「玄関の外で『お前死ぬ気か』って…」俳優・原田大二郎が語る病を抱えた息子の子育ての苦悩…そして、息子・虎太郎が見つけた一筋の光
「玄関の外で『お前死ぬ気か』って…」俳優・原田大二郎が語る病を抱えた息子の子育ての苦悩…そして、息子・虎太郎が見つけた一筋の光

俳優として今年で55周年を迎えた原田大二郎(80)さん。1970年に結婚した妻・規梭子(きさこ)さんとは学生時代の同級生で、二人の間には病を患うひとり息子がおり、現在も原田さんご夫婦が息子さんの生活を支えている。

原田さんご夫婦の長く続く子育てと、これからの未来についてお話を伺った。(前後編の前編) 

〈後編〉

息子誕生も、主治医から「もう小学校まで上がれないと思った方がいいよ」と… 

原田大二郎さんは1970年の映画『裸の十九才』で俳優デビューし、1975年に放送された人気刑事ドラマ『Gメン'75』(TBS)での活躍により、一躍スターの仲間入りをした。

その後も、映画『敦煌』『鎌田行進曲』などで好演。バラエティ番組でもトーク力を生かし、『天才たけしの元気なテレビ』で「君たちはもう大丈夫だ」シリーズを担当。

1988年には、『地球おいしいぞ』で、MCとして一年半にわたり世界中を廻り、1991年には、『ダウンタウンのごっつええ感じ』で、奇想天外な「大ちゃん伯爵」を演じた。現在はその頃から続けている舞台を中心に活動している。

2月中旬、原田さん家族が住む自宅にお邪魔した。

出迎えてくれた原田さんご夫妻と、51歳になる息子の虎太郎さん。朗らかな雰囲気の家族で、明るく笑いに満ちあふれている生活が伝わってくる。

「規梭(子)が妊娠したとき、ただ産まれて来てくれるだけでいいと思い、喜びました」(大二郎さん)

「2人とも、なぜか男の子が産まれてくると思っていたの。だから、男の子の名前しか考えなかった」(妻・規梭子さん)

原田夫妻はお互いに顔を見合わせ微笑みながら、息子の虎太郎さんが生まれるときの話をしてくれた。

しかし、1974年に産まれた虎太郎さんは、生後間もなく難病「ヒルシュスプルング病(結腸巨大症)」を患っていることが発覚。

「最初におかしいと気づいたときは、看護婦さんがこの人(虎太郎)にミルクを飲ませると吐いたときです。

必ず吐くの。調べたら、胃の軸が捻転していたからミルクが腸まで通らないようで、でもそれ以上にお医者さんからは『結腸巨大症』の方が問題ですと言われたんです」(規梭子さん)

「こた(虎太郎)が2歳半になるまで待って手術を受けました。日本でもそんな小さい子の手術の例がなかった。手術は成功したのですが、3年間のうち、1年半入院するような生活でした」(大二郎さん)

当時、大学で教員を務めていた規梭子さんは、非常勤講師に役職を変え、幼い虎太郎さんにつきっきりに。救急車を呼んだ回数は数えきれない。

原田さんは主治医の先生から「もう小学校まで上がれないと思った方がいいよ」と言われたという。

子育てに悪戦苦闘…そして、小学校でのいじめで夫婦も離婚危機に

日常生活も大変なことの連続だったそうだ。

「こたは『食べない』って言ったら、まったく食べない。食べたとしても、すぐに全部吐いちゃう。そんな状況の中、周りの人からは『絶対食べさせなきゃだめよ! こた君は頑固だね』とわがままな子どものように思われていた。

でも、大人になってから分かったのが、十何項目も食物アレルギーがあったんです。卵に牛乳、トマトと、当時はそんなもの知らなかったから……」(規梭子さん)

「自分でわかってたんだろうね、嫌なものはぜったいに食べなかったから」と大二郎さんも、ご飯を食べてくれない息子に悪戦苦闘していた。

死に物狂いで子育てをしていく中、なんとか無事に虎太郎さんは小学校に進学したのだが、そこでもまた問題が待っていた。

小学1年生の時に、ひとつ上の学年の子に髪を切られたりと、学校でいじめに遭ったのだ。そして虎太郎さんは、小学2年生で私立に転校することになる。

そんなとき、人気俳優の原田さんは撮影で家にいないことが多く、母が一人で耐え抜こうとしていたという。

「私から大二郎さんに『別れようか』みたいな話になったこともあって。こたが小学校3年ぐらいの時に、私ももう疲れちゃって、嫌になっちゃった。そしたら『僕は男だからママについていくよ』って言ってくれたんだけど、その日にはじめておねしょしちゃったの。

これまで1回もおねしょをしたことがない子だったから、やっぱり辛いんだなと思いました。その時に『やっぱり僕、パパと離れられない』って。やっぱりお父さん好きなんだけど、男の子だからママを守んなきゃと思ったのね」(規梭子さん)

いじめを受けていた当時のことを覚えているかを虎太郎さんに尋ねると「親が芸能人だっていうのもやっぱりね。僕自身は偉そうにしてないんだけど」と語ってくれ、「いや、君、結構偉そうだったよ(笑)」と大二郎さんはツッコミをいれ、家族で笑い合う。

その後も消化器官の病気を発症し、再び医師には「高校まで上がれない」と言われていたが、堀越学園に入学することができた。

しかし、高校卒業間近、周りの同級生が進学や就職を決める中、進路が決まっていなかった虎太郎さんは不登校になってしまう。

「学校に行かない理由を聞いても言わないんだよ。学校行けよって引きずり出そうとして、玄関の所で綱引きみたいになっちゃったこともあるね。玄関の外で俺が『お前死ぬ気か』って叫んで。当時は本当に必死で自分でも意味が分からないよね」(大二郎さん)

「私はそれを見て、親子関係までもダメになったら、もう学校出ても意味ないって思ったの。それで無理強いは止めた」(規梭子さん)

そんなことを思っていた両親のもとで、なんとか気持ちを持ち直した虎太郎さんは高校を卒業し、ラーメン屋でアルバイトをしたり、研究者の海外調査に同行したこともあった。自立して、一人暮らしをしてみようとも考えたこともあったという。しかしその都度、病魔が虎太郎さんの行く道を阻んでしまう。

そんな中、虎太郎さんが見つけた一筋の光は、父と同じ役者の道だった。

「中学の頃に『裸の19歳』を見て、お父さんをカッコいいと思った」  

十年ほど前、虎太郎さんと歳の変わらない俳優Aさんが原田さんとの共演をきっかけに、虎太郎さんとも仲よくなり、舞台出演に誘ったことで、虎太郎さんの新たな人生が動き始めた。

普段は父に反発をすることもあるそうだが、実は中学時代から原田さんの演技を見て、憧れを持っていたのだ。

「中学の頃に『裸の19歳』を見て、お父さんをカッコいいと思った。『Gメン'75』も好きで、『西部警察』のビデオもいっぱい持っている」(虎太郎さん)

そして、「役者として活動をしたい」という強い憧れは、2023年に父が初めて書き下ろした舞台『ちっちゃな星の王子様』で主演を演じることで叶うことになった。

「この人が生まれる時に、ちょうどアランドロンが『星の王子様』を自分の息子を使って映画を撮ったんだよね。だからこの人が産まれたら『星の王子様』をやらせたかったんです」(大二郎さん)

妻の規梭子さんも息子の晴れの舞台には「身体が大きい両親の子なのに、ちっちゃい頃にあんまり食べられなくて、栄養が足りなかったのかね。でも星の王子様みたいに育ってくれたからいいよね」と思っていたという。

公演は無事成功。2時間の長セリフも見事、頭に入っており、拍手喝さいを浴びた。

しかし、『星の王子様』には奮起して出演できたのだが、実は虎太郎さんは2019年に脾臓すべてとすい臓10分の1を切除する大手術を受けており、手術の後遺症で体に痛みが走り、安静を保つ生活が始まっていた……。

 〈後編につづく『「こんなに弱い僕でも、僕でよかったの?」病を抱えたひとり息子と俳優・原田大二郎が歩んだ50年』〉 

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 

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