
文藝春秋が配信している三浦瑠麗が司会を務めるYouTube番組「炎上上等対談」。その第5回『松本人志は「裸の王様」だったのか』で、三浦は「事前の性的同意よりアフターケアのほうが大事」と発言し、多くの男性を驚かせた。
男性の性欲の本質は「権力」
──昨今、「週刊文春」の松本人志報道を中心に、権力をもった男性の性愛問題が議論になっています。三浦さんは、松本人志報道についてどう見られていますか?
三浦瑠麗(以下同) 2023年7月に不同意性交等罪が施行されてから、ジャニーズ問題をはじめ、セックス・スキャンダルが不同意性交の文脈で取り上げられるようになってきていました。今回の松本さんの報道も、詳細が不明なままその文脈での報道になりました。

三浦瑠麗氏
── "SEX上納システム"のような、女性の意思を尊重しない、男性のホモソーシャル集団の悪い部分が議論になっていますね。
男性は上下関係ばかりを気にしているんです。「先輩に女の子を紹介しなきゃ」とか「先輩が目をつけたから俺はもう手ださない」とか。
女性は上下関係よりも水平的な関係のほうを気にしますよね。たとえば私が高校生のとき、親友の女の子と「誰がかっこいい?」みたいな話を駅のプラットホームでしていたら、その親友が私がかっこいいなって思ってた男の子の名前を口にして。その瞬間、その男の子のこと好きになるのやめよ、ってなりました。気にするものが男女でずれているんですね。
男性は上下関係を気にするから「松本さん!松本さん!」ってなるけど、女性は男性の権力関係に飲み込まれにくいから、例えば「小沢さんいいな……」と思ってついて来た可能性だってありうる。「自分は大事にされなかったんじゃないか」という思いは、そこら中の女性が日々感じてきた不満です。
性欲とか言いつつも、男性が一番エクスタシーを感じているのは、結局のところ権力なんですよね。
──男性が集団の中の権力関係を気にしすぎるのはわかりますが、女性はまた違うのでしょうか。
女性って、現代のように社会進出が進んでも、会社に入ったり役員会に入ったりすると、ある程度ヒエラルキーを無効化する力を持っているんです。
女性っていうのは、家庭で力を振るうんです。どんなに年収があろうが、どんなに年齢が離れてようが、夫婦というのは対等で水平な関係性を結ぼうとする場所ですよね。

松本人志とは公私ともに親交がある
政治記者でも、官邸担当って若い女性がすることが多いじゃないですか。恐れなく突撃して質問できるから、新聞社もあえて大物政治家に対して若い女性を送り込むんですよね。若い男性記者が飛び込んでいったら「お前はどこのどいつだ」ってなるけど、若い女性だとつい受け入れたりしてしまう。異性としての魅力云々までいかなくても、女性にはそんなふうにヒエラルキーを無効化する力があるんです。
──なるほど。
男と女はそういう違いがある。
女性は感謝されることを報酬だと思うけど、男性は賃金とか権力を得られることが報酬だと思う。そうした違いを踏まえておかないと、性愛ひとつとっても、認識のズレによって相手にすごく不信感を持たざるを得なくなってしまいます。
「親近感を持つことと性愛の感情は別だからね」
──これだけ性愛における権力性の問題が明るみになってくると、権力を持った男性の中には「もう恋愛はするなってことか」と不満を述べる人もいます。そういった意見についてはどう思われますか?
そういう人たちには、具体的な助言が必要ですよね。私はけっこう知り合いにはこう言って回っているんです。
立場が下の者からの好意的な言葉は、基本リップサービスだと思ってください。
あと、親近感と性愛は別なので、肩を触られたり、ニコニコした眼差しで見られたことを「エッチしたい」と勝手に変換しないように。
親近感や仕事上の信頼感、尊敬と、性愛の感情は別だからね、と。

話は権力を持った男性の性愛問題へ
──その通りですね。
昔は女性が経済的に自立していなかったから、お嫁さん候補として一般職の子たちをたくさん採用して、すでに活躍して家を買えるくらいの収入のある年齢の男性たちと年の差で結婚していたわけじゃないですか。
今のように女性が男性と同じ初任給を得る時代にあっては、そうした常識が変わってくるんです。今は女性も同じ年代でパートナーを探すようになってきているから、50~60代くらいのおじさんから口説かれると「セクハラだ!」ってなっちゃうから、気をつけてねってことです。
──冒頭で、不同意性交等罪の施行によってセックス・スキャンダルの議論の焦点が変わってきているという話がありました。そもそも不同意性交等罪について、三浦さんはどう思われますか。
私は不同意性交等罪にはもともと反対していました。不同意性交等罪に問われる刑法犯と、ただのひどい男の間に明確な線がなくなってしまうからです。

不同意性交等罪について持論を展開する三浦氏
今年1月、大阪地裁で性行為の同意を巡る裁判で無罪判決が出た事例がありました。
外国人男性が女性に誘われてシェアハウスに招き入れられ、共用部で飲んだあと女性の部屋で行為に及んだんです。「これは不同意性交だ」と女性のほうは訴えていて。でも証言を探ってゆくと、女性の供述にも揺れている部分があって。裁判官が、被告が避妊の配慮を欠いたことや事後の態度が女性の心証を損ねた可能性は捨てきれないと指摘しているんです。
裁判官が「犯罪は裁かれるべきだが、冤罪のほうが気をつけなければならない」ということで無罪判決をくだしました。
法律上、罪になることとひどい男は分けましょうね、っていうのが私の感覚なんですけど、現状では、不同意性交等罪に問われる刑法犯とただのひどい男の境界線は限りなく失われてしまっているんですね。
事前の同意よりアフターケアのほうが大事
──三浦さんは、ご著書の『孤独の意味も、女であることの味わいも』の中で、自身が中学生時代に受けた、集団による性暴力事件についても描かれていますね。
私からすると、私が過去に経験したような性暴力と、ワンナイトで相手が自分を大事にしてくれなかったみたいなケースでは、暴力の度合いが違うと思うんです。計画的に女性をさらって性暴力をするのと、何の気もなしだけどもしかしたらあれは無理やりだったかなって事例では、悪人度が違うじゃないですか。
強制性交等罪が不同意性交等罪に改正されてから、そうした明らかな「強姦」の罪が軽くなっちゃったような気がしています。

自身の過去の体験も多く語ってもらった
──三浦さんがいう、不同意性交等罪に問われるようになったひどい男と、そうでない男の違いはどの辺りにあるでしょうか?
今の風潮でいうと、初めは同意もしたし、途中何度も確認したけど、最終的にこれは不同意だった、ということで告発されたり訴えられたりするケースがあり得ますよね。
私はそれに関していうと、本当にセックスもよくて、ちゃんと避妊もして、事後的にも優しくて、すごく素敵な1日だったと思える場合、告発したい訴えたいって思う人はいないと思うんです。事前の同意という点にばかり焦点が当たりますが、事前の同意よりアフターケアのほうが大事なんです。事後がしっかりしていないと「関係を結んだけど最低な男だった」となるんです。
──事後も大事というのは言われてみれば当たり前のことですが、どうしてそれができないのでしょうか。
男性はどうしても本能が強いから、その日の夜にベッドインできたかどうかを基準にデートの成否を測ったりしてしまいがちですね。女性も即物的に「この人と付き合ってなにが得られるのか」と思っちゃうから、3,000円のタクシー代がケチとか言いはじめるわけじゃないですか。功利主義的になりすぎるのが、承認欲求を飼いならせない人たちの地獄なんですよね。この地獄は年齢関係なくあることなので、そこを乗り越えられることが大事だと思います。

「功利主義的な思考から抜け出さないと地獄になる」と三浦氏
──乗り越えるために、どのようにしたらいいでしょうか。
その人に幸せになってほしいという気持ちや、その場で素敵な笑顔を見られたり楽しい時間を過ごせたりした事実を、もっと注視できるようになるといいのかなと思います。
とりとめのない話を一緒にできるっていうのが、友人やパートナーと時間を過ごすことの楽しいところです。どうでもいい話を一緒にするって、無目的じゃないですか。"無目的な時間が尊い"という感覚を持てるかどうかが大事だと思います。
人間は愛情を持ち出したりセックスをしたりすると「自分はやってあげたのに」と、どうしても功利主義的に思ってしまうので、その場の無目的な楽しさを共有することに、改めて立ち返ったほうがいいと思います。

取材・文/山下素童 撮影/野﨑慧嗣