
第47代アメリカ合衆国大統領に就任したドナルド・トランプ氏は、早速「取引」によってロシアとウクライナの戦争を止めると宣言した。プーチンが応じなければロシアに対して追加制裁を課すという。
本記事は書籍『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの戦いの記録』を一部抜粋・再構成したものです。
アレクサンドル・リトビネンコ氏=サーシャ KGBの元職員、英国に亡命しロシアに対する反体制活動家となったが、2006年英国でロシア政府によって毒殺された
マリーナ・リトビネンコ氏 アレクサンドルの妻 夫がロシア政府に殺されたことを裁判で証明した
オレグ・ゴルジエフスキー氏 元KGB職員、民主主義のためにMI6(英国の秘密情報部)で活動した伝説的なスパイ
私(著者の小倉氏)はマリーナ氏や周辺への取材を通じて、ロシア政府による暗殺の実態を明らかにしていく
リトビネンコは本物のエージェントだった
インタビューは2時間を超えた。ゴルジエフスキーはジル(ゴルジエフスキー氏の身の回りの世話をしている英国人)に声をかけ、紅茶を持ってきてくれるよう依頼した。
英国ではリトビネンコ(アレクサンドル・リトビネンコ氏)暗殺について、プーチンが命じ、FSB(ロシア連邦保安庁)が実行したとの見方が強かった。一方、それを疑問視する声もあった。「彼はそれほど大物ではない」というのが理由の一つだった。
リトビネンコはプーチンを批判していた。ただ、ポリトコフスカヤ(プーチン批判をしていたロシア人女性ジャーナリスト アンナ・ポリトコフスカヤ)のようにメディアへの影響力はなかった。
ザカエフ(チェチェン紛争でロシアと戦った政治家 アフメド・ザカエフ)のようにチェチェン人を動かすような政治力も、ベレゾフスキー(ロシアから英国に亡命した実業家 ボリス・ベレゾフスキー)のような財力もなかった。ロシア市民に高い人気を誇ったわけでもない。プーチンやFSBにとって、気にするほどの存在だったのだろうか。
この点を聞くと、ゴルジエフスキーは「大物ではない」説を否定した。
「プーチンとその取り巻きが作りあげた嘘です。サーシャ(アレクサンドル・リトビネンコ)は私と同じ組織にいた同志です。私にはエージェントとしての活動を打ち明けました。おそらくマリーナにも語っていなかったと思います。私が妻に二重スパイであることを隠し続けたようにね。それはマリーナを信頼していないのではない。彼女に危険が及ばないようにするための配慮。プロのエージェントの生き方です」
リトビネンコはゴルジエフスキーにはすべての活動を打ち明けていたのだろうか。
「いえいえ。そんなことはありません。彼が暗殺された後、私が調査をしてわかった事実もありました。彼はロンドンに来た当初、ファイブ(英国の国内秘密情報機関MI5)に誘われて仕事をしています。
気持ちが乗ってきたのだろうか、ゴルジエフスキーは途中から、「ファイブ」「シックス」と略して語るようになった。
MI6の協力者として活動する中、リトビネンコはFSBに関連する情報を入手したらしい。
「スペインでの情報作戦に加わり、FSBに保護されているオリガルヒやマフィア関連の情報を得た。それについて彼が私にも語っていない内容がありました。私は暗殺事件後にそれを知り、彼が本物のエージェントだったとわかりました。FSBは彼が何を探り、どんな事実をつかみ、シックスに何を報告するかを把握していた。このままではスペインでのFSBの不法行為が英国に知られてしまう。サーシャを殺害する動機は十分あったはずです」
それに加え、リトビネンコは英国各地でロシアの内情を発表し始めていた。
「サーシャは本を書き、シンポジウムやラジオで話し、大学で講義するようにもなった。秘密情報の世界を知る者が表の活動をするとき、リスクは高まる。サーシャはそれがわかっていなかった。
世界の色分けはそんなに単純か?
ゴルジエフスキーは世界を二つのブロックに分けて考えている。民主主義を信奉する文明国と、それに抵抗する野蛮な国である。
ソ連・ロシアの蛮行を許さないため、文明国・英国に協力したと強調する。しかし、世界はそう単純に色分けできるだろうか。実際、英国政府はマリーナが涙ながらに求めた、真相究明のための独立調査委員会設置を当初、拒否している(夫のリトビネンコが、2006年英国内でロシア政府によって毒殺されたことは明らかだったが、ロシア政府への忖度から調査を渋っていた)。
国益のために、「民主主義」や「人権」を外交の手段に使っているとは言えないだろうか。その点についてゴルジエフスキーはこう述べた。
「サーシャの暗殺にはロシア政府が関与しています。英国はそれをよく認識している。調査結果を明らかにすればロシアとの関係は悪化する。暗殺事件後、両国の関係は冷え切っていました。キャメロン(ディヴィッド=キャメロン 第75代英国首相)は関係を改善する決断をした。政府の独立調査委員会設置反対は、ロシア政府が暗殺を命じたという暗示です。
ロシアの機嫌を損ねないため設置を避けようとしている。間違ったやり方です。正義のため、真実のため、野蛮への抵抗のためにも設置すべきだ。それが文明国らしい対応です」
彼が「文明国」と考える国もビジネスを前にすれば、民主主義や「法の支配」といった価値をないがしろにする。キャメロンの対ロ接近はその証左ではないか。
「カネではなく、イデオロギーのために動いた」。これを誇りにする彼は、信じたはずの英国がビジネスを優先させ、ロシアに接近する状況に戸惑っているようだった。
マリーナについて聞いた。
「ずば抜けて優秀です。治安機関に勤務せず、政治に関わった経験もない。それなのに国際政治が絡む複雑な問題に、勇気を持って的確に行動しています。
ゴルジエフスキーは本棚から書物を持ち出し、机の上に置いた。1995年に出版した自伝『ネクスト・ストップ・エクスキューション』だった。
「来年、再版されるんです」
ページをめくると、家族の写真が数多く掲載されている。
「これがご家族ですか」
「そうです。私が2度目の結婚をしたのは1979年です。すでにMI6のために活動していました。妻はKGBの情報提供者でした。私が亡命した際、モスクワに残された妻はKGBから厳しく尋問されたようです」
人類の幸福のために活動した
1985年の亡命以来、サッチャーとレーガンはゴルバチョフに繰り返し依頼している。ゴルジエフスキーの家族を出国させるようにと。ただ、そのたびに拒否された。
ソ連崩壊直前の1991年9月、家族は解放されロンドンで合流した。
「2人の娘はとても優秀で、オックスフォード大学に通っていたんだよ」
ゴルジエフスキーの表情が緩んだ。
「しかし、彼女たちとはうまくいきませんでした。その後、姿を消してしまった」
「ロシアに帰ったんですか」
「うーん、どこに行ったんだろう?」
「火星」で活動した(※ロシア国内のKGBで外国人のスパイが活動する難しさを、火星にスパイを派遣する難しさのようだと例えている)伝説のスパイは悲しそうな表情になった。スパイとて人間である。
「ロシアに帰りたいと思いませんか」
「民主的な政権が誕生し、指導者を恐れなくても生きていけるようになれば、帰るかもしれません。生まれた国だからね。ただ、現時点ではその見込みはゼロです。ロシアは民主化とは逆方向に進んでいる。かつてのファシズムのようだ」
家族を失っても、亡命への後悔はないのだろうか。
「なぜ、後悔する必要があるのですか。個人的利益ではなく、人類の幸福のために活動したんですよ」
きっと後悔はできなかったのだろう。人生を自ら否定するわけにはいかない。
ゴルジエフスキーは2007年、「英国の安全への貢献」が認められ、エリザベス女王から聖マイケル・聖ジョージ勲章(CMG)を授与された。
KGBに反逆したゴルジエフスキーはその結果、家族を失った。そして、同じくFSBに逆らったリトビネンコは命を落とした。残されたマリーナはゴルジエフスキーらの協力を得て、「人類の幸福」のために闘いを挑んでいる。
樹木に覆われた家を出ると、日はすっかり傾いていた。鳥が騒がしかった。ロンドンへの道すがら、国家権力と個人の関係を考えずにいられなかった。
写真/shutterstock
プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録
小倉孝保
夫アレクサンドル・リトビネンコは放射性物質によってプーチンに暗殺されたのか?
その真相を明らかにするため、妻マリーナは立ち上がった。
この動きを妨害する英国、ロシアという大国の壁を乗り越え、主婦がプーチンに挑み勝利するまでの過程を、マリーナと親交がある著者が克明に描き出す。
同時に、ウクライナ侵攻に踏み切ったプーチンの特殊な思考回路や性格、そのロシアとの外交に失敗した国際政治の舞台裏、さらに国家に戦いを挑んだ個人の姿と夫婦の愛を描く、構想12年の大作ノンフィクション!