
お笑いコンビ「バッドボーイズ」の清人が、「おおみぞきよと」名義で発売した、自伝的コミックエッセイ『おばあちゃんこ』(KADOKAWA刊)。漫画に推薦文を寄せた博多大吉は、福岡吉本時代からの先輩であり、かつて同居したこともある仲。
清人が暴走族だと思わなかった
――清人さんと大吉さんは90年代後半に福岡吉本で出会っています。芸人になろうと思ったきっかけは?
清人 僕はとんねるずさん、ダウンタウンさんが好きでテレビでずっと見てきて。でも、当時は遠い存在だったんですよ。ところが福岡にも吉本が進出してきて、お祭り騒ぎになった。
しかも華大さんという地元のスターがいたことで芸人の存在が身近になって、芸人になるという夢が急に現実的になりました。福岡でも十分にでかいと思える仕事があったし、わざわざ大阪や東京に行かなくても、自宅から職場に通えるぞと。
大吉 僕らもとんねるずさんに憧れていましたが、清人と同じように、大阪や東京に行くほどの者ではないと思っていましたね。そしたらある日、ここ(福岡)で良いよと、吉本が言ってくれたので。
僕らが会社に入ったのがちょうど90年。めんたいロック(※70~80年代に博多・北九州で隆盛したバンドシーン)と呼ばれるブームが一旦落ち着いた時期だった。その空白部分に僕らの仕事ができた感じでしたね。
清人 ちなみに僕が入所したときは、ちょうど大吉さんが休業中でした。
大吉 休業中も華丸とは連絡を取っていて、清人に関しては「芸能コースの高校を卒業したらしい」と聞いていました。ただ、相方の佐田があの風貌なんで、やっぱり目立っていて。まさか影に隠れている清人も暴走族で一緒だったとは思わなかった(笑)。
――仲良くなったのには何か理由があったのでしょうか?
大吉 佐田は同期やちょっと年上の先輩と遊んでいたイメージで。「みんなでメシ行こう」となっても、清人はポツンと佇んでいたんです。当時はまだ、コンビだと「相方と一緒には遊びに行かない」という感覚があったので、そこで僕が清人に声をかけて遊ぶことが多くなりましたね。
僕は『大家さんと僕』派です
――2003年に清人さんが上京、2005年には大吉さんも満を持して上京し、おふたりは同居生活も送っていますね。
大吉 僕が上京するときに清人に話を聞いたら「家がない」と。ちょうど深夜のお笑い番組にバッドボーイズが抜擢されていた時期で、あの時代だと海外ロケに行く可能性もあった。でも、清人は家がないから住民票を東京に置けなくて、パスポートが取れなかったんです。
住んでみたら思った以上に大人しかった。部屋でずっと絵を描いたりしていて。他の芸人と比べても……うん、独特。でも、別に仲が悪いわけじゃなかった。
清人 大人しかったのは、とにかく大吉さんに甘えていたからです。後輩として、先輩を楽しませようという気持ちが一切なかったというか(笑)。なのに、「俺の部屋で飲むか」と誘われるのを自分の部屋で待っていて。大吉さんから誘われて飲むのがめっちゃ好きでしたね。
――大吉さんは、清人さんの現在の活躍をどのように見ていますか?
大吉 バッドボーイズとしては良くも悪くも佐田がずっと目立っていて。反対に、清人は「何をやっているの?」と周りからずっと言われてきた。その状況を変えるならば、『おばあちゃんこ』を皮切りに、当時の経験をしっかりと売っていくべきですね。
清人 (笑)。
大吉 それがリアルでもある。当時の清人の絵日記を読んでいるような感覚があって。とはいえ、僕は矢部(太郎)くんの『大家さんと僕』派ですけどね(笑)。
清人 えっ、そうなんですか……!
大吉 あれはよい。何回も読めて感動できる(笑)。清人の漫画は、僕には生々しくて何回も読めないよ。でも、矢部くんの漫画が幅広い層に支持されるものだとしたら、清人の漫画も、佐田のYouTubeも、バッドボーイズの漫才も、ある特定の人たちに支持される傾向がある。だからそこに向けるべきで。二度とあんな『ONE PIECE』みたいな異能バトル漫画を――。
清人 いや、大吉さん。もう一度、チャンスは欲しいです。
大吉 えぇ? もうああいうことはしなくて良いから(笑)。
清人 肝に銘じます……と言いたいのですが、やっぱり諦めきれません。もう一度、あのファンタジー漫画をきちんと完成させて、お見せできるようにリベンジします!
取材・文/森樹
写真/石田壮一
漫画/おおみぞきよと
おばあちゃんこ
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