
2016年の覚醒剤と大麻所持による逮捕から8年、高知東生が商業映画に復帰した。依存症からの回復を題材とした映画『アディクトを待ちながら』で主演を務める。
高知東生(以下、同) え、このインタビュー、俺一人? 監督もいないの?
――記事は二部構成で、まずは高知さんお一人で、このあとナカムラサヤカ監督と田中紀子プロデューサーも交えて3人での取材もあります。
あぁ、よかった。俺一人だと途中で気絶するかもわからん。
――なんで気絶するんですか(笑)。
緊張とかいろいろあるでしょう。一人だと余計なこともベラベラしゃべっちゃうしさ。
――商業映画に出演するのは、およそ9年ぶりということですね。
今回の映画のナカムラサヤカ監督とは、2021年に「ギャンブル依存症問題を考える会」のTwitterで公開した連続ドラマ『嘘つきは○○のはじまり』で初めてご一緒させていただいて。依存症がいかに難しい問題であるのか、一緒に考えてきた仲間です。それで、次は映画でも啓発していきたいと思って出演しました。
――役を演じるのも久しぶりでしたか。
それがさ、これ言っていいのかな。この映画、俺、演じてないのよ。役と設定はあったけど、セリフは全部アドリブ。というのも、この映画はある意味ドキュメンタリーの要素もあるわけ。だから役者をはじめて30年近く経つけど、一番緊張したね。意識としては仕事というよりも、生の声、真実の言葉を、ありのまま映画として残したかった。
宮沢りえの首を強く締めすぎたら……
――そもそも高知さんは、芸能プロダクションの社長などを経て、芸能界へ入ったわけですが、演技の勉強というのは?
最初にお世話になった事務所がフロム・ファーストプロダクションというところで、モッくん(本木雅弘)をはじめ、竹中直人さん、石野真子さん、今は独立した北村一輝、ほかにも錚々たる俳優を抱える会社だった。そこで俺も芝居の稽古してもらえるのかと思っていたら、当時の社長が「する必要ない」って。でもあの頃の俺は、演技の経験はゼロ、標準語もまともにしゃべれない、漢字も読めない。それでいきなり現場に行ったもんだから、大変なんてもんじゃない。NG出しまくり。しかもデビュー作なのに、ゴールデンタイムのドラマだったからね。
――1993年に日本テレビで放送された『西遊記』ですね。
そうそう。日テレ開局40周年記念の特別ドラマ。モッくんが孫悟空、宮沢りえちゃんが三蔵法師の役で。俺は銀角大王っていう悪役だったんだけど、演技はもちろん、スタッフがしゃべっている専門用語はわからないし、とにかく大変だった。監督が「わらえ」って言ってるから、竹中直人さんと同じ事務所の人間としては、あの有名な「笑いながら怒る人」をやれってことだなと思って、ヘラヘラ笑いながら長台詞を言ったら、「ばかやろー!」って缶コーヒーが飛んできた。「わらう」って業界用語で「片づけろ」って意味なんだよね。
ほかにも、俺が三蔵法師役の宮沢りえちゃんの首を絞めるシーンでは、なにしろ加減がわからないもんだから、ギューって強く締めすぎちゃって、りえちゃんが「く、苦しい……」って。すかさずマネージャーのりえママがすっ飛んできて、怒られたね。
――芸能界に入る前、高知さんはどういう映画を観ていたんですか?
俺は家庭環境のせいで、映画は任侠ものだけ。とくに好きだったのが金子正次さんの作品で、名作『竜二』にはじまり、陣内孝則さん主演の『ちょうちん』、哀川翔さんと的場浩司さんダブル主演の『獅子王たちの夏』とか。映画の中で陣内さんが、警察に手錠をかけられてニタ~ッと笑うシーンがカッコよくてね。
石原軍団に銀座のクラブで遭遇
――高知さんが俳優としてデビューした頃の業界は、どんな感じでしたか?
平成にはなっていたけど、雰囲気はバリバリの昭和でしたよ。今でも覚えているのは、役者仲間と銀座のクラブへ行ったときに、なぜか俺らの席にホステスさんが全然来てくれないことがあってさ。それなりに高級な店だったのになんだと思っていたら、向こうの席でキャッキャ楽しそうにしている団体客がいたの。あいつらのせいか……と、しばらく待っていたら、俺たちの席に豪華なフルーツの盛り合わせとヘネシーが置かれて、「あちらのお客さまからです」って。あれ、知り合いか、と思ってよく見たら、その団体客、石原軍団だったんだよ。だから店中のホステスがそっちに行ってたの。
――それで、お礼を言いにいったんですか?
もちろん憧れの人たちだからね。「ありがとうございます!」ってお礼を言いに行ったら、舘ひろしさんが「近頃の役者は個性がないから、遊びも豪快にやって、いい芝居をしてください」って。もううれしくてね。まだ駆け出しの役者だった俺たちのことを知っていたのか実際にはわからないけど、石原プロモーションの小林正彦専務(当時)も一緒にいたから、耳打ちしてくれたのかもしれないな。ただ大変なのはそのあとよ。いただいた大量のフルーツとヘネシーが目の前にあるんだから。
――残すわけにはいかないですよね。
こっちも大人数ではなかったし、ホステスさんはみんな向こうにいるから一緒に飲むこともできないし。もう必死で飲んで食べて、腹パンパン。それで、やっと食べきって飲みきったと思ったら、また「あちらのお客さまからです」って。俺たちがあまりに必死で飲み食いしていたもんだから、おかわりをくれたんだよ。あんなにフルーツと酒を一気に飲み食いしたのは、後にも先にもないね。いい思い出だよ。
――芸能界の洗礼ですね。
いい思い出だけじゃなく、めちゃくちゃなこともたくさんあったから。今考えると、歪んだ認知だったと思うことも数えきれないぐらいある。だから、昔は昔、今は今、その時代に合わせて生き方や振る舞いも考えなくちゃいけない。昔がいいとか、今はダメだとか、時代をずらして考えるのは本当によくないよ。
根性論よりも、健康と安全が大事
――豪快に生きた昭和の俳優と、現代の俳優と、その違いはどこにあると思いますか?
あくまで俺自身の考えだけど、昔は監督をはじめ、裏方の人たちが、役者個人の力量を信じてやっていたところが強かったと思う。だから、演技力はもちろん必要なんだけど、それだけじゃなく、人間としての度量みたいなものが求められていた。それが今は、撮り方にしても編集にしても、映像制作の技術がものすごく発達したから、役者の比重が変わってきたよね。今はスタッフ総出で作り上げるような感覚なんじゃないかな。
――どういったシーンで、それを感じますか?
わかりやすいところで言えば、殴ったり蹴ったりするシーンがあるとして、昔は役者が体を張ってスタントしていたでしょう。ときには本気で殴り合って、体をぶつけることで迫力を出していた。でも今なら、撮り方や編集の工夫によって、体を張らなくても迫力あるシーンが作れるようになった。求められるものが違うんだよね。かつては迫力を出すために殴り合う必要があったから、精神論や根性論が求められていたところもあって、今はもうその必要がないんだから、精神論も根性論も必要ない。それよりも、健康で、安全であることのほうが大事な時代になったんだよ。
日本の芸能を発展させた昭和の興行師
――昨今は所属する芸能事務所の管理体制やコンプライアンスも注視されるようになりました。
それこそ歴史を遡れば、無茶苦茶なこともあったけれど、日本の芸能を支え、発展させたのは、間違いなく昭和を生き抜いた人たち。そういった歴史を否定するのではなく、その歴史の上にあることを知ったうえで、今の時代に合わせたやり方をしていくことが大事だと思うな。
――映画『アディクトを待ちながら』では、「どれだけ謝れば許してもらえるのか」というセリフが印象的でしたが、昭和の時代は芸能人が薬物で逮捕されても、今よりはスムーズに芸能界へ復帰していました。
それも時代が違うから、仕方がないよね。そのことに抗うつもりはない。今の時代、たしかに復帰はとんでもなく難しいし、過去は消せない。でも俺は、逮捕されたからこそ、今があると心から思ってるんだよ。だって、漢字も読めないし書けなかった俺が、小説を書くようになったんだよ。あの頃のまま役者だけをやっていたら、こんなことには絶対ならなかった。どう生き直すか、今はそのことだけを考えてるよ。
――高知さんの書いた小説『土竜』(光文社)は、素晴らしい文芸作品でした。
ありがとうね。そんな言葉をかけてもらえるのも、俺が“生き直し”をしているから。Xの投稿もそうだし、この取材だって、自分をさらけ出して、今は素直になんでも応えられる。まだまだ回復の途中だけど、虚勢を張らずに生きるって気持ちいいよ。
――「回復の途中」という意識を持つことも大事ですね。
今の状態は、旧型の自分と、新型の自分が混ざり合っているような感じかな。ふとしたときに旧型の自分が出てくると、「やっべ、また昔の自分で考えてるよ」って気づけるようになった。この「気づけるようになった」というのが、俺にとってはあまりに大きな進歩なの。自分で自分に「待て待て、また同じ過ちを繰り返すのか?」って問いかける。頭で思うだけじゃなく、体もそういう考えで動くようになった。
それは依存症の自助グループの仲間たちのおかげであり、支えてくれる人たちのおかげ。今回、映画に出演させてもらったのも、自分なりの恩返しだと思ってる。捕まってしばらくの間、自分を否定して否定してどうにもならなかった俺が、また映画に出演できるなんて、こんなありがたいことはないんだから。
後編へつづく
取材・文/おぐらりゅうじ 撮影/高木陽春
『アディクトを待ちながら』
2024年6月29日より新宿K’sシネマほか全国順次公開
2024年製作/82分/G/日本
配給:マグネタイズ
© 2024ギャンブル依存症問題を考える会高知東生が主演を務め、依存症からの回復を題材に描いた人間ドラマ。
大物ミュージシャンの大和涼が覚醒剤と大麻の所持で逮捕され、大きなニュースとなった。それから2年後、依存症患者たちによって結成されたゴスペルグループ「リカバリー」が音楽ホールでコンサートを開催することに。メンバーの中には事件以来ずっと沈黙を貫いてきた大和の名前もあり、出演の知らせを聞いたファンたちが続々と会場につめかける。薬物やギャンブル、アルコール、買い物、ゲームなどさまざまな依存症者で構成される「リカバリー」のメンバーたちは互いに支え合い、依存性物質に再び手を出す「スリップ」を行うことなくコンサートに漕ぎ着けた。しかし、開始時間を過ぎても大和が現れず……。