かれてしまった人間をスクリーンを通して見つめ、ほんの少しでも良いので道徳について考えていただけたら、と思うのです」
職を失い、日常を奪われた男は、すべてを取り戻すために他人を消そうとする。最初は悩みながら、しかし、感覚は次第に麻痺していく。主人公マンスが最後にたどり着く場所はどこだろうか? 本作のタイトルは『しあわせな選択』だが、そこに浮かび上がるのは選択ではなく“境界線”だ。彼は最後に踏み越えるのか? あなたならその線を越えるのか? 問われているのは主人公だけではない。
「実際、私たちが人生の中で思い悩む時というのは、こちらの方が現実的な利益になるのだけど、反対の選択をした方が正しいのではないか? と考えたり、どちらの選択肢も正しい、あるいはどちらを選んでも悪い状況、ということもあると思うのです。そんな時に、映画が少しでも助けになれば、と思います」
『しあわせな選択』
3月6日(金) TOHO シネマズ 日比谷ほか全国公開
(C)2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED
取材・文:中谷祐介(ぴあ編集部)

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