
結婚や出産など、女性のライフステージの変化は“自分”以外のことで、大きく変わってしまうことがある。その度に新しい“生き方”に思い悩む人も多いだろう。
いじめられっ子から学級委員へ
愛知県在住の大津たまみさんは、車の部品を作る小さな工場を経営する父親と、そろばんの先生をしていた母親のもとに、3人姉弟の次女として生まれた。
「子どもの頃から2歳上の姉は美人で有名で、2歳下の弟はすごく頭がよかったので、私は“ちょっと残念な子”って感じでした。
身体が小さくて泣き虫だったので、小2のときに学校でいじめられていたのですが、担任の先生に、『なんでもいいから1番になるものをお前は持て。いじめる子が悪いのは当然だけど、お前も弱すぎる。もっと強くならないと、この後生きていけないよ』って言われたのが人生で最初の分岐点でした」
そのとき、たまたま姉と弟の“オマケ”としてスイミングスクールに通い始めた大津さんは、「誰よりも早く泳げるようになろう!」と一念発起。
結果、小5のときには、背泳ぎで地区大会に出場できるほどの実力をつけることができた。
「我が家は子どもの頃から、家族で車で出かけるとき、父が必ず“経営者の心得”みたいなテープをかけていて、その話の中で『人とは違う市場で戦いましょう』ということを繰り返し聞かされていました。
だから、人気があってライバルが多いクロールや平泳ぎではなく、背泳ぎを選んだのです」
水泳で活躍できるようになると、いじめも収まり、大津さん自身の自信にもつながった。
自分がいじめられていた経験から、いじめられている子をかばったり、不登校気味になった子を家まで迎えに行ったりするように。
いつしか学級委員に推薦されるようになっていた。
出会って秒で交際
大津さんは背泳ぎの実力を活かし、高校卒業後はスイミングのインストラクターとして働き始めた。スイミングの仕事の隙間時間には、化粧品販売の仕事を入れた。
そして20歳のときのこと。友だちの紹介で、車の販売の仕事をしている同い年の男性と出会う。彼がのちの夫になる人だった。
「少し話してみて、『自分にないものを持ってる人だな』と思いました。物怖じしないところとか、強い精神力を持っているところとか、自分とは真逆で、とても魅力的に感じたんですよね」
お互いに惹かれ合っていた2人は、その日のうちに交際を決め、2~3回会った後には、「離れている理由がないよね」と意気投合。同棲をスタートした。
彼が車の販売業から清掃会社に転職すると、大津さんは彼と過ごす時間を増やすため、スイミングのインストラクターの仕事の合間に、彼と同じ清掃会社でアルバイトをはじめた。
そして同棲開始から4年後の1995年、25歳で結婚。
彼と少しでも多くの時間を過ごしたいという想いではじめた清掃会社でのバイト経験が、のちに大津さんの人生を大きく変えることになるとは、このときは知る由もなかった。
結婚からしばらくして、大津さんは妊娠し、1997年、26歳のときに出産。元気な男の子だった。
夫はとても喜び、育児にも協力的。
夫の起業と買い物依存症
息子の出産から約半年後、夫は清掃会社を起業する。
大津さんもバイト経験を活かして、夫を全面的にサポートするようになった。
「登記から事務から現場作業から、すべてを夫と一緒になってやらなければならない立場になったんですが、女性として生きてきて、結婚したら“妻”や“主婦”というものが付け加えられて、何も減らないのに、さらにそこへ“子育て”が加えられて……。もうどんどん、どんどん役割が増えていきました。
息子も生まれたばかりですが、夫が起業した会社もできたばかりなので、今までやったことのない資金繰りだったりとか経営のこととか、いろんなことに頭や時間や労力を使っていくうちに、どんどん疲弊していっちゃったんですよね。で、ちょっと、ノイローゼみたいになっちゃいまして……」
産後うつは、出産後1年以上経過しても発症する可能性があるという。もしかしたら、産後うつや、育児ノイローゼだったのかもしれない。
夫の起業から3年ほど経った頃、気づけば大津さんは、実質的な忙しさやそれがままならないストレスを解消するかのように、買い物依存症になっていた。
家の中は常にぐちゃぐちゃで物が溢れていた。それなのに、とめどなく新しいものが欲しくてたまらない。
ブランド物もそうでないものも、とにかく欲しいと思ったものを買わずにはいられなかった。
しかし、ひとたび買ってしまえば熱が冷め、部屋にはパッケージを開けずに放置されているものが増えていった。
「『それ、買っても使わないよね?』みたいなものもとにかく買ってきて、ぐちゃぐちゃの部屋の中で幼い息子もいるのに、夫とは会社の資金繰りの話とか、仕事の話ばかりしていましたね。いつからか、家庭と仕事が切り離せなくなっていました……」
大津さんの買い物依存症の悪化と反比例するかのように、夫は家に帰ってこなくなっていく。
「すごく悩んでいるのに、どんどん殻に閉じこもっていきました。私、いいカッコしいなのもあって、人に相談できないし、助けを求められないんです。そんな私の状況とは裏腹に、夫の会社はとてもうまくいっていました」
起業人としての幸せと家庭人としての幸せ
夫がほとんど家に帰ってこなくなると、大津さんの精神はますます疲弊していった。母親の精神的な不安定さは、そばにいる息子に影響を与える。
幼稚園や小学校で友だちに手を出してしまったり、人知れずベランダに出て泣いたりするようになってしまう。
「正直、夫とは言い争うこともありました。でも相手は相手の立場で話すし、私は私の立場で話すんですよね。夫は結婚生活がなくなったとしても、仕事は手伝って欲しいと言う。
私は、もっと子どもとの時間を増やして欲しいって言いました。このままだと、子どもとどうにかなっちゃうかなっていうのもありました……」
そして大津さんは、離婚に向けて舵を切る。
「私は泥臭い言葉で言うと、夫と一緒に“家族愛”を育みたかった。でも彼は、経営者として会社を大きくすることのほうが優先順位が高かった。
話し合いを何度もしたんですが、ちょっともう難しい感じだったので、それなら、お互いに息子のことは変わらず愛していこう。
私が息子を育てていくけど、あなたも、会いたいときにいつでもどれだけでも、好きなときに会っていいから……と。それだけ言いました」
2006年1月。35歳の時に大津さんは離婚。その半年後、清掃会社を起業する。
夫の起業をサポートしたとはいえ、幼い息子を抱え、たった1人で会社経営に乗り出した大津さん。
果たして彼女は、“人生の壁”を乗り越えられたのだろうかーー。
取材・文/旦木瑞穂