伊藤詩織氏『Black Box Diaries』が日本劇場公開できていない背景にあるもの…「公益性」から“防犯カメラの無断使用”を問う
伊藤詩織氏『Black Box Diaries』が日本劇場公開できていない背景にあるもの…「公益性」から“防犯カメラの無断使用”を問う

ジャーナリスト・伊藤詩織氏が監督した『Black Box Diaries』が米長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。だが、史上初の日本人監督ノミネートとなった本作について異を唱えているのは、かつて彼女の民事裁判を共に闘った弁護士たち。

2024年10月21日に会見を開き、内容の修正を求めた。
後編では、内容の修正に対して「公益」の観点から、佃克彦弁護士に作品の問題点などを聞いた。〈前後編の後編〉
 

防犯カメラ映像使用が、性暴力被害者の救済となりうるのか

『Black Box Diaries』(ブラック・ボックス・ダイアリーズ)にはホテルの防犯カメラ映像が使用されているが、ホテル側と西廣弁護士、伊藤氏の間で「裁判以外には一切使用しない」との誓約書を交わしており、映画作品として使用する場合は別途許諾を得ることが必要となる。現時点でホテル側はこれを許可していない。

加えて本作では、山口氏の捜査状況を伝えてくれた捜査員A、伊藤氏と山口氏をホテルまで送ったタクシードライバーの音声や映像が用いられている。

現在、海外公開されているバージョンを確認したところ、タクシードライバーや捜査員らの顔や身体にモザイク処理が施されていることは確認することができなかった。こうした点についても西廣弁護士らは修正を求めている。

性暴力の告発を描いた作品において、当事者らが映る防犯カメラ映像を使用することが社会全体にプラスに働くのか。そして性暴力被害者の救済となりうるのか……公共性や公益性の観点から、そんな議論がなされることがある。

現在、西廣陽子・加城千波両弁護士の代理人である佃克彦弁護士に上記の議論を率直にぶつけてみたところ、「伊藤氏側の弁護士は、『性暴力の被害者の救済』という公益の観点からホテル映像を映画で使用することが正当化されるかのようなことを言っていますが、議論が粗いです。留意されるべきは、伊藤氏は性被害を受けたことが裁判において認められ、被害救済がなされている点です」と言う。

「これにより、伊藤氏における『公益』即ち被害救済は実現されています。しかもこの被害救済は、ホテル映像が裁判所に提出されたがゆえに実現されたものです。

これが仮に、伊藤氏の被害救済が裁判上認められなかったのであれば、ホテル映像を社会に公表して自身の被害の実態を訴える必要性が出てくるかもしれません。

しかし実際は伊藤氏の被害は裁判所に認められています。しかも判決ではホテル映像の場面のとおりの詳しい事実認定がなされています。そう考えると、ホテル映像を社会に公表し自身の被害の実態を訴える必要性はないに等しいのです」(佃弁護士、以下同)

むしろ「裁判以外に使用しない」と誓約書を交わしている映像を、現時点でも許諾を得られない中、公表することは、たとえ加工していたとしても社会全体にとってマイナスであることを指摘する。

「ホテルと『裁判以外に使用しない』という約束をしてようやく提供してもらったものについて、約束を破って公表されるようなことになれば、今後、情報源は情報提供をしてくれなくなってしまいます。

今回のホテルに限らず、他のホテルも“約束が破られるリスク”を考えて情報提供を拒む可能性が高い。性被害という被害類型は、客観証拠が得られにくいので、今回の防犯カメラのような映像は極めて貴重かつ重要な証拠です。そういった証拠の収集の途が絶たれてしまえば、被害救済が困難になります」

そもそも裁判において、防犯カメラ映像の提供を受けることは難しいと言われる。どこにカメラが設置されているかが広く知られてしまうことが防犯上の大きなリスクとなりうるからだ。また、ホテルのような施設の場合、顧客のプライバシーを守ることを最優先にするため、情報を外に出したがらないし、出したとしてもそのことを表にしたくない。「裁判以外に一切使用しない」と誓約するのもそうした理由があるためである。

すでに伊藤氏自身の「公益性」は果たされている現在において、未来の性被害者救済を考慮した場合、映像を使用する必要性はない……これが佃弁護士の主張だ。


「伊藤さんは、自分はホテル映像によって被害を救済してもらっていながら、今回の映画により、今後の被害者救済の途をふさごうとしてしまっていることになるのです」

“取材源の秘匿”という鉄則

伊藤氏と山口氏をホテルに送ったタクシードライバーや、捜査状況を内々に知らせてくれた捜査員Aの映像が作品に使用されていることにおいても「海外であればプライバシーよりも公益性が勝る」と、プライバシー処理を施すことなく使用することに問題はないとする意見が報道後にSNS上などでも多く散見された。これにも佃弁護士は疑問を呈する。

「表現の自由を重んじることが好きなアメリカを例に挙げますが、ウォーターゲート事件でワシントン・ポストはディープスロートの素性を明かしたでしょうか。ワシントン・ポストは取材源を守ってニクソンの盗聴事件を暴きました。

数年前に日本公開された映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』は、ワインスタインの性加害をニューヨーク・タイムズが暴いたという実話ですが、そのときにニューヨーク・タイムズの記者たちはどうしたかというと、被害を訴える当事者たちが『私の名前を出していい』と言わない限り、絶対に名前を出すことはありませんでした。

その代わりに、当事者から了解を求めるために実に地道な活動をするんです。それが映画になっているということは、おそらくそれがアメリカのスタンダードなんですよ。

事実を暴こうというエネルギーは保ちながらも、人権など守るものは守っている。我々が今回、伊藤氏に要求している“取材源の秘匿”というジャーナリズムの鉄則は守って取材が行なわれています。アメリカであればプライバシーよりも公益性のほうが勝っている、というのは実に抽象的かつ恣意的な議論です」

海外で公開された『Black Box Diaries』を確認したところ、防犯カメラの映像は作品の冒頭から使用されていた。

当事者らの、当時の映像は、たしかにインパクトがある。作り手として「使いたい」という気持ちは理解できなくはないが……。

「山口氏による性暴力が裁判ですでに認められているわけですから、そのうえで映像を使用するというのは、映画を美味しくするだけのものでしかないわけです。しかし、そのときには使用する弊害とのバランスを考慮する必要があります。そして、弊害があるのであれば、それは使うべきではありません。我々はずっとそれを訴えています」(佃弁護士)

佃弁護士は西廣弁護士、そして角田由紀子弁護士とともに2月20日午前、東京・千代田区の日本外国特派員協会で会見を行う予定だ。伊藤氏も同日午後、同所において会見を予定している。

『Black Box Diaries』は、第97回米アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされている。史上初の日本人監督ノミネートとなった本作は現在「50以上の映画祭で上映され、18の賞を受賞。さらに、世界30以上の国と地域での配給が決定」(スターサンズHP内、1月23日付「NEWS」より)しているという。

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取材・文/高橋ユキ

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