加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談
左から 江﨑文武(WONK)、加藤登紀子

Text:谷岡正浩/Photo:吉田圭子



5月21日にリリースとなった、加藤登紀子の60周年記念企画アルバム『for peace』。2枚組、トータル35曲を収録した作品は、ベスト盤の趣を感じさせながらも、新曲や新録などを含んだ、よりひとつの作品として深い世界へと我々を運んでくれる。それが、タイトルにもあるとおり、彼女がキャリアの60年を通して伝えてきた平和への思いだ。今回は、このアルバムをつくる大きなきっかけになったと加藤自身が語る、WONKやソロでの目覚ましい活動で今最も注目を集める若手音楽家である江﨑文武との対談が実現。世代を越えたふたりの音楽家が向き合う現在とは――。




新しい出会いはいつも素晴らしかった。私自身が、「わー、いい!」って思っている限り、その出会いは間違いじゃないんですよ(加藤)



ジャンルとジャンルの狭間にこそ面白さがあるということですよね。常に新しい音楽というのは、そういう場所から生まれますから(江﨑)




――おふたりの出会いは、楽曲制作がきっかけだったんですよね。



加藤 私たちはどうやって出会っているのかしらね?(笑)。出会いってそういうものなのよ。最初に彼から連絡をもらったときにすぐにピンときたの。テレビでピアノを弾く姿がすごく印象に残っていて、そのすぐ後だったから。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

加藤登紀子

――江﨑さんから加藤さんに連絡されたのがきっかけだったんですか?



江﨑 そうです。Hana Hopeさんの曲をプロデュースするのに、どうしてもこの曲は加藤さんに歌詞を書いていただきたいと思ったんです。



――それが2022年に発表されたHana Hopeさんの2ndシングルで、今回の加藤さんのアルバムにも収録されている「きみはもうひとりじゃない」だったんですね。



加藤 彼女はとにかく声がね。あの声はいったいどこから来たんだろう?っていう、遠いところから来た声っていう感じがしますよね。



――なぜ加藤さんに歌詞を、ということになったんですか?



江﨑 基本的には自由につくっていいですよということだったんです。それで僕は個人的に童謡唱歌をつくりたいという思いがすごくあったので、せっかく若いシンガー(当時Hana Hopeは16歳)に歌ってもらうんだったら、この先も長く残るもので、かつ、歌詞もちゃんと重みのあるものがいいなと。そうなったときに、自分の音楽遍歴の中から浮かび上がったのが、『紅の豚』のあの曲――「時には昔の話を」だってなって、加藤さんにお願いしました。



――そこでオファーを受けた加藤さんは、すぐに江﨑さんのことがピンときた、という冒頭の話につながるわけですね。



江﨑 NHKの企画で石川さゆりさんが歌う「ウイスキーが、お好きでしょ」のバックバンドを僕が務めていたことがあって、それをご覧いただいたみたいです。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

江﨑文武(WONK)

加藤 そう。ちょうど私が「残雪」という曲を彼女に書いて、それを歌っている時期だったのでね。でもこうやって、ジャンルという意味ではいろんな人たちがつながっていくというのは面白いですよね。私がデビューした頃(1965年)の日本には、まだ歌謡曲っていうものも確立してなかったんですよ。歌謡曲のブームって、1970年代からでしょ、アイドルソングも含めてね。だからその前は演歌の全盛時代なの。でも不思議なのは、(表に出てくるものが何であれ)いつの時代も、どんな物事にも、いろんなものが同居しているっていうことなんですよ。そこが面白い。私自身は(満州からの)引揚者なんだけど、今で言えば、帰国子女ですよね。だから日本というものを不思議な気持ちで見てきたんです。不思議の国のアリスというかね(笑)。歌手としてデビューしたときにびっくりしたんですよ。演歌(当時の日本のポピュラーミュージック)の世界を見ることになって。で、私はシャンソンのコンクールで出てきたから、こっちはこっちの世界というのがあるんですけど、私はシャンソンだけの世界で固まってしまうのが嫌で、違う世界に飛び込んでいきたいと思ったんですよね。もちろん当時はまだ自分で曲をつくってはいなかったから、シャンソンの訳詞を手掛けていたなかにし礼さんと試行錯誤しながら、それこそ演歌でもシャンソンでもない、歌謡曲の走りみたいなものをつくっていったんです。だから、この時代はこういう時代でしたって言われても、必ずそれだけではないものがあるっていうのが私の中では当たり前の感覚としてあって。デビューして、「ひとり寝の子守唄」(1969年)や「知床旅情」(1971年)で、ようやく自分の土台みたいなものができて、でもそのすぐ後に結婚したので、それを捨ててしまうことになるんですけど、復帰したときに「灰色の瞳」というフォルクローレをリリースしたんですよ。そしたら結構たくさんの人に文句を言われましたね。



――文句、ですか?



加藤 要するにこういうことなのよ。日本人はこの道一筋っていうのが好きなんだと。登紀子はやっと「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」でギターを弾き語りしてジーンズを履いてっていう自分のイメージやステータスをやっとつくったのに、復帰した最初の曲がなんで南米の曲なんだ?って。それを聞いて、「えー!」って私、びっくりしちゃって(笑)。だっていいじゃん、としか思えないんだから。でも、ジャンル越えは致命的だって言われましたね。それまで私の記事を書いてくれていた新聞記者からは、もう加藤登紀子には書けないって言われましたし。この後に坂本龍一さんとやったとき(1982年リリースのアルバム『愛はすべてを赦す』を坂本龍一がプロデュース)も同じようなことを言われましたよ。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

左から 加藤登紀子、江﨑文武(WONK)

江﨑 そうだったんですね。



加藤 でも新しい出会いはいつも素晴らしかった。私自身が、「わー、いい!」って思っている限り、その出会いは間違いじゃないんですよ。世代を越えていたって、ジャンルを越えていたって、誰と出会ったっていいんですよ。私はそうやっていつも旅を続けているので。フラフラと空を飛んでいて、いい水がありそうだなって思ったらたまに降りていってっていうね(笑)。



江﨑 もし僕が加藤さんのデビューした時代にいたら窮屈で何もできなかったでしょうね(笑)。



加藤 そういえば、「知床旅情」をリリースした後くらいだったと思うけど、そのときに「ワールドミュージック」という言葉はないけれど「第3世界」の音楽という概念がようやく出てきて、ごく少数の愛好家の人たちとLP盤を持ち寄って試聴会をしたりしていましたね。そんなふうに、絶対に物事は一色じゃないし、常に大きな何かのどこかでは違うものが始まっているんですよね。



江﨑 ジャンルとジャンルの狭間にこそ面白さがあるということですよね。常に新しい音楽というのは、そういう場所から生まれますから。



加藤 坂本龍一さんと一緒にやるきっかけになった対談をしたことがあって――ちょうどYMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)が解散する少し前だったと思うけど――そこで彼が言っていたのは、たまたま新しいツールが出てきたから今はそれをやっているけど、これが僕の全部じゃないんだと。たとえば無人島に行って、周りに石ころしかなかったら僕は石ころで音楽をつくると思うって言っていたんですよ。だから晩年に雨の滴でも音楽ができるって言っていた感性は彼の中に最初からあったんだと思いますね。そこに私はすごく感銘を受けたんですよね。「分かる」って思った。だからお互いの関係って時間をかけて理解するようなものじゃないのよ。とくに音楽家の場合は理屈じゃないでしょ?



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

江﨑 そうですね。ステージで一緒に音を出したらいろんなことが分かるっていうのもありますしね。



――まさにおふたりの出会いは、そういうものだったんですね。



加藤 タイミングもありますしね。たまたまそのとき、私の中に満ちていた何かがあったということなんでしょうね。それと、江﨑さん、常田俊太郎(vn)さん、村岡苑子(vc)さんのトリオとの出会いですね。このトリオでのコンサートを観させていただいたのが決定的でした。素晴らしかった。このサウンドでやりたいなって思いました。



江﨑 ありがとうございます。





今ってすぐに答えが検索したら出てくるような気になっているじゃないですか? でも答えはきっと一人ひとり違うものだと思うんですよね(江﨑)



そうなの。早いのよね、今は。すぐに答えを求められちゃうから。だから本当の気持ちを語るまでなかなかいけないんでしょうね(加藤)




加藤 「きみはもうひとりじゃない」はHanaちゃんの声に導かれてつくったんですけど、2024年にNHKで『百万本のバラ物語 TOKIKO KATO ~歌は国を越えて心をつなぐ~』というドキュメンタリーの放送があったんですよ。私がジョージアに行ったときの模様をまとめたものなんですけど。その最後にエピローグとして、江﨑さんのピアノで「きみはもうひとりじゃない」を私が歌うのはどうかっていう提案をNHKの方がしてくれたんです。でも悩んだんですよ。



江﨑 そうだったんですね(笑)。



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加藤 朗読にしようかしらとか言ってたんですけど、でも歌ってみたらすごくよかった(笑)。



――素晴らしい詞ですよね。



江﨑 本当にそうなんですよ。



加藤 江﨑さんが童謡唱歌っておっしゃったけど、おばあさんから孫娘に歌い継ぐ歌ですよね。



――ああ、なるほど。



加藤 「きみはもうひとりじゃない」を作詞した年なんですよね、ウクライナでの戦争が始まったのは。あまりにも思いがけなかった。平和に歴史が進行していると思った中で突然起こった戦争だったから。すごい衝撃が大きかったですよね。だからとにかく、それを目の当たりにした、とくに若い世代の人たちを後ろから抱きしめたいなっていう気持ちでね、書きました。私も今、若い人たちが感じている気持ちを分かりたいと思ったし。



――最初に「きみはもうひとりじゃない」の詞を見たとき、江﨑さんはどう思われましたか?



江﨑 本当は、その日にどういう歌詞にしたいかをこちらからお伝えする打ち合わせが行われるはずだったんです。そしたら座るなり、登紀子さんから「はい、詞。できたから」って言って渡されたんですよ。「え!」ってなって(笑)。



加藤 その日の打ち合わせをする前に事前に曲を聴いておいた方がいいなと思って、送っていただいたんです。そしたら聴いているうちに言葉が出てきたんですよ。そういうものですよね(笑)。曲が持ってくる詞の世界っていうのがあるから。



江﨑 〈ありがとう ごめんなさい 言えないきみが好きさ〉っていう、最初の一行目を見た瞬間に「ああ、いい!」って思って。ちょうど僕の友人たちも子育てが始まっている人たちが増えていて、子供が「ありがとう」「ごめんなさい」がちゃんと言えないって悩んだり、そうやって自分の中で消化する時間を肯定してあげるっていうのが本当に大事だなって思ったんですよね。今ってすぐに答えが検索したら出てくるような気になっているじゃないですか? でも答えはきっと一人ひとり違うものだと思うんですよね。



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加藤 そうなの。早いのよね、今は。すぐに答えを求められちゃうから。だから本当の気持ちを語るまでなかなかいけないんでしょうね。昔ね、羽仁進(映画監督)さんっていう人が言った言葉で今でもすごく印象に残っているものがあるんだけど、「ぼーっとしていたり、グズな子だったりする子供ほど、頭の中は忙しい」っていうのがあってね。大人はついつい子供に向かって、ぼーっとしちゃダメだとかさっさとしなさいとかって言いすぎるんですよね。でもぼーっとしている子供はどうしてぼーっとしているかと言ったら、何かを考えているからそう見えるのであってね。そういう子供ほど大事にした方がいいっていう言葉なんだけど、まさに「きみはもうひとりじゃない」というのは、そういう歌なんですよ。空を見て誰かを思うようになったらあなたはひとりじゃないねって。アニメになったらいいのにね(笑)。ぼーっとしている子が主人公の。



江﨑 いいですね(笑)。



――「きみはもうひとりじゃない」に出てくる子供像には加藤さんの小さい頃が多分に反映されていますか?



加藤 そうですね。江﨑くんは長男?



江﨑 はい、長男です。



加藤 私は三番目なのよね。三番目っていうのは、とにかく放っておかれるんですよ。みんな忙しいのよ、お兄ちゃんもお姉ちゃんも受験や何かで、お父さんもお母さんも忙しい。だから取り残されてぼーっとしていたの(笑)。みんなが忙しそうに何かしているのを観察していた。中学くらいまではそういう感じでしたね。



――音楽はいつ始めたんですか?



加藤 歌手になってから(笑)。



――あ、そうなんですか。



加藤 歌手になるきっかけになった、シャンソンのコンクールに出るのがきっかけでしたね。うちは音楽一家だったんですよ。姉は国立音楽大学でヴァイオリンをやっていたし、兄は音楽家ではないんだけど、受験勉強をしているときに、母が「受験勉強なんてやっていると心が荒むから音楽をやりなさい」ってピアノをやらされたの(笑)。



江﨑 すごい(笑)。



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加藤 それで私にも火の粉が降ってきて(笑)、ピアノを習わせられたのが中学の頃だったんだけど、私は拒否したの。うちにはなぜか私が小学生の頃からピアノがあったんだけど、当時は京都の上賀茂っていうところに住んでいて、時代的には当然ピアノがある家なんてそんなにないわけ。そのピアノは、父がその頃京都で歌謡学院みたいなのを開いたの。でもたちまち潰れたの。おそらく借金をしていたと思うから、その教室に銀行が踏み込む前にピアノをうちに運んだんでしょうね。それと大きい電蓄(電気蓄音機)と。だから突然、貧乏どん底の借金を抱えた小屋みたいなうちにドーンとピアノがやってきたのよ(笑)。



江﨑 ははは。



――加藤さんはどうしてピアノを習うことを拒否したんですか?



加藤 一家の中で私くらい音楽をやらない人間がいてもいいんじゃないかと思って(笑)。



――不思議なことに、結局音楽を生業にしたのは加藤さんだけという。



加藤 そうなの。姉も大フィル(大阪フィルハーモニー交響楽団)までは行ったけど、結婚してそのまま辞めてしまったから。



――江﨑さんはピアノが最初だと思うんですけど、それは小さい頃に習い事として始めたのがきっかけだったんですか?



江﨑 そうですね。普通に習い事でしたね。



加藤 何歳から?



江﨑 4歳からです。



加藤 私には三人の娘がいて、三人ともピアノを習ってもらったの。



江﨑 習ってもらった(笑)。



加藤 そしたら長女は真面目に行って、次女がYae(シンガーソングライター)なんだけど、ずっと長女について行ってたの。で、Yaeが「早く始めたい」って言ったら、先生が「学校に入るまではダメです」って言ったわけ。それで学校に入るのを待ってYaeも始めたの。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

江﨑 そうなんですね。



加藤 要するに、譜面が読めるくらいの人じゃないと教えたくないっていうのが先生の考えで、おまけに6年生のときにYaeは目の前で先生に「この方は向きませんね」って言われたの(笑)。



江﨑 えー!



加藤 ちゃんと練習してこないっていうのに先生は腹が立っていたんでしょうね。私びっくりしちゃって。そうかしら?って。で、やむなくやめることになって。他のふたり(長女と三女)は高校までピアノをやったんだけど、Yaeだけは小学6年でやめたの。そしたら、悔しかったんでしょうね、自分で弾いていましたね、一生懸命。そんなところから始まって、結局彼女は音楽をつくる人になったんですよね。だから不思議ですよね。



江﨑 でも僕も小学校の高学年の頃には先生に毎回怒られていて、全然練習をしていかなかったので。勝手に自分の好きな曲を弾いたりとか、ジャズバンドをやり始めたり、むしろ、(自分の好きな)これをやるので教えてくださいっていうふうになっていって、そこから音楽が楽しくなったんですよ。



加藤 ああ、それは良かったね。早くそっちの楽しみを見つけられてね。あんまりショパンとかリストを知りすぎると、やっぱり自分のつくるものって拙いじゃないですか、だから恥ずかしくなっちゃうのよね。そこが音楽教育の難しいところでもあるんだけど。つくるっていうのは結局、その恥ずかしさと不安をどうやって乗り越えるかですよね。



江﨑 そうですね。だからそこはまだ自分は若いからっていうことで納得できるんですよね、早いうちだと。



加藤 耳で聴いて、それを弾くってことはあった?



江﨑 ありました。むしろそっちの方が好きで。あと、ベートーヴェンの曲なんかも勝手につくり替えるのが好きだったんですよ。この和音好きじゃないな、みたいな感じで。っていうのをやっていたら当然先生からはめちゃくちゃ怒られるんですよ。偉大な作曲家に何をしているんだって。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

加藤 いいなあ。それこそやるべきことだよね。私はなんでも――音楽でも映画でも小説でも――つくり手の側に立つと、この人も心細い気持ちでつくったんだろうなって(笑)。どんなに偉そうな人でも。つくっているときは不安なんですよね。ああ、なんでこんなものしか出てこないんだとかさ、これって何かと同じフレーズじゃなかったかなとかさ、どうして自分はこの壁を越えられないんだとかね。



――それは、いくらやっても創作においてはそのような心細さがあるんですか?



加藤 だからもうできちゃったものはできちゃったものですからっていう割り切りをするしかないんですよ。それで言うと、スパッと出てきたものの方が、私がつくったものじゃない感覚がありますね。つくったものというよりもできちゃったものっていう感覚。生まれたものですっていう感じ。逆に言えば、迷いだすと恐ろしいのよ(笑)。迷う前に提出しちゃう。そうしたら後戻りできないから。キリがないんだから。可能性は無限なわけで。



江﨑 そうですね。その中をずっと彷徨うわけですからね。



――江﨑さんの場合はバンドとソロ活動の両軸があるわけですが、創作面においてはまったく違う性格のものになりますか?



江﨑 全然違いますね。バンドだったり、他のアーティストの方とご一緒するときっていうのは、基本的にデザイナー的な視点というか、この人は自分に何を求めているだろうっていうのを考えて、自分の形をいろいろ変えて出していくというスタイルなんですけど、一方で自分のソロに関しては、こういう音楽をやりたいっていうただそれだけで進めるので、でもだからこそ苦しい瞬間がたくさんあるのがソロの方なんですよね。全部自分の責任だからっていうのがあるので。



加藤 私の場合は、自分でつくったものを歌うでしょ、つくっているときに迷った瞬間があると、歌う私のことを考えてどこかでケリをつけなきゃいけない。歌い手としては、この曲は出来上がったものとして向き合わないとダメなんですよね。そうしないと歌詞が育たないんですよ。言葉の向こう側にある世界が見えたり、あるいはまったく意図していなかった違う意味が出てきたり、歌手としてはそこが面白いんです。だからつくり手の私が歌い手の私に、あとはあんたに任せるわってきちんとバトンを渡さないといけない、そういう関係なんですよね。つくり手の私からすれば、バトンを渡してしまったらもうやり直しがきかない。人生みたいなものよ(笑)。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

――曲と詞はどのような関係としてありますか?



加藤 例えば「時には昔の話を」は、ものすごく短い時間でつくったんですよ。詞は、頭に思い浮かんだ絵を追いかけて書くので、一番のメロディーが浮かぶとそこに詞をつけて、次はまたメロディーにっていうふうに、曲先、詞先、そして詞先、曲先っていうふうに行って帰って行って帰ってっていう関係になるんですよね。そうすると両方が影響しあって面白いものになりますね。





「ひとり寝の子守唄」は、私の中から出てきたSOSでした。その曲がすごい勢いで世の中に受け入れられて、びっくりしました。でもどうして受け入れられたのかがよく分かりませんでしたね(加藤)



時間をかけて受け止めてほしいアルバムだなってすごく思いました。何回も自分の中で、これはどういうことを歌っているのだろう? どういう表現なんだろう? という疑問を繰り返す体験をしてほしいというのが何より思ったことでした(江﨑)




――「時には昔の話を」は今回、先ほどもお話に出た江﨑さん、常田さん、村岡さんのトリオで新しいレコーディングをされたものが収録されていますね。レコーディングはいかがでしたか?



加藤 これは菅野よう子さんがアレンジしたオリジナルをトリオのサウンドでやりたいということで、私の狙い通りのものになりました。オーケストラとやっているのと同じような広がりを持たせることができましたし、同じトリオで臨んだ「80億の祈り」は3人でやっているとは思えないような、すごく激しい鋭角的なパワーが発揮されていて、「きみはもうひとりじゃない」も含めて、トリオでレコーディングした3曲のバランスが素晴らしかったですね。



――江﨑さんはいかがでしたか?



江﨑 とくに「時には昔の話を」のときには登紀子さんの歌に引っ張ってもらっている感覚がありました。



加藤 同録でしたからね。



江﨑 そうですよね。そうやって、せーので録ることも最近はなかったですし、お互いの手を握って空気を震わせていくような感覚というか、音楽ってこれだよなっていうのが心に沁みてくるレコーディングで、みんなが不思議な力で一致団結した感じというか、録り終わったあとも、「このテイクだよね!」っていうふうにみんなの感覚にまったくブレがないんですよ。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

加藤 スタジオでそれぞれのブースに入って同時に演奏しているからお互いの顔は見えてないんですけど、時間はシャボン玉、一瞬ですから(笑)。



江﨑 でもああいう感覚になったのは久しぶりでしたね。



加藤 今回アルバムをリリースするにあたってね、まず「CDにしますか?」って聞かれるほどの時代になってきているんですけど、2枚組で35曲入っていて、感覚としてはアナログレコードに針を落として1曲目から時間の旅ができるような、気がついたら別世界に行ってたというような、そういうアルバムにしたいなと思いました。だから60周年ではあるんですけど、誰でも知っているような曲から始まるベスト盤とはまた違う時間の流れがきちんとあって、そのストーリーの中で新しい私と出会ってくださいというアルバムにしました。



――今回のアルバムには『for peace』、そしてそれぞれのディスクには、Disc 1「for peace-80億の祈り」、Disc 2「Life-自選自作曲集」というタイトルがついています。



加藤 気がついてみたら、私の楽曲のほとんどは「for peace」っていうテーマで括れるものなんですよね。「さくらんぼの実る頃」にしても「百万本のバラ」にしても、「ひとり寝の子守唄」も「知床旅情」も、みんな「for peace」なんです。でも「for peace」だけだとどこか大きすぎる。なぜ「for peace」なのか? という具体的な感じが欲しくて「80億の祈り」というタイトルをつけたんです。それが私の曲ではなく、娘のYaeの曲だったので、ちょっと決断は必要だったんですけど、じゃあ私がカバーして歌ってみようかっていうことになったんです。大事なのは2025年の今、私が感じている世界観を表現したいということで、その伏線になったのが、江﨑さんとの出会いだったんですよね。



――Disc 1「for peace-80億の祈り」の9曲目に谷川俊太郎さん作詞、武満徹さん作曲の「死んだ男の残したものは」が収録されています。これは今回初めてレコーディングされたもので、アルバムのテーマにおいてもシンボリックなものになっていますね。



加藤 これまでにもリクエストがあればステージで歌ったりはしていたんですけど、なぜか、きちんとレコーディングして歌おうって決断ができないままで、そしたら去年、谷川さんが他界されて、その瞬間でしたね、今ここで歌わなきゃって決めたのは。すごい歌ですね。



江﨑 僕も大好きな曲ですね。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

――作曲の武満さんは江﨑さんにとっては大先輩と言いますか。



江﨑 武満さんの書かれるポップスが大好きで、武満さんのソングブックをずっと聴いていたので。



加藤 出会ったことはなかったんだけど、武満さんは面白いですよね。だってあの人はピアノを習わずに作曲家になったんだから。



江﨑 そう、独学ですよね。アカデミアの中では、正当な教育を受けていなくてめちゃくちゃな音楽しか書けない人っていう評価しかされていなかったんですよね。



加藤 終戦前に軍需工場に働きに行かされるじゃないですか、そのときの指導者の人が工場のみんなにレコードを聴かせたらしいですね。そこで聴かせてもらったのがシャンソンだったみたい。



江﨑 へー、そうだったんですね。



加藤 そのときに、本当に素晴らしいと思ったんですって。もし戦争が終わって生きていたら音楽家になるって決めて、戦争が終わるんだけど、彼にはピアノがなかった。それで街を歩いて、ピアノの音がしたら、その家のドアをノックしてピアノを弾かせてもらったんですって。ある人が、「武満さん、そこで何を弾いたんですか?」って聞いたんです。その質問は要するに、どんな譜面を持って行ったのか?っていうことなの。バッハなのか、モーツァルトなのかっていう。でも武満さんの頭の中にはバッハもモーツァルトもないの。ただ音楽をしたいという出発点があっただけ。それで、何を弾いたんですか?って聞かれたときに彼はこう答えたって言うの。「はい。いい音を弾きました」って。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

江﨑 はははは。最高ですね。



加藤 だから初めから、自分がいい音だなって思う音を選んで弾いて、曲をつくったんですよね。だから彼は最初から現代音楽家だった。



江﨑 結局は表現したいっていう欲求なんですよね。



加藤 私は声が低いから音楽の点数はいつも悪かった。教科書は一定のキーで書かれているから、そこと合わないんですよ。高校のときに初めて――駒場高校だったんですけど――音楽科の先生に「君はキーを変えた方がいいんじゃないか。例えばこの譜面を移調して書き直して、どのキーが自分に合っているか見つけなさい」って言ってくれたの。そうやってちゃんと書き直してきたら、テストをやり直してあげるって。そこで、私の声に合ったキーを見つけるということを先生が教えてくれたわけ。それでテストをやり直して歌った後に、「君はとってもいいアルトだね」って言ってくれたの。



江﨑 実は僕も中学の頃、一番成績が悪かったのが音楽でした(笑)。



加藤 なんで?



江﨑 単純に先生に反抗していたんですけど(笑)。



加藤 反抗している江﨑くん、いいね(笑)。



江﨑 音楽の試験で学校の校歌の歌詞を暗記させられるっていうのがあって、「そんなの音楽の能力じゃありません」みたいなことを言って。



加藤 あははは。確かにね。



江﨑 ベートーヴェンはすごい、モーツァルトは偉大だ、みたいな授業じゃなくて、もっと楽しく音楽の授業をやった方が良くないかってずっと思っていて、そんなことを言っていたら、成績が悪かったです(笑)。



――おふたりのお話を伺うにつけ、音楽をやる上で大切なものが何なのかというのがよく分かり、もし今、学校や教室で躓いたり悩んだりしている若い人がいて、やる気さえあればどんどん自由にやっていいんだということが伝わったのではないかなと思います。そこでひとつ質問なのですが、アカデミックなことや決まり事ではない部分で、音楽においてある意味自分を規定するもの――例えば「日本人らしさ」みたいなものについて、それを意識することがあったり、またはそれについてどのように考えていますか?



江﨑 「きみはもうひとりじゃない」を書いたときは明確にありましたね。



加藤 日本の風土から生まれた童謡唱歌に通ずるものを書こうという意識があったのね。



江﨑 そうなんです。日本人の音楽の受容って、明治のタイミングで一回断絶しているというか、洋のものを強制的に受け入れなきゃいけないっていうときに、そこで戦った僕らの世代よりもずっと前の人たちが引きずっていたもの――ここが着地点だろうと思ってやった人たちへのリスペクトは示したいなと思っていて、僕らの世代は生まれたときから普通にジャズなんかがあるわけで、先人の方達の葛藤はないんですよね。だからこそすごいなと思いますし。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談

加藤 そうやって入り混じって入り混じって今の日本の音楽はあるのでね。それってでもね、日本人の音楽家にとって有利な点なのよね。ファッションなんかもそうですよね。日本人のそうした外の文化に対する柔軟性が新しいものを生み出していくから。私は今の江﨑さんのお話を聞いて思い出したのは、今回「80億の祈り」のイントロ、あれは常田さんが弦のアレンジをしてくれたんですけど、なんとも言えない風土の匂いがするんですよ。立ち上ってくるんですよ、土の匂いが。あの曲は2023年にYaeがつくったものなんですけど、ひどい干魃があった年で、野菜なんかがまったく育たないんですよ。ウクライナでの戦争は続いているし、イスラエルがガザを攻撃したりしたのも重なって、それであの曲はできた。歌詞からは、途方に暮れた感じが伝わってくるんですよ。放り出されてどうしたらいいか分からないっていう。そこに私は直接的に響くものがあって。絶望的な気持ちで土の上に突っ伏したときに感じるであろう匂いが、あのイントロによって立ち上ってくるんですよ。そこは「日本らしさ」を意識して、ということではもちろんないでしょうけど、私もどっちかって言うと洋楽で育ってきた中で、「ひとり寝の子守唄」のときはもっともっとシンプルな自分に帰りたいっていう追い詰められたような感じもあって、本当のところはどうしてああいう曲ができたのかは分からないんですけど、結果として「日本人らしさ」みたいなところに着地するっていうのはあったかもしれませんね。当時フォークが流行り出していて、みんなそっちの方に行くんだけど、私はヨーロッパの音楽の中で育っていたから、あまり入り込めず、一方では学生運動が盛んなときで、あっちこっちで機動隊と衝突しているんですよ。でも、私はどこにも入れなくて。だからどこにも影のように入り込めるもの、激突しているどちらの味方でもなくどちらにもいられるもの、そういうものを求めたのかなって思いますね。どこか自分に対して救いを求めて、その結果出てきた音楽が「ひとり寝の子守唄」でした。



――それは加藤さんの人生を振り返ったときに、ハルビンと日本というふたつの故郷があることとも関係しているのでしょうか?



加藤 多少はあるかもしれませんね。ハルビンからの引揚者として、日本人であろうという努力をどこかでしてきた自分がいるのも事実なんですけど――例えば同じ引揚者で映画監督の山田洋次さんは、徹底して日本の風土を撮りたいという思いが『男はつらいよ』シリーズになっていったように。でも、「ひとり寝の子守唄」はそうやって意図したものではなくて、私の中から出てきたSOSでした。その曲がすごい勢いで世の中に受け入れられて、リリースから3カ月後にレコード大賞歌唱賞をいただくわけですから、びっくりしました。でもどうして受け入れられたのかがよく分かりませんでしたね。



――その“分からない”という部分こそが、「日本人らしさ」なのかもしれませんし、このアルバムの魅力を決定づけるものなのかもしれませんね。



江﨑 加藤さんの歌の素晴らしさももちろんなんですけど、語りのある曲にもものすごいエネルギーを感じるんですよね。最近は15秒くらいで気持ちよくなれるような音楽を求められる風潮ではあるんですけど、時間をかけて受け止めてほしいアルバムだなってすごく思いました。何回も自分の中で、これはどういうことを歌っているのだろう? どういう表現なんだろう? という疑問を繰り返す体験をしてほしいというのが何より思ったことでした。



加藤 ありがとうございます。



加藤登紀子×江﨑文武(WONK)、60周年記念企画アルバム『for peace』スペシャル対談



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<リリース情報>
加藤登紀子 60周年記念企画アルバム
『for peace』



発売中



4,000円(税込)

【Disc 1「for peace-80億の祈り」収録曲】
01.雨音
02.運命の扉
03.80億の祈り
04.生きとし生きるもの
05.きみはもうひとりじゃない
06.サルダーナ
07.さ・か・さの学校
08.風が吹いています
09.死んだ男の残したものは
10.広島愛の川 -語りヴァージョン「はだしのゲン」より
11.鳳仙花
12.遠い祖国
13.童神~天の子守唄~
14.無垢の砂~「パリは燃えているか」によせて~
15.さくらんぼの実る頃
16.愛の讃歌
17.百万本のバラ
18.知床旅情

【Disc 2「Life-自選自作曲集」収録曲】
01.難破船
02.時には昔の話を
03.ひとり寝の子守唄
04.この世に生まれてきたら
05.いく時代かがありまして
06.あなたの行く朝
07.時代おくれの酒場
08.今あなたにうたいたい
09.LOVE LOVE LOVE
10.Revolution
11.川は流れる
12.NEVER GIVE UP TOMORROW
13.檸檬 Lemon
14.君が生まれたあの日
15.この手に抱きしめたい
16.俺たちは海を渡る
17.帆を上げて

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江﨑文武 公式サイト:
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