
およそ1300年前、飛鳥時代に建立された法隆寺は、現存する世界最古の木造建築物として世界文化遺産としても知られている。法隆寺を造った職人たちは木の癖を見抜き、木を活かす技を受け継いできたが、明治時代以降は仕事を無くし、やがてはいなくなってしまった。
書籍『崩壊する日本の公教育』から一部を抜粋・再構成して、いま本当に求められる教員像を解説する。
消えていった職人
「法隆寺最後の宮大工棟梁」と呼ばれた故・西岡常一が住んでいた奈良県斑鳩町(いかるがちょう)の西里(現・法隆寺西1丁目)は、法隆寺に仕える職人たちの村だった。
彼らの生活は保障され、彼らは法隆寺を守っていた。日頃から法隆寺を見て回り、どこか悪いところがあれば自ら直す。それが法隆寺に仕えるということだった。仕事がない時には農業をしつつ、常に寺のこと、先のことを考え、良い木があれば何年も乾燥させて次の修理に備えていた。
昔、宮大工の棟梁は、木を買わずに山を買っていたと西岡は言う。自ら山を歩いて見て回り、一本一本が育っている環境をじっくり見るためだ。
陽の当たり方、水源、風向きなど、異なる環境で生き抜くために、木々は独自の癖を身につける。だから癖は生命力の表れであり、使い方次第ではとてつもない強さを発揮することを、昔の宮大工棟梁は知っていた。逆に、癖のない素直な木は弱く、耐用年数が短いことも。
そうして昔の宮大工棟梁たちは熟練のまなざしで木々の癖を見抜き、それに合わせた使い方をしたり、組み合わせたりすることで「木を生かす技」を受け継いできたのだ。
そんな彼らの生活は明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく 寺院や仏像、経典などが破壊され、仏教的要素が排除された)で一変、食べていくことすらできなくなった*1。
その後、急速に分業が進み、設計、積算、材木の調達、組み立てなど、最初から最後まで職人が担っていた建築の工程は分業され、単純労働化と機械化が進むことで大量生産が可能になった。
時間をかけて本当に良いものを一つ作るのではなく、長持ちはしないが安いものを速く大量に生産する資本主義の時代が来たのだ。職人は生きる場所を失い、やがて消えていった。
1300年前に建った法隆寺
手間と時間をかけない機械任せの便利な社会は、生き物を生き物として扱わない社会でもある。
「私らが相手にするのは檜(ひのき)です。木は人間と同じで一本ずつが全部違うんです。それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません。そうすれば、千年の樹齢の檜であれば、千年以上持つ建造物ができるんです。これは法隆寺が立派に証明してくれています*2」
西岡は、宮大工と大工の一番の違いは、心構えにあると言う。大きな建物、ましてや仏様が入る伽藍(がらん)を建てることの心構え、樹齢1000年の木の偉大さや尊さを知っている職人ならではの心構えがある。
1000年は生きる建物を造れますように。今度は伽藍(がらん)の一部としてこの木が命をまっとうできますように。
生命を相手にするのだから「絶対」はあり得ない。力を尽くし、祈るだけ。それ以外、何ができよう。
最先端のテクノロジーを駆使しても、1300年以上前の飛鳥時代の職人たちが造った法隆寺を超えることはとうていできない、と西岡は断言する。
それは、古代建築を扱ってきた職人に受け継がれてきた技や知恵は、彼らだけの「手の記憶*4」だからだ。それは数値では表せず、言葉にすらできない。コンピューターに教え込む術(すべ)がないのだ。
西岡は断言する。職人の仕事は機械やコンピューターでは代われない。
「先生は私の知らない私を教えてくれる」
ほんとなら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまったほうが仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん。そんな訓練もせんですむ。
それなら昨日始めた大工でもいいわけですわ。
(中略)そして逆にこんどは使いやすい木を求めてくるんですな。曲がった木はいらん。捻(ねじ)れた木はいらん。使えないんですからな。そうすると自然と使える木というのが少なくなってきますな。それで使えない木は悪い木や、必要のない木やというて捨ててしまいますな。これでは資源がいくらあっても足りなくなりますわ。
そのうえ大工に木を見抜く力が必要なくなってくる。必要ないんですからそんな力を養うこともおませんし、ついにはなくなってしまいますな。木を扱う大工が木の性質を知らんのですから困ったことになりますわ*5。
この描写が、今日の教育政策に対する痛烈な風刺に見えるのは私だけだろうか。
「個性を大事に」と掲げつつ学力テストで子どもたちの違いを削ぎ落とし、学習スタンダードによる授業の画一化で教員の自由を奪い、規律に従えない子どもはゼロトレランスで排除し、操作さえ覚えれば誰でも授業ができるオンラインコンテンツで教員の脱技能化を進め、教員不足は特別免許状を乱発して「即席教員」で穴埋めする……。
「早く安く効率的に」を求める資本主義が職人を必要としなくなったように、「グローバル人材」の大量生産を教育の目的とする社会は、そもそも「先生」を必要としない。
もし、人類が本気で「地球の持続可能性」を目指そうというのなら、まずは私たちが自然の中に生かされているという原点に立ち戻ることだ。教育学者の大田堯(おおたたかし)が言い続けたように、教育を生命の営みの中でとらえ直すことだ。
千葉県船橋市立船橋高校吹奏楽部の定期演奏会で、かつて部長を務めた卒部生がこう言っていた。
「先生は私の知らない私を教えてくれる」
生命は、一人ひとり全く違う子どもの癖を見抜き、無限の可能性を引き出し、その子が命をまっとうできるよう生涯にわたって心の支えとなる……。そんな先生がいま求められている。
脚注
*1 西岡常一・小川三夫・塩野米松『木のいのち木のこころ〈天・地・人〉』新潮文庫、2005年、p.17
*2 同上、pp.14-15
*3 同上、p.20
*4 同上、p.15
*5 同上、p.22-23
写真/shutterstock
崩壊する日本の公教育
鈴木大裕
その結果、教育現場は萎縮し、教育のマニュアル化と公教育の市場化が進んだ。
学校はサービス業化、教員は「使い捨て労働者」と化し、コロナ禍で公教育の民営化も加速した。
日本の教育はこの先どうなってしまうのか? その答えは、米国の歴史にある。
『崩壊するアメリカの公教育』で新自由主義に侵された米国の教育教育「改革」の惨状を告発した著者が、米国に追随する日本の教育政策の誤りを指摘し、あるべき改革の道を提示する!