
9月30日スタートのNHK連続テレビ小説『おむすび』。「食」と「結び」をテーマに、栄養士を目指す主人公・米田結が時代をまい進する様を描く。
27歳年上の夫との出会いがおにぎり作りのきっかけ
子どもの頃からおにぎりが大好きだったという由美子さん。お手本にしているのは、実家の母が握るおにぎりだったと振り返る。
「運動会や遠足など特別な日に母がおにぎりを持たせてくれました。うちは貧しかったのでおにぎりに梅干ししか入っていませんでしたが、海苔は1枚ちゃんと巻いてくれていました。
私にとってのご馳走は、母の思いが詰まったおにぎりなんです。『ぼんご』のおにぎりは、母のおにぎりのように、ただ楽しく、おいしく食べられたらいいかなと思っています」
そんな女将が作る「ぼんご」のおにぎりは握らないのが特徴だ。型に米を入れ、具材を詰めた上から、さらに米を重ねる。塩をすばやく指につけ、手のひらにまぶして海苔で巻く。
米と具材を慈しむように海苔が包み込む。出来上がったおにぎりは、程よい空気感と柔らさがあって食べやすい。まさに母の愛情を感じる一品だ。
店名を打楽器の一種、ボンゴに由来する「ぼんご」と名づけたのはバンドマンだった先代、右近佑さん。由美子さんの亡き夫だ。
「主人は地元の東京・池袋で姉と2人で『ぼんご』という名前のバーをやっていたのですが、主人はお酒が飲めないので、老若男女に愛される食べ物を出したいと思って新たにおにぎり専門店を始めました。
昭和35年当時はおにぎり専門店なんてほとんどなかったそうですよ」
おにぎりは、居酒屋で締めに食べるお茶漬けと同等の扱いだった。浅草「宿六」が、「ぼんご」より1年早く「おにぎり専門店」を開店していたという。
当時、おにぎりは1個30円。「チキンラーメン」が一袋35円で販売されていた時代で、決して、安い値段ではなかった。
そんな「ぼんご」と女将が運命の出会いを果たす。新潟から上京後、友人と来店して先代と知り合った。
「私は田舎から出てきて食料難民状態。そんなときに友達に『ぼんご』に連れて行ってもらったのが最初です。
こんな美味しい食べ物があるんだって思って、それから通いつめました。
「レシピはすべて公開。秘密にする必要なんてない」
そして、由美子さんも「ぼんご」で働き始めることに。結婚当初は洗い場の手伝いをしていたが、雇っていた従業員が辞めてしまい、おにぎりを握ることになった。
「主人に明日から『お前がやれ』と、経験もないのに言われ……(笑)。最初は大変でした。握れないんですよ。でも握るしかない。
ただ、お客さんはみんな常連さんですから、愛のある眼差しで私を育ててくれました。お客さんから『代わりに握ってあげようか』なんて言われたことも」
当時、具材が20種類程度だったとはいえ、慣れないおにぎり作りに悪戦苦闘が続く。さらに、女将を苦しめたのは味噌汁だった。
「1番難しいからです。おにぎりはある程度具材さえ固定してしまえば、握り方の問題。でも味噌汁は温度も日によるし、出汁を取るにしても、同じ味を出すのが難しい。
同じ人が作っても、出汁を25分取るか30分取るか。または火が強いか弱いか、水が冷たいかぬるいかでまったく違う味噌汁ができる。
調理って生き物なんです。私はレシピをすべて公開していますが、レシピ通り作っても同じものなんてできませんから秘密にする必要がない(笑)」
女将はそう笑い飛ばすと、「ぼんご」のおにぎりが大きい理由について明かしてくれた。
「前はもっと小さなおにぎりでした。ある時、お腹を空かせているのに味噌汁を飲まないサラリーマンのお客さんがいて『なんで味噌汁飲まないの?』と聞いたら、『給料前に味噌汁100円なら、おにぎりもう1個食べた方がいい』と。
なら、ちょっと大きくしてあげようと思って、ご飯だけで150gは入れるようになりました」
お客の気持ちを第一に考える由美子さんだったからこそ、「ぼんご」名物の大きなおにぎりは誕生したのである。
そんな「ぼんご」のおにぎりだが、由美子さんは「最初はこだわりなんてなかった」と吐露する。
「お客さんに『時間が経って食べたら(米が)硬かったよ』とかいろんなことを言われることもありましたが、とにかくおにぎりを握ることで精一杯で……。
10年くらい働き始めてやっと余裕が出てきたので、考えを改めて『お米をどうしたらいい?』『海苔はどうしよう』と細かいところを意識するようになりました」
最大の試練は夫の死。迷う中で新たに見つけた目標
明るく前向きにおにぎりと向き合う女将にも、最大の試練が訪れる。
「私が『ぼんご』を46年やってきた中で、一番辛かった出来事は主人が病気で倒れたこと。それを機に私が社長を務めるようになりました」
社長として店の全てを取りしきり「ぼんご」の魂を引き継ぐも、夫の佑さんは還暦を迎える10日前に亡くなってしまう。だが、葬儀の日も従業員たちはお店の営業を続けた。
「すべては来てくださるお客様のためです。それでも主人が亡くなって2年間くらいは店をたたむかどうか悩みました。その時期が一番辛かったですね」
ご主人が亡くなって、女将の心境にも変化が出てきた。先代が亡くなってから、「お金のための仕事はやめよう」と思い立ったという。
「それまでは扶養家族も従業員もいるから稼がなきゃと思って365日お店に行ってがんばって働いてきました。
でも、主人が亡くなってからは私自身どっちに行っていいかわからなくなって。
そんなときに知り合いから『これから新しいことを始めるよりも、今までやってきたことを土台にして考えていった方がいいんじゃないの?』と言われてハッとして。
ガムシャラに働くよりもオンとオフをちゃんと作って働いていこうと」
「やっぱり私にはおにぎりが一番」と確信した由美子さんは、次の目標に「後継者を育てる」ことを掲げた。
「弟子というわけじゃないですが、おにぎりを握りたい人の背中を後押ししてあげたいと思ったんです。それも楽しい食事の場面を作れる人たちがいいですね」
女将の店で修業をした職人の中には、独立して店を構えた人もいる。東京・板橋には「ぼんご」の名前を受け継ぐ店舗があるが、これは先代の甥が開店したものだ。
「親戚筋ですけど、彼は一生懸命。もともと、おにぎり屋をやりたくてうちに5年いたので。技術も5年学んでいます。営業のやり方はうちとは全然違いますが」
「ぼんご」店主が教える美味しいおにぎりの握り方
おにぎりといえば、家庭でも簡単に作れる日本のソウルフードだが、よりおいしく握る方法はあるのだろうか。
「おにぎりのポイントはやっぱり握り方。いえ、もう握らなくていいんです。なんでおにぎりって名前があるのだろうって突っ込まれるぐらい、握らない方がいい。
それじゃほどけるじゃないかと思われるのでしょう? そのための海苔。海苔って包装紙なんですよ」
ポイントは握らないこと。そして包装するように海苔を巻く。それによって、自宅でも簡単に“ふわふわエアリー”なおにぎりを握ることができるのだ。
後継者は? 女将が見すえる「ぼんご」の未来
由美子さんには、後進を育てるにあたり、心がけていることがある。
「私は新しく入ってきた従業員に『一人前にしてあげます』と約束したことはありませんし、何か特別なことを教えられるわけじゃない。
技術は自分で積み重ねていくしかない。お客さんとの関係も時間をかけて築き上げるもの。
じゃあ何を私が伝えられるかというと、『ぼんご』の良さ=説明できない空気感だと思っていて。それを感じてもらうことはできる。
従業員と一緒にまかないを食べて、コミュニケーションをとって信頼関係をつくっていく。そういう場だけはしっかり提供していきたいです」
厳しくも、愛情深く仲間と接する由美子さん。コロナ禍で飲食店の苦境が続く中でも、テイクアウトの客層を伸ばし、売上に影響はなかったという。
今は頼りになる従業員も育ち、営業中も少し手が空くようになった。注文を取る際、お客の顔を見ることが楽しみだと女将は笑顔で語る。
「常にたくさんのお客さんを相手におにぎりを握っていますが、お客さんはどれが自分のおにぎりかがわかるみたいで、その期待感みたいなものが厨房にも伝わってくるんです。
お客さんにおにぎりを出すと写真に撮ってあげたいくらい満面の笑みで応えてくれる。それが一番うれしい瞬間です」
以前、来店したおばあさんには「末期がんの夫に何が食べたいと聞いたら『ぼんごのおにぎり』と言っていた」なんて店主冥利に尽きることまで言われたそうだ。
「本当にやってきてよかったと思えました。だから最近、お金をもらっちゃいけないような気がしています。
前はお客さんを喜ばせたい、笑顔にしたいとがんばってきましたが、今はお客さんに笑顔をもらう側。150歳まで生きられるパワーをもらってます(笑)。
うちの従業員がみんな明るくて元気なのは、エネルギーをお客さんからいただいているからです」
女将も御年70歳。150歳まであと80年あるとはいえ、いずれ先々を見据え、後進に店を託すのか?
「まだ私も元気ですからそこまでは考えてません。それに今、お店を渡しちゃうと私がダメになっちゃいそうで(笑)。もうちょっとやりたいこともあるし、まだまだ頑張ります!」
果たして、ドラマの『おむすび』では「食」と「人」の関わりをどう描くのか。今後の展開に注目だ。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 撮影/Soichiro Koriyama