
「世界のこんまり」こと、片づけコンサルタントの近藤麻理恵さん。彼女を世界に押し上げた仕掛け人が、夫でプロデューサーの川原卓巳さん。
「婚活」を捨てる
この話は、正直書きたくないと思いました。実際に消すことも編集者に提案しました。でも、人間関係を語るうえで、このテーマを避けて通ると、それは逃げだと思い、覚悟して書くことにしました。それが、婚活の話。
現代におけるひとつのタブーにすらなるアンタッチャブルなテーマだと思います。それも、僕のようなラッキーで妻と出会えているような無責任な幸せ人間が語るべきことでもないと思う。でも、どうしても違和感があるので、それを承知で書かせてもらいます。
婚活を考えるとき、人生の良きパートナーと巡り合いたい、でもなかなかこれという相手が見つからない、そんな悩みを持つ人も少なくないようです。
でもなぜパートナーが欲しいのか。その根源的な部分を聞いていくと、どうしても解せないことも少なくないです。心を通わせられるパートナーが欲しい。
ただ、なかには、得体の知れない焦りや義務感、世間的な常識にとりこまれ、パートナー探しに躍起になっている人もいるような気がします。
周りの友だちが次々と結婚していく。家庭を持つことで社会的な信頼を得たい。そういう人は「年収」「身長」「年齢」といったステータス(条件)にこだわりがち。そして良いパートナーがいない、見つからないと嘆く。
やはりそれは少し変というか、不純な気がします。結婚の価値が「内」ではなく、「外」に置かれてしまっている。
繰り返しになりますが、人生で大切なことは自分のときめきに従って、自由で幸せに生きられるかどうか。それに尽きます。
パートナーの選択も同様です。
相手のステータスが高かろうが低かろうが、本来的には気が合えばいいのだと思います。低い部分は「これから高めていくための余白」。それくらいの心持ちでいられれば「良きパートナー」に巡り合う確率はぐんと上がるのではないでしょうか。
それでもやはり相手に一定のステータスが欲しい?そんなに無理をしてまで婚活をする必要があるのでしょうか。
検索ワードの最上位は「こんまり 夫 ヒモ」
ぶっちゃけ言わせてもらうと、僕は婚活市場において麻理恵さんに似つかわしくないステータスでした。30歳会社員。6年の会社勤めで月収はほどほど。将来的にも大きく収入アップが見込めているわけでもない。
身長は174センチ。まぁ普通。顔は……好みによるでしょうからこれ以上の言及はやめてください。
それこそ当時の麻理恵さんはすでに100万部を超えるベストセラー本を書き、テレビにも引っ張りダコ。しかも特技は片づけときたら、もはや究極形なんじゃないかというぐらい結婚にむいている生き物です。
にもかかわらず、僕を選んだ。その当時だけで言うならば完全なる格差婚です。学生時代からの知り合いだったとは言え、当時からつき合っていたというわけでもなく、知り合ってからの9年の距離感は近からず遠からず。
いまでも覚えている、当時ショックだったことがあります。結婚を決め、少しだけメディアに取り上げられていた時期があります。「近藤麻理恵、結婚!」みたいな。そのときの僕についての検索ワードの最上位は「こんまり 夫 ヒモ」です。いまでは笑い話になっていますが、その当時はそれなりにショックを受けました。
話を戻しますが、かつて「社会に出たら適齢期で結婚をして子どもをもうける」というのが既定路線でした。
ですから、独身のまま20代後半、30代に突入すると、親や親戚から「結婚はまだか」「孫の顔が見たい」とせがまれる。顔を見るたびにうるさいなーみたいな世界観です。ひと昔前のホームドラマなんかを見ると決まってそんなシーンが出てきます。
でも、現代はそうではありません。ライフスタイルが多様化し、独り身で生きる人もたくさんいます。結婚しないことに引け目を感じる必要は相対的には減ったのだと思います。
たとえば、フランスのように事実婚がメインの国もあったりする。価値観はところ変われば変わるものです。人には向き不向きもある。いわゆる普通の結婚生活が向いている人もいれば、そうでない人もいるのは、本来は当然のことです。
夫婦とは言っても、もとは赤の他人。
必要のない見栄やこだわりは捨てましょう。あまり意味を持たない無理な婚活も捨てる。なんなら結婚も捨てる。
気負わず、身軽に。自分の幸せにもっともっと素直になっていいのです。
文/川原卓巳 写真/shutterstock
人生は、捨て。 自由に生きるための47の秘訣
川原卓巳