〈手塚治虫とやなせたかし〉「ぼくはお色気がないので有名な漫画家である」公言していたやなせに気づきをくれた、アンパンマン誕生前に実現した天才クリエイター同士の出会い
〈手塚治虫とやなせたかし〉「ぼくはお色気がないので有名な漫画家である」公言していたやなせに気づきをくれた、アンパンマン誕生前に実現した天才クリエイター同士の出会い

“アンパンマン”の生みの親として知られる作家やなせたかしの生涯を描いたNHK朝の連続テレビ小説で『あんぱん』が3月31日よ始まった。いまや圧倒的国民的キャラクターとなったアンパンマンはどのように人気者になっていったのか。

生前、やなせはマンガの神様として知られる手塚治虫との邂逅を果たしている。

 

『アンパンマンと日本人』より一部抜粋・再構成してお届けする。

手塚治虫と『千夜一夜物語』

「もしもし、やなせさん、手塚治虫です」(『アンパンマンの遺書』)

長編アニメーション映画「千夜一夜物語」のキャラクターデザインと美術監督をやることになったのも、手塚からかかってきた一本の電話がきっかけでした。1960年代後半のある日のことです。

最初は、手塚治虫のイタズラだと思ったそうです。同じ「漫画集団」に属していたので面識はありました。が、「鉄腕アトム」「火の鳥」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」など数々のヒット作を世に出し、自身の虫プロダクションでテレビアニメ作品も制作していた手塚は、おなじ漫画家ではあるものの、住む世界が違う人間、と思っていました。

ところが、イタズラでも冗談でもなかったのです。後日、虫プロのプロデューサーから電話がかかってきました。

「新作映画のキャラクターデザインの件で、虫プロに出社してください」
「え、冗談じゃなかったの?」

すでにさまざまなジャンルの仕事を請け負ってきたやなせたかしですが、本格的なアニメーション制作にかかわるのはこれが初めてでした。しかも手塚治虫が巨額の資金を投じて、世界市場を相手につくる大人向けのアニメーション映画。虫プロのスタッフ250人中180人がかかわり、それでも足りずに外部のアニメスタジオに発注して、合計800人が制作に参加した大作です。

一方、やなせたかしのアニメの知識はゼロ。

映画制作知識もゼロ。監督を務めた山本暎一に「ではイメージボードでも描いていただけますか」「はあ? イメージボードって何ですか」と言って呆れられる始末。シナリオを読み込んで、絵コンテを何枚も描いてボードに貼り付けていく。映画作りの現場に通い詰めました。

映画「千夜一夜物語」を実際に観てみましょう。現在はAmazonプライムなどで視聴が可能です。

キャラクター創造術の原点

主人公のアルディンが砂漠の中をカメラに向かって歩いてくる。「千夜一夜物語」のタイトル。続いて「総指揮 手塚治虫」、さらに「制作、構成脚本、原画、背景、技術の面々」そして「美術 やなせたかし 音楽 冨田勲」と出てきます。

映画のスタッフとして非常に大きな扱いだったことがタイトルロールを見るだけでも察せられます。映画を観ればわかりますが、主人公のアルディン、奴隷市場で売られていた美女ミリアムをはじめ、登場人物が見事に「やなせたかしの絵」です。背景の多くもやなせタッチが生かされている。

セックスシーンあり、残虐なシーンあり。

現代のアンパンマンのイメージとはかけ離れていますが、当時のやなせたかしは子供向け幼児向けの絵をほとんど描いていません。むしろ色っぽい大人の抒情画を雑誌などに描いていました。そんな彼の造形力が遺憾無く発揮されています。

「ぼくはお色気がないので有名な(?)漫画家である」(『アンパンマンの遺書』)と謙遜するやなせですが、漫画雑誌『週刊漫画TIMES』の表紙を1年間担当していたときの絵を見ると、オードリー・ヘップバーンをモチーフにした実に洒脱で色気のある画風を確立していたことがわかります。

大きな瞳に無表情な口元。やなせたかしの美女たちはしばしばミステリアスです。「千夜一夜物語」の制作に参加したことで、やなせ自身は自分のとんでもない才能に気づきます。その才能は、のちにアンパンマンの大ヒットに際して大きく開花します。

キャラクターを描き分ける才能です。

主人公のアルディンはフランスの大人気スター、ジャン= ポール・ベルモンドをモチーフに、声をあてる青島幸男のイメージを混ぜました。ミリアムはこれまで描いてきた女性のキャラクターをよりアジアっぽくアレンジします。主人公の敵役になる大臣は、やなせたかしの好きな英国俳優デヴィッド・ニーヴンをモデルにしました。


さらに映画の中でメインキャラクターの役割と性格がはっきりするように、それぞれのテーマカラーを決めました。

「アルディンを太陽の子としてオレンジ系でまとめ、陰謀家の大臣をインディゴブルー系にした。顔の色までブルーである。山賊の頭目をブラックにして、片眼にざっくり傷あとをつけた。その娘のマーディアは火のような性質だから、スカーレット系の赤で統一した」(『アンパンマンの遺書』)

「最初にキャラクターから考える」

アニメーション映画におけるキャラクターは、実写映画における俳優のキャスティングです。つまり、作品の最も重要な要素、登場人物が魅力的か否かはキャラクターデザインの質に左右されるわけです。

シナリオを読み、キャラクターを造形していくうちに、やなせたかしは気づきます。

「キャラクター・デザインというのはいくらか自分に向いているのではないか」(同)

シナリオを読んでいくと、登場人物の顔つきが自然に浮かんできて、自分の中で生命を持った実像になっていく。自身でもびっくりするほど、キャラクター造形のアイデアが湧いて出てくる。描いたキャラクターが自分の中で生命を宿すと生き生きと動き出し、作者であるやなせたかしの想像を超えるほど育っていく。

たとえば、盗賊の娘マーディアは最初は平板なキャラでした。ところが、造形していくうちにどんどんキャラクターとしての陰影が濃くなり、重要な役に変化していく。まさにキャラクターが作者の手を離れ、勝手に育つ。



後年、アンパンマンの新作を描く時について、やなせたかしはこう明かしています。最初にストーリーは「ほとんど考えない」「キャラクターのほうを一生けんめい考える。そして顔ができて身体ができて性格ができる」「次に背景を考える。山とか川とか森とか、海とか空とか……」「するとストーリーのほうは自然にできてきます」(『ボクと、正義と、アンパンマン』PHP研究所 2022)

2300を超えるキャラクターを誇り、ギネス記録を持つアンパンマン。200体以上も生み出しているご当地キャラクターのデザイン。1970年代から2013年に亡くなるまでの間、やなせたかしの仕事の中枢にあったのが、新しいキャラクターを創造することでした。そんなやなせ流のキャラクター創造術は、「千夜一夜物語」の制作中に培われたものだったのです。

文/柳瀬博一 写真/shutterstock

『アンパンマンと日本人』(新潮社)

柳瀬博一
〈手塚治虫とやなせたかし〉「ぼくはお色気がないので有名な漫画家である」公言していたやなせに気づきをくれた、アンパンマン誕生前に実現した天才クリエイター同士の出会い
『アンパンマンと日本人』(新潮社)
2025年3月17日968円(税込)208ページISBN: 978-4106110801

乳幼児の人気は不動のトップ、アニメや本におもちゃや食品など関連グッズを含めれば今や9兆円の巨大ビジネス。おなかが空いた人に自分の顔を食べさせる不思議なキャラクター、アンパンマンはどのように誕生し、国民的ヒーローとなったのか。愛する人たちとの別れ、過酷な戦争体験、幾多の天才からの高い評価、最愛の妻の支え……生みの親である漫画家やなせたかしの生涯をたどりながら、その秘密を解き明かす。

【目次】
第1章 世界6位、7兆円の巨大ビジネス
平成以降のヒーロー/テレビアニメで大ブレイク/不動のナンバーワン人気/学生の88%がアンパンマン消費者/日本限定なのに世界6位/本格化する海外展開/「幼児は大人のグループの中にいる」/妻・暢への感謝と鎮魂etc.

第2章 高知の自然とデザインと死と
愛する肉親たちの相次ぐ死/東京高等工芸学校で学んだ商業美術/学校と銀ブラで身につけた現場主義/生涯の伴侶、小松暢との出会い/三越の包装紙と「まんが入門」etc.

第3章 アンパンマンはこうして生まれた
中国戦線、仲間の死、紙芝居/「喰わないと死ぬ」という当たり前/敗戦とともに消えた「正義」/正義は逆転するが、空腹は真実/向こう見ずなロイス・レイン=小松暢?/中年スーパーマン「アンパンマン」誕生/顔を食べさせるという発明/「残酷」「くだらない」評判は最悪/敵役「ばいきんまん」誕生/そして奇跡が始まった/発見したのは幼児たちetc.

第4章 天才たちが愛した天才、やなせたかし
「遅すぎた」ではなく「早すぎた」天才/自宅に押しかけた永六輔/宮城まり子の舞台衣装/いずみ・たくと「手のひらを太陽に」/若き向田邦子と「父の詫び状」の挿絵/サンリオの創始者、突然の来訪/手塚治虫と「千夜一夜物語」/詩を「普通の人々」とつないだ『詩とメルヘン』/アンパンマンは、やなせたかしだったetc.

第5章 「困った人を助ける」利他的本能
「お客さん」がいるかいないか/ご当地キャラは全国で200/震災で注目された「詩」の力/アンパンマン=人工知能=AI?/人間にある普遍的な利他性etc.

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