
複雑な国の歴史を歩む台湾。戦後の台湾人のアイデンティティとは、一体どのようなものなのか。
また、世代間での認識の違い、近年の若者のライフスタイルを『台湾の本音〝隣国〟を基礎から理解する』(光文社新書)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
アイデンティティをどう認識するか
個々で、台湾を深く知るために、現代の人々の考え方と、社会の潮流についてお話をしていきましょう。
「台湾アイデンティティ」についてです。
台湾アイデンティティは、言葉の通り台湾の人々が「台湾は台湾である」「台湾を生きる自分たちは、台湾人である」という認識です。
ただし、もう少し厳密に定義をしておく必要があるでしょう。
台湾は国民党の独裁政権が長く続いたため、民主化・自由化が果たされる1990年代に入るまでは世論調査というものが存在せず、外部から見て台湾人たちの心のなかがなかなか分からない状況でした。
1992年から台湾・政治大学選挙研究センターが「台湾民衆重要政治態度」という世論調査を始めます。そのうちの一つの設問が、台湾の人たちがアイデンティティをどう認識しているかというものでした。選択肢は「私は台湾人である」「中国人である」「台湾人でもあり、中国人でもある」の3つです。
ここにそのグラフを引用しておきましょう。
1992年の最初の調査では、「台湾人でもあり、中国人でもある」と答えた人が46.4%で最も多く、続いて「中国人である」が25.5%、そして「台湾人である」と答えた人が17.6%と2割に満たない結果が出ました。
しかし1995年には「台湾人である」と「中国人である」の順位が逆転し、2000年代後半には「台湾人である」の回答がトップに立ちます。2000年の結果を見ると、「台湾人である」の回答が67%、「台湾人でもあり、中国人でもある」が27.5%、「中国人である」と答えたのはわずか2.4%となっています(図表5)。
この結果をもって、われわれは台湾アイデンティティが台湾社会の主流となっている、と判断しているわけです。
この民主化以降における台湾人としてのアイデンティティが、狭義の意味での台湾アイデンティティです。
「台湾アイデンティティ」の始まり
では、広義の意味での台湾アイデンティティとは何か。その萌芽は日本統治下の時代にまでさかのぼります。
日本が日清戦争で清朝から台湾を割譲させた後、台湾を統治するにあたって、日本人は自分たちと台湾の人々を分けて考えていたわけですね。台湾の人のことを「本島人」、一方で日本から台湾へ来る人たちを「内地人」と呼びました。
それまで清朝の統治下にあった時期は、当然中国との結びつきが強かったのですが、日本の統治下に入ったことで台湾は政治体制的には中国と切り離されて、日本式の社会に変わっていきました。
ただ、完全に日本人として扱われたかというとそんなことはなく、やっぱり本島人という身分は一生ついて回ることになった。そこで自分たちが中国人でもなければ日本人でもないという存在であることを意識したわけですね。
ここで初めて台湾という土地を、そして台湾という土地のなかに生きる人々を固定して考える状況が生まれたことになります。
日本の統治が始まると、それに抵抗する民衆蜂起も起こりましたが、やがて日本によるインフラ整備や近代化が行われていくなかで、今度は議会設置など自治を求めていくことを選び始めるわけです。
これが広い意味での台湾アイデンティティの始まりだったと思います。
中国・国民党に対して複雑な感情を持っている
日本統治によって中国と切り離されて、日本人とは完全に一体化しなかったというところで、台湾人という存在が浮かび上がった。
その認識が社会に広まったころの第二次世界大戦後に、中国本土から国民党がやってきます。
しかしながら、日本的な文明化された教育を受けてきた台湾の人々は、彼らに対して複雑な感情を持ちます。彼らが台湾で見せる言動があまりに前近代的で、野蛮に映ったからです。高いレベルの教育を受けた一部の層は「われわれのほうが優れている」と考えました。
一方で、権力的には国民党から抑圧されてしまう。その結果、彼らのなかには「やはり自分たちは台湾人なのだ」という意識がさらに強くなっていきます。
ただ、38 年間続いた戒厳令と独裁体制のなかで、台湾において台湾アイデンティティを明確に理論化し、世に発表することは不可能でした。そこで海外亡命者や海外留学者のなかから台湾の独立運動が立ち上がるわけです。
民主化する前の台湾でも、中国のことより、台湾の文化や社会を大事にしようという動きはありました。ただ、独立などの思想を育むところまではいかなかった。当局が睨みを利かせてもいました。
それが、民主化した後に海外で独立運動をしていた人々は台湾に戻れるようになり、自分たちのリーダーを決める選挙も回数を重ねていくにつれ、やはり自分たちは台湾人だ、昔は関係があったかもしれないが今は中国とは別なんだ、という台湾アイデンティティが徐々に成熟してきた。それがこの世論調査の結果に表れていることになります。
「天然独」世代は、独立を宣言する必要性がないと考えている
とくに1990年代以降に教育を受け、物心つくころから自分たちの指導者を選ぶところを見ながら育ってきた人たちが、20歳になれば投票権を持つようになります。
この世代の人々が「天然独」といわれる世代です。
その意味するところは「生まれながらの独立派」ということになりますね。古い世代の人々にとってみると、中国というものは克服しなければいけない存在として立ちはだかっていました。だから「われわれは独立宣言をするんだ」「中華民国を廃止する」などと考えるんですね。
しかし、天然独の世代はそのプロセスを経験していません。
ただ目の前に、当然の存在として今の台湾があるんです。
だから葛藤もなく、生まれながらにして独立──いえ、独立というよりは台湾は台湾だと思っている。だから、独立を宣言する必要性も考えない。よって「天然」なんです。
言ってみれば、天然独の人々は別に中国に対するコンプレックスもないし、そこまでの嫌悪感もないことになります。
中国へ働きに行くことにも心理的な抵抗はありません。
ただ、かといって中国に永住したいとか、中国に統一されるべきだとも考えません。
彼らにとって台湾はあくまで台湾なのです。なので、自国の独立性に影響を及ぼす行動を中国がとったときは立ち上がる。それが若い天然独世代の行動原理ということになります。
天然独世代の台湾ならではのライフスタイルとは
ここ10年ほどの台湾の若者、天然独世代が持つ価値観を象徴する言葉が「小確幸(小さいけれど確かな幸せ)」です。
日本の作家・村上春樹がエッセイのなかで使った言葉です。台湾では日本の大学で学んだ賴明珠という翻訳家によって、1990年代以降に多数の作品が出版され、『ノルウェイの森』は台湾に村上春樹ブームを起こしました。現在でも広く読まれる日本人作家の一人です。
その「小確幸」が出てくる一説を引用してみましょう。
引き出しの中にきちんと折ってくるくる丸められた綺麗なパンツがたくさん詰まっているというのは人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつ(略して「小確幸」)ではないか。(村上春樹『ランゲルハンス島の午後』新潮文庫)
お分かりいただけるでしょうか。
要は、自分の手の届く範囲で幸せな空間を作ろうという感覚ですね。
台湾の教育制度は日本と同じように小学校6年・中学校3年が義務教育で、高校が3年、そして高等教育として大学が存在します。大学は120校ほどと人口に比して多く存在しています。
しかし近年は少子化の影響もあって以前ほど大学進学が難しいものではなくなり、経済成長の鈍化もあいまって大卒者の就職率も高くはなくなりました。
そうした風潮に「小確幸」がはまったということもいえるかもしれません。
最近、台湾ではコーヒーショップが流行っています。日本統治時代、台湾はコーヒー豆の産地でしたが、台北などの都市部ではカウンターに5~6席の小さなコーヒーショップが増えつつあります。バリスタ世界大会の王者が出たこともあって、さらに話題を呼んでいます。
こうしたショップをのぞいてみると、若い夫婦が経営している姿がよく見られます。
話を聞くと、多くの人が大学へ行って競争をかいくぐって大きな会社に勤めてはみたものの、どうも幸せだとは思えない。それよりも好きなパートナーと好きなコーヒーをいれるための小さな喫茶店を作るほうが幸福だというわけです。
物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさを求める「小確幸」を求める若者の姿は、日本にはなかなかない、天然独世代の台湾ならではのライフスタイルだといえるでしょう。
文/野嶋剛
台湾の本音 〝隣国〟を基礎から理解する
野嶋 剛