
歌手の八代亜紀さんの訃報が伝えられた1月9日、演歌界の歌手たちからは続々と悼む声が寄せられた。八代さんとは1970年代に放送されていた『全日本歌謡選手権』(日本テレビ系列局)に同時期に出場した山本譲二も自身のX(旧Twitter)で「もう会えないのはつらいです」とコメント。
10月8日『のど自慢』は八代さんがゲストの予定だった
演歌歌手の八代亜紀さんが昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことが1月9日に分かった。八代さんの公式サイトで発表された。享年73歳だった。
歌手の山本譲二さんは「『譲二君、ごめんね、ありがとう!』って元気に戻ってきてくれると信じていたのに…。もう会えないのはつらいです。八代さん、どうぞ安らかに」とコメントを寄せた。
「ごめんね、ありがとう」の意味が気になるが、山本さんが所属するジョージ・プロモーションのマネージャー・清水氏は「本人もいまだ複雑な思いを抱えているし、今回はあのXでの発言がすべてということなので…」と山本さんに代わって真相を話してくれた。

山本譲二さんのX(旧・Twitter)
「実は昨年10月8日11時から放送の、山口県下関市民会館の大ホールで行われた『NHKのど自慢』に八代亜紀さんがゲストとして登場する予定でした。でも八代さんの体調が急変し出場不可となったことで、下関出身の山本にお声がかかったんです。
山本は八代さんの代替えで出場することに対し『俺に代役が務まるかどうか』としながらも、故郷を元気に盛り上げるために出場させていただきました。おそらく山本は、八代さんから『代わりに出てもらっちゃってごめんね、ありがとう』と言われながら再会できるだろうという思いから、あのような言葉を発信したのだと思います」
山本さんと八代さんは1970年から6年にわたり放送された歌合戦形式で行われていた視聴者参加型のオーディション番組『全日本歌謡選手権』(日本テレビ系)にて同時期に10週連続で勝ち抜いた“同志”だった。清水氏は続ける。
「山本はよく『俺のことを譲二君って呼んでくれるのは八代さんだけだよ』と言ってました。演歌界の誰もが山本のことを『譲二さん』と呼ぶなかで、八代さんだけが『譲二君』って呼んでくださって、僕も親しみを感じていました」

1974年、日本歌謡大賞で歌う若かりし頃の八代亜紀さん(写真/共同通信社)
また、八代さんは清水氏などスタッフへの挨拶にも気配りが感じられる人だったという。
「最後に山本が八代さんと共演したのは『八代亜紀いい歌いい話』(BS11)でした。吉幾三さんの50周年だったので、旧知の仲の山本と神野美伽さん、真田ナオキさん、吉永加世子さんらとともにゲスト出演しました。僕が楽屋の前にポツンと立ってると『お疲れ様~』ってニコニコと声をかけてくれて、いつも優しい人だなあという印象です。トーク中も山本が話す吉さんとの出会いの鉄板ネタを話すと、ケラケラと可愛らしく朗らかに笑ってて、ご体調が悪そうな一面を感じることはありませんでした」
同年代の歌手が次々と亡くなって…
9日18時30分に清水氏が山本さんの奥様にLINEで「すでに報道でご存知かもしれませんが、八代亜紀さんが亡くなられました」と伝えたという。
「そんな流れで山本は「『譲二君、ごめんね、ありがとう!』って元気に戻ってきてくれると信じていたのに…というコメントをしたのです」
昨年10月には山本さんとかつて北島事務所で一緒だったもんたよしのりさんや、同年代の大橋純子さんが次々と亡くなっており、山本さんも複雑な思いを抱えているようだ。

チャリティーショーで熱唱する八代亜紀さん(写真/共同通信社)
「山本の父が74歳で亡くなっていて、自身も今年2月で74歳ですからね。表にはそんなそぶりは一切見せませんが、同年代の方々が亡くなっていくことに、本人としても寂しい思いを抱えているのではないかと、マネージャーとしては感じています」
清水氏は山本さんのことを「ふだんから細かいことはガタガタ言わない男らしさがある」と言うが、マネージャーとしては心配なのだろう。
最近では山本さんはX上で、メタル好きによるメロイックサイン(人指指と薬指を立てるジェスチャー)をする姿とともに“山本譲二メタル化計画”とタグづけて投稿されている。これについても清水氏に聞くと
「山本本人は『よくわからないままに至っている』と思います(笑)。でも八代さんもジャズを歌っていた時期もありました。
八代さんも「譲二君、頑張って」とエールを送ることだろう。

山本譲二さん(ジョージ・プロモーションより)
取材・文/河合桃子