
「“優しくおおらかな人” と評されたかった自分が、母にイライラし、声を荒げたときに、自己嫌悪しました」とノンフィクションライターの古田雄介氏(47歳)は振り返る。79歳の母の特別養護老人ホーム入居を決めた今、彼が感じていることを聞いた。
身内からの高齢者虐待件数は介護従事者の19倍の16,669件
要介護状態の高齢者に対する虐待は、施設でのものが報道されやすい。
しかし、厚生労働省の令和4(2022)年の調査では、圧倒的に多いのは親族からの虐待で、およそ19倍の16,669件の判断件数がある。
特に多いのは、実の息子による虐待で、39.0%を占める。
その背景には、男性は介護を1人で抱え込んでしまう、仕事のように合理的な結果が出ずにストレスを感じる、家事に不慣れなどが挙げられる。
「もともと、自衛官だった父が72歳で亡くなるまでは、母と父は2人暮らしでした。
父の葬儀の時に、会葬者から “優しい息子さんね” と言われたこともあり、母のことを支えてやると思っていました。
“いい息子” という枷(かせ)を自分にかけていました」と振り返る。
母に介護が必要だと感じたのは、父が亡くなってからのことだった。
介護のキーパーソンは息子の自分
古田氏は2007年に勤務していた編集プロダクションを退職し、フリーランスになった。
主な仕事場は自宅で、現在は、妻と娘とともに、神奈川県川崎市に暮らしている。東京都に暮らす姉がおり、両親は故郷の愛知県名古屋市で2人暮らししていた。
2013年に父が亡くなってから、もともと社交的な性格ではなく、父をよすがに生きていた母は、よりひきこもるようになっていった。
帰省するたびに母の家は荒れていっているように見えたため、2014年に初めて要介護認定を受けた。
要介護度は自立から要支援1~2、要介護1~5まであり、5が最も高い。
母は緑内障と白内障を併発しており、目が見えにくかった。下された判定は、要支援2だった。
「姉は会社員をしているので、介護に関わるキーパーソンは、時間が自由になる僕だろうなと思っていました。
ただ、遠方ということもあって何をするでもなく、母も何のサービスも受けないままでしたね。自分のテリトリーに人を入れるのを嫌がる人ですし、デイサービスなどにも消極的で。独りでいたかったようです」
2016年には、遠方での介護への不安から、母を川崎市に呼び寄せる。
だんだんと、介護の必要度は上がっているように見えた。
「川崎に引っ越してからも、1人暮らしの母の家には、何の介護サービスも入れられませんでした。デイサービスも見学には行くものの利用には至りませんでした」
2022年の2回目の認定の際には、要介護1の判定が下った。
「認知症のテストを受ける手配をしたり、未病を防ぐ努力をしたりしても、母親は拒否しました。
介護が始まって、5~6年はどんな距離感でケアするか、お互いに探っているような状態でしたね。
自分の親だから、自分が支えると、勝手にくさびにしていました。
そんな母の状態が急変したのは、2024年1月のことだった。
脱水症状や筋力低下から起き上がれなくなった母
2024年1月に、古田氏の母は、ヘルパーさんに自宅で倒れているところを発見され、入院することになる。
「筋力が低下し、起き上がれはするものの、歩けなくなっていました。脱水症状もあったので、2か月強、入院することになって。
入院の主な要因は、脱水症状と筋力低下による衰弱でした。
ただ、入院中の検査で血管が詰まって右足がむくんでいることもわかりました。それは2週間ほどでよくなったのですが、もう1人暮らしは無理だと思いました」
母は退院後に、介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指す介護保険施設である、介護老人保健施設(老健)に入居した。
老健には、8か月入居していたが、すでに母の視力は著しく衰えており、右目はほぼ失明状態。左目も人影がどうにか判別できるほどだった。
老健で受けた要介護認定の結果は、要介護4。
古田氏は、利用者の在宅復帰を目指す老健から、日常生活支援と介護が行われる特別養護老人ホーム(特養)入居に方針を切り替えた。
「グループホームや有料老人ホームも含め、8件の施設を見学しました。
最初は近所にある特養をリストアップして申請すればいいやと思ったのですが、妻から『いろんな特養を知れる機会なんだし見てから決めよう』と促されまして。
目と肌で厳選したところ、幸いにも僕の家から自転車で5分で行ける特養から、空きの報せをすぐにいただきました。今は入居したばかりで、週1~2回、備品などの補充に行っています。
今後は、自分と家族の生活が第一なので、無理のない範囲で面会に行こうと思っています」
介護を通じて自覚した自分の加害性
古田氏は、現在では、母の介護に対しては、一定の距離を置いて続けている。なぜそういった心境になったのかを聞いた。
「男性として、介護に対し、 “怖さ” を感じました。男性の僕には、腕力もあるし、いざとなったら、暴力を振るうポテンシャルもある。口が立つので、相手を言い負かすこともできる。高齢の母に比べて、相対的に、強者になりやすい。
母に対しイライラし “ 何で先を考えないんだよ!!” “ふざけんな!” と罵詈雑言を浴びせ、自己嫌悪に陥りました。
思春期に殴り合ったこともなく、優しくおおらかな人と評価されたかった自分が、そんな人柄でもないだろと突っ込まれた気分でした。
母の介護を通じ、僕は自分の加害性を感じました」
最後に、今後、介護に向き合う人に伝えたいことを聞いた。
「兄弟間・親族間で、協力体制を築けば、労力が効率的に回ります。
自分の固定観念を早めに疑うことも大切だと思います。母の面倒を見るようになった初期の頃、妻と大げんかしました。配偶者が協力するのが当たり前だと考えて、いろいろ押しつけていたからです。
今思えば酷いですよね。
親であっても所詮他人ですし、素人がいきなり介護してもスムーズにいくわけがない。自分だけで抱え込まずに、介護のプロたちの手を借りる手段を探るほうがいいと思います」
高齢化に伴い、仕事をしながら、親の介護を抱える人は増えている。誰しもが、心の中に、加害性を持っているのではないか。
2009年4月に、元タレントの清水由貴子さんが、介護疲れから自殺したというニュースは、古田氏の介護の原体験ともなっている。
いかに、1人で抱えないかが、介護殺人や心中といった悲劇を防ぐ唯一の方法なのではないか。
取材・文 田口ゆう