
「可愛すぎる12トン大型ダンプドライバー」としてSNSで話題の古澤未来(ふるさわ・みく)さん(36)。ダンプカーやブルドーザー、ショベルカー、ローラーショベルなど重機全般を乗りこなす彼女は、青春時代をギャルとして過ごし、モデルとして活動しながらアパレル業界で働いていたこともあるという。
いじめを経験したアパレル勤務時代
古澤未来さんはダンプドライバーとして働く一方で、TikTokやYouTubeでも注目を集めるインフルエンサー/モデルとしても活躍している。
実は、過去にはファッション誌「ニコラ」の読者モデルを経験するだけでなく、アパレル業界で働いていたこともあるそうだ。
しかし、そこでは、今の仕事現場とはまったく異なる世界が待っていたという。
――ダンプドライバーとして実家で働くのは、昔から決めていたんですか?
古澤未来(以下、同) いえ、全然そんなことはなくて。もともとは、高校を卒業したら化粧品会社の美容部員になりたいと思っていたんです。高校生の頃にモデルの仕事をしていた関係で、化粧品にすごく興味があったんですよ。
でも、留年してしまって、結局高校には6年間通うことになっちゃって……。勉強が苦手で、テストでも赤点を取りまくってました(笑)。
それで、21歳のときにようやく高校を卒業したんですが、弟が専門学校を卒業したのと同じタイミングだったんです。
弟は卒業してすぐに仕事が決まったので、「私は何も決まってない。どうしよう……」って焦っていて。
でも、実家の仕事は18歳くらいから手伝っていたので、とりあえずバイト感覚で続けることにしたんです。
――家の仕事以外にも、どこかで働いていたんですか?
今の仕事を始める前に、いろいろ挑戦したこともあったんですけど、全然続かなかったんです。
高校時代にアパレルで働いたこともあったんですが、半年で辞めちゃって。コンビニも、2ヶ月で辞めましたね……。
――なぜ他の仕事が続かなかったのでしょう?
実家が現場仕事をしている関係で、小さい頃からずっと男性に囲まれて育ってきたんです。だから、女の子同士の陰口とか、グループでの行動に馴染めなくて……。そういう人間関係がしんどくて、長く続けられませんでした。
たとえば、コンビニのバイトで「シフト変わって」って頼まれたとき、正直に「変われない」と返したら文句を言われたり、アパレルで働いていたときには、いじめを受けたりしていました。
――具体的には、どのようないじめを……?
SNSで「死ね」とか「ブス」とか、めちゃくちゃ悪口を書かれたり、「○○(ブランド名)なめんな」「店頭でお前のことなんか見たくない」と言われたり……。バイト先のロッカーの中をぐちゃぐちゃにされたこともありました。
最後は、もう職場に給料を取りに行くのも嫌になって、電話で「辞めます」って伝えて、親に給料を取りに行ってもらいました。
あのときのことはいまだにトラウマで、いじめてきた人たちの名前は、今でも全部覚えています。
――反対に、ダンプドライバーの仕事を15年間も続けられたのはなぜですか?
職場は男性ばかりなので、みんなサバサバしているし、影で悪口を言われることもないんです。
言いたいことがあれば直接言ってくれるし、そういう環境が私にはすごく居心地がよくて、気づいたら続けていました。
でも、私けっこう仕事が大雑把で、今でも怒られることはありますけどね(笑)。
海や日サロに通い詰めた青春のギャル時代
――ダンプドライバーとして働き始めたころは、古澤さんもギャルだったんですよね。当時はどんな生活をしていましたか?
最初のころは、朝早く起きなきゃいけないのに、とにかく遊びたくて……。お酒は全然飲めないんですけど、みんなでご飯を食べに行ったり、居酒屋に行ったりするのが大好きで、睡眠時間を削ってでも遊びに行っていました。
結局、夜中に家に帰ってきて30分~1時間だけ寝て、お風呂も入らず、そのまま仕事に向かっていました。そんな生活を続けていたら、23~24歳のときに自律神経が乱れて体調を崩しちゃって……。
それをきっかけに、生活を立て直しました。同時に、友人関係も整理して、夜中に誘ってきたり、無理させたりするような人とは少し距離を置くようになりましたね。
――昨今のギャルブームについて、何か思うことはありますか?
今の子たちのほうが、ちゃんと自己管理しているなって思います。私は本当に生活がめちゃくちゃで、自己管理なんて全然できていなかったので(笑)
それに、今は白ギャルが流行っていますけど、私の時代は肌を焼いている子が多かったですね。
私も日曜日しか休めないのに、夏場は毎週必ず海に行って日焼けしていましたし、それ以外の季節も月2回くらいは日サロに通っていました。
――当時、ご両親は心配していませんでしたか?
めちゃくちゃ心配していましたね。特に異性関係では、いっぱい迷惑をかけました。
たとえば、元彼に家の玄関近くで待ち伏せされたり、「別れたくない!」って大声で叫ばれたりしたことがあって……。
それ以来、外でちょっとバイクの音がするだけで、父が「お前を迎えに来たんじゃないか?」って心配して外を見に行くようになったんです。
――当時付き合っていたのは、やっぱりギャル男でしたか?
いや、どちらかというと、パンチパーマとか、そっち系でしたね。でも、ストリート系や可愛らしい系など、いろんなジャンルの人と付き合っていました。
逆に、ギャル男とは一度も付き合ったことがなくて。硬派で男らしい人が好きでした。
アンチコメントには「開示請求も考えていますが……」
――TikTokの撮影は、誰かに手伝ってもらっているんですか?
基本的には、三脚を立てて1人で撮っています。でも、妹や母に手伝ってもらうことも多いですね。家族には「TikTokを撮るのはいいけど、こっちは映さないでね」と言われています(笑)。
――そもそもTikTokを始められたきっかけは?
タレントとしていくつかテレビ番組に出たあと、「次は何をやろう?」って考えたんです。
そこで「私って静止画よりも動画のほうが映りいいかも」と考えて、TikTokを始めることにしました。
最初は「私の職場や仕事って、こういうのだよ」って知ってもらいたくて始めたんですが、“運転手あるある”みたいな動画を投稿していたらバズって、そこからどんどんフォロワーが増えていったんです。
――批判的なコメントが来ることはありますか?
そうですね。情報を発信する側なので、視聴者がどう捉えて、どう思うか考えて発信しているのですが、正直、アンチコメントはあります。
一方で、「大型の免許を取りました!」と報告してくれる女の子や、「毎日楽しみにしています」とコメントを送ってくれる人もいますね。
――アンチコメントに対して、開示請求などは考えないのでしょうか?
正直、開示請求したいとは思っています。でも、多すぎてキリがなくて……。けれど、もし家族のことを言われたら、多分やりますね。
ただ、以前はアンチコメントをけっこう気にしていたんですけど、今は「そんな人にかまう暇があるなら、寝たいし仕事したい」って感じで。だから、なるべく見ないようにしています。
――批判の声を浴びながらも、インフルエンサーとして活動を続ける理由は?
トラック運転手兼インフルエンサーとしての私を応援してくださる方がいるからですかね。
――今後、どのような活動をしていきたいですか?
昔、読者モデルをしていたときは、「ただ笑ってポーズしていればいいや」くらいに思っていたんです。でも、タレントとしてトーク番組に出ると、いろんな発見があって楽しいし、すごくいい刺激になるんですよね。
この前、ABEMAの番組に出させてもらったときも、「やっぱり自分はトーク番組が好きなんだな」って、あらためて思いました。
だから、今後また機会があれば、タレントとしても活動していきたいですね。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班