
引きこもりが社会問題となっているが、超高齢社会の加速とともに、中高年の孤独もかなり深刻化している。その中でも特に「人とうまくつながれない」「安心してつながっている感覚がない」などの“疎外感恐怖”によって起こるさまざまな問題があるというが、いったい何が起きているのか。
激増する独居高齢者
私の本業は高齢者を専門とする精神科医です。その経験から感じる、日本の高齢者の疎外感について考えてみたいと思います。
高齢者の疎外感の中で避けて通れないのは、独居高齢者の問題です。
前章では引きこもりの問題を論じましたが、内閣府の大規模調査で対象になったのは64歳までです。
もともと引きこもりだった人が、だんだん年齢が上がっていくという意味では64歳まででも事足りるのでしょう。
しかしながら、前章で問題にしたように、実際は、中高年以降に引きこもる人が多く、そのきっかけが失業や病気ということを考えると、定年後、新たな職を得られなかったり、ひとり暮らしの高齢者が病気をしたあと、ほとんど外に出なくなったり、配偶者が亡くなったあと、世間との交流を断つなどの形で、かなり多くの高齢者が引きこもり状態にあると考えられます。
これについては、大規模な調査がないので推測の域を出ないのですが、ひとり暮らしの高齢者は確実に増えています。
2019年の厚労省の統計では、約1488万の65歳以上の高齢者がいる世帯のうち、ひとり暮らしの高齢者世帯は約737万世帯にのぼりました。
人口の高齢化で高齢者世帯が増えていることもさることながら、核家族化で三世代世帯が激減し単独世帯が激増していることも大きな要因です。
1986年には「65歳以上の者のいる世帯」で「三世代で暮らす世帯」が4割を超えていたのに対し、2019年では「三世代世帯」は1割をきり、9.4%にまで落ち込んでいます。
それに呼応するように高齢者の単独世帯が激増しています。1986年に13.1%だったのが、2019年には28.8%にもなっているのです。

写真はイメージ
もちろん、独居だからといって疎外感をみんなが覚えているわけではありません。
私も長年精神科医として高齢者と向きあってきましたが、ひとり暮らしになれてくると、それなりに疎外感を覚えずにのびのびと暮らす人は少なくありません。
とくに女性はその傾向が強いようです。
しかし、その一方で、失業して引きこもりになる人と同じように、定年後、独居でいると、どうせ自分は誰にも相手にされない、誰にも必要とされていないと世をすねたようになってかなりひどい疎外感を覚えて、引きこもりになる人も少なくない印象です。
私が精神科医で、そういう患者さんをかなりの数で診ているからそう思うのかもしれませんが、思春期の引きこもりより、独居高齢者の引きこもりのほうが数が多いのはおそらく確かでしょう。
さまざまな形で独居高齢者への対策は行われていますが、これだけ数が増えているのに、疎外感を覚え、福祉にも拒否的な高齢者をどう社会や人にかかわらせていくかについてはまだまだ議論が尽くされていない印象がぬぐえません。
2020年国勢調査現在、男性の生涯未婚率が28%を超え、女性も約18%近くになっているわけですが、彼らは調査対象となる50歳時から15年経つと高齢者の仲間入りをします。
この中には、おそらくは人付き合い、とくに異性との付き合いが下手であり、自分など相手にされることはないと思い込んでいる人が一定数いると思われますが、彼らが仕事を失い、子どもや頼れる身内もいないということになれば、疎外感を抱えた高齢者が激増する可能性はかなり高いと思わざるを得ません。
家族と同居していても疎外感という問題
では、家族と同居していれば疎外感を覚えないのかというと、そうとは言えないという問題があります。
実際、家族との同居率が高い福島県の調査では、自殺した高齢者の多くが家族と同居していたという調査結果があります。
私の知る限り、家族と同居している人のほうがうつ病になりやすい印象も受けています。
うつ病という心の病の大きな原因として、罪悪感というものが古くから知られています。
自分が人に迷惑をかけているというような罪悪感が、人間をうつにするのです。
日本特有の心の病とされる対人恐怖症も、人が怖いというより、自分の顔や視線が人を不愉快にさせているという罪悪感が、人に会うのを阻害するとされています。
ひとり暮らしなら、確かに孤独かもしれませんが、人に迷惑をかけていると思い悩む必要はないでしょう。

しかし、お金も稼げず、だんだん身体が弱っていく高齢者は、「家族に厄介をかけている」「家族に迷惑をかけている」「自分のせいで娘や嫁が家事や子育てを十分できない」「自分の世話のために家族が仕事を辞めた」などということになると、その罪悪感はさらに増幅するわけです。
確かにこの罪悪感は遠慮などからきているのでしょうが、見方を変えると、家族に素直に依存できない病理でもあるということです。精神科医の土居健郎先生の言うところの「甘えられない」病理ということになります。
要するに、家族が自分を愛してくれていると素直に思えれば、そんなに遠慮する必要はないということです。
子どもの甘えというのは、自分が無条件に愛されていると思えるから、ギブアンドテイクのギブをすることなしに、親からいくらでもテイクできるという心理です。土居先生は、この甘えを経験することで、人間を素直に信じることができるし、言いたいことも言える「自分」になれると考えました。
この「甘え」の経験がないと、人に嫌われることを恐れ、言いたいことも言えなくなってしまう、そして、まわりに合わせてしまう。つまり、「自分がない」状態になると土居先生は考えたのです。
家族の世話になることに罪悪感を覚える高齢者も、自分が無条件に愛されているという実感が持てないのでしょう。
だから、家族と同居していても、罪悪感に苦しみ、どうせ自分は邪魔者だとか、生きる価値がないと感じてしまう。
これはまさに疎外感の病理と言えないでしょうか?
高齢者の「かくあるべし思考」と福祉拒否・介護拒否
戦後生まれが増えてきたとはいえ、戦前からの日本の道徳観に染まった人がやたらに多いということは、高齢者を長く見てきた上で痛感させられることです。
前述の「人に迷惑をかけているというような罪悪感」の強さには驚かされます。
職業柄、患者さんに生活保護の受給や介護保険の利用を勧めることが少なくないのですが、「この歳になってお上の厄介になるのは申し訳ない」と言う人が大勢います。
集団生活のようなものが嫌だからというのでデイサービスの利用を嫌がる人も珍しくないのですが、「それではヘルパーさんに来てもらって、散歩や話し相手になってもらっては」と勧めても、「それでは申し訳ない」と辞退される方が多いのです。
消費税が導入されて以来、日本には税金を払っていない人はいなくなりました。
また、それ以上に、現在の高齢者のほとんどと言っていい人たちは、現役時代には十分税金を払ってきた人たちです。
仮に生活保護を受けるにしても、「お上の厄介になる」とか「世の中に迷惑をかける」というわけではなく、払った税金のもとをとるという発想をしてもいいはずです。介護保険にしても、2000年の制度導入以来、ずっと給料や年金から天引きされてきたお金です。使わないとむしろ損なのに、なぜか「申し訳ない」と考える人が少なくないのです。

高齢者というものは、だんだん衰えていくものです。
子どもの世話にはならない、誰にも迷惑をかけたくないというのなら、公の制度を利用していいはずなのに、それも利用しないというのであれば、生きていけなくなってしまいます。
配偶者が存命のうちは、それでもなんとか老老介護でやっていけるのですが、年齢を考えるとかなりの無理をなさる方が多いというのが実感です。
一時期、「老後に2000万円必要」という金融庁の報告書が問題にされました。
年金で足りない金額ということなのでしょうが、家を売るなり、リバースモーゲージなどを使うなりすれば、多くの高齢者はそれをクリアできるはずです。
しかし、子どもに財産を残さなければならないという「かくあるべし思考」や儒教道徳のようなものから、生活を切りつめて、貯金にはげむ人は少なくないようです。
また、年金の範囲内で生活をしないといけないと思い込む高齢者も珍しくありません。
でも、老後の蓄えというように、本来、高齢者の貯金というのは、年金で足りない分を自分が使うためにしておくはずのものです。
万が一病気をしたときや、介護を受けるときに、お上の世話も含めて、迷惑をかけたくないという心理や、やはり子どもに残さないといけないという心理から貯金を使えない高齢者が実に多いのです。それが、2000兆円にものぼる個人金融資産の6割を高齢者が持つといういびつな状態につながっているのでしょう。
誰にも助けを求めず、高齢になっても自立していくという考え方は立派ではありますが、現実には無理のある考え方です。
「かくあるべし思考」の呪縛を逃れて、福祉社会の恩恵を受けることが高齢者の疎外感に対するかなり有効なソリューションになると思うのですが、その道はかなり遠いというのが私の実感です。
役場不信と疎外感
素直に福祉に頼ろうという提案をなかなか高齢の方に受け入れてもらえない背景として、人の世話になりたくない、迷惑をかけたくないという「かくあるべし思考」もさることながら、役場不信とか、公に対する不信も重要な要素であるように思えます。
子どもに迷惑をかけたくないという心理から、終の棲家に老人ホームを自分で選ぶ人は確かに以前より増えてきました。
しかし、ホームには入りたくないと思う高齢者もまだまだ少なくありません。
とくに、ある程度の金額を支払う有料老人ホームならまだいいけれど、公的な老人ホームでは嫌だと思う人が多いようです。
認知症や寝たきりになったらしかたないけれど、それまではかなり足腰が弱っていても嫌だという方も珍しくありません。
アメリカ留学中に日本の特別養護老人ホームに相当する現地のナーシングホームを見学したり、実習のような形でグループセラピーを定期的に行っていたことがあるのですが、日本と比べるとまさに悲惨と言っていい状況でした。
それでも入居している方々は「ここは世界一のアメリカなのよ、これに文句を言ったら、わがまますぎる」などと言って、たとえば日本や北欧の福祉を知らないために、それにむしろ感謝しているのには驚かされました。
それと比べると、日本の特別養護老人ホームははるかにアメニティもよく、またスタッフの対応もよいのですが、私の留学から30年以上経った今でも高齢者の認識が大きく変わった印象を受けません。

介護保険が始まったのが2000年ですから、20年以上経つわけですが、ずっと高齢者福祉を見てきた私の目から見て、一番変わったのは介護に従事するスタッフでしょう。
昔は建物だけが立派で、高齢者に「◯◯ちゃん」などという呼び方が当たり前にされていたのですが、今は彼らの要介護高齢者に対する接し方は本当に見事です。プロとはこういうものだと感じさせられることが多いし、おそらく家族ではまねができないでしょう。
しかし、施設に入るとみじめな暮らしになると信じている高齢者や家族が実に多いのです。
実は、この不信感が高齢者本人だけでなく、高齢者と介護家族というユニットの疎外感も生んでいます。
周囲はあてにならないからと、自分が頑張ることで親や配偶者の介護をしようとして立ちゆかなくなり、いわゆる共倒れの状況になるのです。
遺書のような形ではっきりと介護が原因とわかる自殺は年間200~300件起こっているのですが、私の見るところ介護うつのための自殺はもっと多いでしょう。
介護心中や要介護者を殺してしまうという形の介護殺人は、年間30~50件は認知されています。殺人事件が年間1000件も起こらない国で、その5%が介護にまつわるものなのです。
疎外感による人間不信を脱却して、もっと素直に人に頼れればいいのにと思いますが、それは決して簡単なことではないのでしょう。
文/和田秀樹 写真/shutterstock
『疎外感の精神病理』 (集英社新書)
和田秀樹 (著)

2023年9月15日発売
1,100円(税込)
新書判/208ページ
978-4-08-721282-2
現代日本人の心理を読み解くキーワード
世界を襲ったコロナ禍により、さまざまな形で私たちの心のありようは変わったと言える。
他人と接触することがはばかられた時間を経て、他人との交流が増えたいま、人とうまくつながれず表面的な関わりしか持てなくなってしまった人や「みんなと同じ」からはずれる恐怖を感じる人は実に多い。
これは若い人だけの問題ではなく中高年でも多く見られる現象でもある。
本書では日本人を蝕む「疎外感」という病理を心理学的、精神医学的に考察。
どう対応すれば心の健康につながるのかを提案する。
【主な内容】
・「みんなと同じ」現象の蔓延
・コロナ禍に続くウクライナ情勢を疎外感から読み解く
・あぶり出された人と会うのがストレスの人
・8050の嘘
・高齢者の「かくあるべし思考」と福祉拒否・介護拒否
・ホワイトカラーの老後と疎外感
・スマホの普及という新たな依存症のパラダイム
・コミュ力という呪縛
・共感という圧力
・疎外感とカルト型宗教
・周囲が心の世界の主役のシゾフレ人間
・対極的なシゾフレ人間とメランコ人間
・人と接していなくてもいいという開き直り
・ひとりを楽しむ能力を与える