
ドジャースの大谷翔平選手(29)の元通訳・水原一平氏(39)が、ギャンブルで作った借金を大谷選手の金で穴埋めしていたことがこの3月に発覚して以来、ギャンブルやその依存症への関心が高まっている。そこで、カジノでかつて106億8000万円もの大金を熔かし、社会的地位を失い、塀の中の人となった大王製紙前会長の井川意高氏(59)に、自身の経験をもとに水原被告に思うことを聞いた。
「盗んでやろう」ではなく、「借りている」だけ
水原被告の事件を知ったときは、私の数字を抜かれなくてよかったな、と正直ホッとしました(笑)。彼が大谷選手の口座から盗んだのは、最初は6億円――その後、24億4400万円と明らかになりましたが――ですから、106億8000万円を大王製紙の子会社7社から無担保で借りて熔かした私の数字にはまだまだです。私は今、106億8000万円という数字のインパクトを活かして活動していますので。
活動の詳細は後ほど語るとして、まずギャンブルの話からしますと、ギャンブルに夢中になると、賭ける金額はどんどんエスカレートしていきます。登山の好きな人が危険なのに「次はもっと高い山に登ろう」と挑むように、釣り好きの人が魚を食べるわけでもないのに「次はもっと大きな魚を釣ろう」と狙うように、ギャンブル好きはたとえ勝っていても「もっと賭けて、もっと勝ってやろう」と思い、負けると悔しくて「取り返してやろう」と、どんどんエスカレートしていくのです。
そして、負けが続いて借金を膨らませてしまっても、今は“一時的に”負けているだけ、通過点に過ぎない、胴元にお金を預けているだけだ、などと考える。これからひっくり返して取り戻せる、と考えています。だから、水原被告も掛け金、借金がどんどんエスカレートしていった結果、大谷選手の金を盗んでやろうというより、「これから勝って返すのだから、一時的に借りているだけ」と考えていたのかもしれません。
実際、私も1996~1997年頃に、豪州ゴールドコーストで初めてカジノで遊んだときは、3日で100万円が2000万円に化けましたから。やり続けていれば取り返せる可能性もあるのがギャンブルです。私自身はこのビギナーズラックによる興奮と衝撃が、カジノにハマったきっかけのひとつになったと思います。
お上に守ってもらいたい日本人
私はギャンブルにハマり多くのものを失ったとはいえ、じゃあカジノをはじめとするギャンブルは悪だ、全部取り締まってなくしてしまえ、とは考えていません。人間、18歳を過ぎて大人になればすべて自己責任ではないでしょうか。
ギャンブルにハマって身を持ち崩すのもその人の自由で自己責任。
大谷選手は日本の宝だと思いますし、被害にあって大変気の毒だけれども、大金を稼いでいればその金をなんとかしてやろうと近づいてくる人は大勢いるもの。この先も近づいてくるでしょう。そうした人を見極める目を持つしかありません。大谷選手といえども一生、周囲に守られ無菌状態で生きていくことはできませんから。
水原被告の件は大変アンラッキーだと思いますが、大谷選手には“人生のデッドボール”に当たったと思って気持ちを切り替え、これからも活躍していただきたいですね。
逮捕前はほぼ毎週末マカオでバカラ
私はギャンブルを推奨しているわけではありませんよ。経験したことがないから興味がある、やってみたい、という人には「身を滅ぼすかもしれないので、やめておいたほうがいいですよ」とお話しています。106億8000万円もすってケロッとしていられる私のような人間は、そうはいませんから。「身を滅ぼすかもしれないけどやってみたい!」という方には「じゃあどうぞ」というしかありません。
先ほどお話した私の豪州での初カジノは、ゴールデンウィークに友人家族と一緒に行った家族旅行での体験でした。ビギナーズラックで100万円が2000万円になったとはいえ、それからすぐにカジノにハマったわけではありません。当時は大王製紙の取締役でしたから、会社の仕事があり、家族もいましたから、年2回の長期休暇のうち1回を、家族も楽しめるラスベガスに出かけるかどうか、という程度でした。
頻繁にカジノに足を運ぶようになったのは、2003年頃からです。六本木の飲み屋で知り合ったジャンケット(カジノの仲介業者、コンシェルジュのようなもの)に導かれ、マカオのVIPルームで遊ぶようになってからです。いつからかお金を借りて賭けることを覚え、さらにクレジットカードのキャッシングや高級腕時計をカタに賭けるようになり、大王製紙の社長に就任してから1年後の2008年頃には、カジノ通いに拍車がかかっていきました。
最初は100万円単位のかわいい勝負をしていました。賭け方もかなり慎重。ところが、負けが拡大するにつれ賭け方が大胆になり、賭ける金額も億単位に。当然、ポケットマネーでは足りなくなりますから、2010年には大王製紙の子会社の役員に電話をかけ「個人的に運用している事業がある」などと伝え、金を引っ張るようになりました。
家族には「大事な用事があるから」などと説明し、その実、「なんとか負けを取り返そう」と焦っていました。
逮捕される7か月前の2011年4月以降は、ほぼ毎週末マカオへ出かけていましたね。でも、私がギャンブルの沼にハマっていることを、私の周りの会社の人間や家族や親友も、誰も気付いていませんでした。
取材・文/中野裕子 写真/村上庄吾