英BBCが日本のスクープを報じるのは国益のため? 誰もが自国を物価が安いだけの観光国にしたくないと考えるなか、日本人に欠けている問題意識とは
英BBCが日本のスクープを報じるのは国益のため? 誰もが自国を物価が安いだけの観光国にしたくないと考えるなか、日本人に欠けている問題意識とは

思想家の内田樹氏は、現在、忖度無しに“報道”ができるメディアは「週刊文春」や海外のメディアだけに限られてしまっており、それは今後も変わらないだろうと予測している。そして英BBCが、ジャニーズの性加害を報じるのは「長期的に見たときに英国の国益に繋がる」という国際的な視点によるものであり、そうした考えが日本人には欠けているという。

書籍『動乱期を生きる』より一部を抜粋・再構成し、日本が凋落することで東アジアのバランスがどう変化するかを解説する。

なぜ英BBCが日本のスクープを連発するのか

内田 日本の大手メディアが自力で報道の自由を回復することも、批評性を回復することももうないと思います。今後、僕たちがニュースを得るのは「赤旗」や「週刊文春」のような週刊誌や、あとはイギリスのBBCのような海外メディアだということになるでしょう。

こういう媒体なら、システム内部の「内部告発者」からのリークをきちんと受け止めて、裏付け調査をして、報道してくれる可能性が高いからです。

でも、大手の新聞やテレビが相手だと、政権内部や警察や自衛隊や大手企業の不祥事の内部告発を送っても、たぶんもみ潰される。大手メディアに通報しても、内部告発の内容がシリアスなものであればあるほどもみ潰されるだろうと、ほとんどの国民が思っている。

内部告発というのはシステムの健全を保つために必須のものですけれど、日本の大手メディアはシステムを健全なものにすることにはもう関心がないと思われている。そんなメディアに重要な情報をリークする人はいません。

山崎 ジャニー喜多川の常習的な性犯罪を暴き、結果としてジャニーズ事務所を解体に導いたスクープ報道も、過去にはいくつかの週刊誌報道があったとはいえ、実質的にはBBCのドキュメンタリーが発端でした。

BBCは日本国民を守る義務を一切負っていませんが、ジャーナリズムの役割として、公益性を損なう不正を看過しない姿勢をとっています。ジャニーズの性加害問題も、国際的な公益性があると判断して報じたのでしょう。

内田 日本の事情に詳しい特派員がBBCには複数いるのだと思います。彼らは日本が健全な民主主義国であることが長期的には英国の国益にかなうと判断して、こういう報道をしているのだと思います。



英科学誌「ネイチャー」も2017年に日本の科学力がここ10年で失速しているというテーマで特集を組んだことがありました。これは自然科学の分野でこれまで重要なキープレイヤーだった日本が、科学の進歩に十分な貢献ができない状態に転落しつつあることを「科学者の共同体」として重く受け止めて、日本に対して警鐘を鳴らしたものでした。

アジアにおいて日本の外交的・経済的・文化的なプレゼンスが衰えてゆくことは、英国の対中国、対ロシアの世界戦略上決して望ましいことではない。

日本が健全な民主主義国として安定して、東アジアで十分なプレゼンスを保っていることのほうが、日本が非民主主義的で、道義性を欠いた文化的生産力のない「準・先進国」に転落するよりは英国の国益にかなう。

BBCの日本報道も、そういう文脈での日本社会へのコミットメントだと思います。

あらゆる国が物価が安いだけの観光国になってほしいなんて思っていない

山崎 確かに、島国のイギリスはナポレオンの時代も含めてずっと、ヨーロッパ大陸の情勢とは少し距離を置いて、大陸でどこかの国が強くなるとそれを牽制する側に加勢するという姿勢をとり続けていました。

ナポレオンが勃興すると、プロイセンやロシアなどの反対勢力に与し、ロシア帝国が極東と中央アジアへの進出を始めると、その牽制として日本と日英同盟を結び、ナチス・ドイツが台頭すると、フランスやソ連と共にそれと戦ってきたのがイギリスです。世界のバランサーとして力の均衡を保とうとする。

今は東アジアで中国の影響力が政治・経済・軍事のすべてにおいて強まっていますが、日本の国力が衰退すれば、そこで大きくバランスが崩れてしまう。

内田 日本が好きだとか嫌いだとか、そういう単純な話ではないんです。欧米でもアジアでも、多くの国はそれぞれの長期的な国益を配慮した場合に、日本ができるだけ「まともな国」であることを願っている。

物価が安いだけの観光国になってほしいなんて思っている国はありません。でも、そのような国際的な期待にどう応えるかという問題意識を日本人は感じているようには見えない。

日本人は連立方程式を解くのが苦手

山崎 そうした戦略的な視点を持つイギリスに対して、日本という国は全体を俯瞰して見ることが一貫して苦手です。国際社会にデビューした19世紀末からずっとそうです。

どんな国が相手であっても、「日本対相手国」という二国間関係の視点だけです。世界を俯瞰して考えるのではなく、日本対清国、日本対ロシア、日本対中華民国、日本対アメリカ、日本対イギリス、日本対ソ連とバラバラに捉え、それぞれとの交渉において「譲歩しない」ことが国益だと考えてきた節があります。

大きな勢力図の中でどう振る舞うのがベストで、長期的な安定に繫げられるか、という戦略的な視点が、近代日本においては、あるようでじつはない。そういう視点で物事を捉えられる人も各時代にもちろんいたのですが、あくまで脇の立場からの意見に留められてしまうため、それが国策として反映されない。

内田 変数が複数ある方程式を解く能力が本当に日本人には欠けていると思います。つねに変数がひとつだけの一次方程式に問題を還元しようとする。変数が二つあると「あり得る状態」の数は激増するわけで、たくさんのシナリオを書き出さないといけない。

それが本来の知性の働きなんだと思います。その最良の場合から最悪の場合までのいくつもシナリオを蓋然性の高い順に並べて、資源を優先配分するということが日本人は本当に苦手なんです。「蓋然性」という言葉も「優先順位」という言葉も、まず政治家の口から出ることがない。「良いか悪いか。

ゼロか100か」だけなんです。これはほとんど「国民的な病」だと言っていい。

山崎 1937年に始まった日中戦争が、はっきりした戦略も講和プランもないまま泥沼化し、米英との関係悪化によりアジア太平洋戦争へと突入した背景にも、複数のシナリオという視点の欠落があったと私は考えています。

蔣介石が指導する中国の背後には、中国の権益を日本が独占することを警戒するアメリカやイギリスなどの国々が控えている。そんな複雑な構図を読めていれば、どこかの地点で譲歩して撤兵という選択肢もあったはずです。

帰国したら殺されることまで考えていた

内田 譲歩や撤退ができないのは、日本のエリートたちが自分たちの外交成果について「うまくいっている」と噓をつき続けてきたせいだと思います。

外交的な「落としどころ」というのはかなり幅があって、簡単には予見できないものなんです。でも、「うまくいけばこれくらい獲得できるが、うまくいかないとこれぐらいの損失が出る。どうなるかはその場次第で、今の段階では明言できない」という正直に言える人が指導層にいない。

たとえば、ロシアと中国は2004年に両国の国境線を確定して長年の国境問題に終止符を打ちました。あれはプーチンと胡錦濤の双方の政権基盤が安定していたからできたことです。

領土的譲歩というのは、短期的には損失に見えても、長期的には国益にかなう選択をしていると国民に信じられている政治指導者にしかできません。だから政権基盤が弱まると、どの国の政治家も必ずナショナリズムを煽って、国境問題では強気な発言をするようになる。

これは例外がありません。

日本の政治家が外交的譲歩を怖がるようになったのはいつからだろうと考えると、決定的になったのは1905年のポーツマス条約からではないかと思います。日露戦争末期に日本はもうこれ以上戦争を継続するだけの体力がありませんでした。

ロシア国内には主戦論が強かったので、とにかく早く講和に持ち込むしかなかった。結果的に、ロシアは満洲朝鮮からの撤兵と南樺太の割譲だけは受け入れたものの、賠償金には一切応じなかった。

巨大な戦費負担で疲弊していた日本国民は賠償金が受け取れなかったことに激怒して、日本側の弱腰外交をなじった。

代表として交渉にあたった外務大臣の小村寿太郎は帰国したら殺されることまで考えていたそうです。日露戦争はじつは「薄氷の勝利」であって、戦争継続の国力が日本にはもうないとはっきり国民に伝えておけばよかったのでしょうけれども、それまでの戦果を「皇軍大勝利」と誇大に伝えてきた軍部にはそれができなかった。

戦争を継続するために戦果について虚報を伝え続けると、講和も譲歩もできなくなる。愚かな話です。でも「本当の戦況」についての詳細な情報が開示されない限り、「落としどころ」なんか見つかるはずがないんです。

写真/shutterstock

動乱期を生きる

内田樹 (著), 山崎雅弘 (著)
英BBCが日本のスクープを報じるのは国益のため? 誰もが自国を物価が安いだけの観光国にしたくないと考えるなか、日本人に欠けている問題意識とは
動乱期を生きる
2025/3/31,122円(税込)320ページISBN: 978-4396117108

知の巨人と気鋭の戦史・紛争史研究家がとことん語り合う
資本主義、安全保障、SNS選挙、トランプ大統領、中東問題…… 

「株式会社思考」が蔓延する社会


すでに権力を持っていることを理由に、強者が権力者然としてふるまう政体。

それを「パワークラシー」という。
そして、このパワークラシーにどっぷり浸透してしまっているのが日本の社会である。
現代の日本では、強者を求める国民心理、短期的利益を求める「株式会社思考」が蔓延している。
さらに、マスメディアによるジャーナリズムの放棄、現状追認を促すインフルエンサーの台頭と相俟まって、傲慢で短絡的な政治家・インフルエンサーの言動が人気を集める不可解な現象が起きているのだ。
一方、世界を見渡しても、近代以前への回帰志向を持つ指導者が支持を集め、恐怖と混乱をもたらしている。
この動乱の時代において、私たちに残された道はあるのか? 
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暗い未来の中に見える一筋の光とはーー。 

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