なぜマンガの神様・手塚治虫はアンパンマンの生みの親・やなせたかしにアニメ映画『千夜一夜物語』のキャラクターデザインと美術をお願いしたのか?
なぜマンガの神様・手塚治虫はアンパンマンの生みの親・やなせたかしにアニメ映画『千夜一夜物語』のキャラクターデザインと美術をお願いしたのか?

“アンパンマン”の生みの親として知られる作家やなせたかし。やなせは生前、同じく国民的作家でマンガの神様として知られる手塚治虫が総指揮をとったアニメーション映画『千夜一夜物語』で、キャラクターデザインと美術監督を依頼されている。

映画にかかわった天才たちがやなせを仲間に選んだ理由とは。

 

『アンパンマンと日本人』より一部抜粋・再構成してお届けする。

天才たちが見込んだ「勇気と好奇心」

なぜ、手塚治虫はやなせたかしにキャラクターデザインと美術を頼んだのか。やなせたかし自身が不思議だったそうです。

そうでしょう、魅力的なキャラクターを造形することに長けた日本一の漫画家である手塚治虫が、あえて他人にキャラクターデザインを発注する、というのですから。自伝『アンパンマンの遺書』の中でも、やなせたかしはすでに亡くなっていた手塚に問いかけています。

「手塚さん、なぜぼくに依頼したんですか?」

手塚だけではありません。なぜ、やなせたかしは、いきなり天才たちから声をかけられたのか。なぜ、素人なのに、頼んできた天才たちが満足するすごい作品をつくることができたのか。この2つの秘密、おわかりになりましたでしょうか?

こうしたケースには、共通点があります。それは、天才たちが頼んできた仕事の中身です。いずれも「誰もやったことのないはじめての仕事」だったのです。前例のない仕事は、クリエイティブの世界における「ベンチャー」であり「起業」です。



手塚治虫をはじめやなせたかしに仕事を依頼した天才たちはクリエイティブの世界の〝起業家〟です。彼らは、〝起業の仲間〟としてやなせたかしを選んだのです。

なぜ天才たちはやなせたかしを仲間に選んだのか。

天才たちは過去を振り返りません。新しいことに挑戦するのが生き甲斐です。だから天才なのです。天才たちが新しいことに挑戦するとき、どんな仲間を選ぶのか? 新しいことに躊躇なく飛び込んでいける人に決まっています。

起業家が創業メンバーを選ぶときと同じです。メンバーには、ある意味で自分以上にぶっ飛んでいてほしい。今までにないビジネス、今までにない商品、今までにないサービスは、ぶっ飛んだ感覚からしか出てこないからです。

頼まれた仕事は何でもしていたやなせたかしは自らを卑下して「困ったときのやなせさん」と称しましたが、彼が受けた仕事の多くは、「まだ誰もやったことのない、前例のない仕事」でした。自分に経験がないどころか、声をかけてきた天才もやったことがない。

つまりお手本がない。

「難しいかな、と思う仕事ほど引き受けてしまったりする」(『人生の歩き方 やなせたかし』)。

やなせたかしは「未知の仕事に飛び込む勇気と好奇心」の持ち主でした。天才たちは、やなせたかしの中にまったく新しい仕事をオファーしても躊躇なく飛び込んできてくれる「勇気と好奇心」をみたのではないでしょうか。

頼まれ仕事で母屋を乗っ取らない

それだけではありません。一方で、やなせたかしは頼まれ仕事を請け負って大きな成果をあげても、決して自分がしゃしゃり出て主人公になろうとしない人でした。やなせたかしの仕事は、はっきり2つに分かれます。

1つは自分のライフワークです。もう1つは頼まれてやる仕事です。

ライフワークに取り組む際、やなせたかしは徹底的にがんこです。全部自分でやります。だから、すぐにヒットしたりしません。専門家や業界人から馬鹿にされたり、やめろと言われたりします。

それでも、妥協しません。他人の言うことも聞きません。

だからこそ生まれたのが、雑誌『詩とメルヘン』に象徴されるやなせたかし流の抒情詩と絵の世界であり、漫画家が描く絵本の世界であり、アンパンマンの世界です。

いずれも、専門家や業界人は当初、「絶対うまくいくわけがない」「つまらない」「幼稚だ」と馬鹿にしていました。結果は、ご存知の通りです。一方、頼まれ仕事の場合、やなせたかしは与えられたオーダーに120%応えます。

「千夜一夜物語」の制作にあたって手塚治虫のオーダーに数々のキャラクターデザインで応えたように。しかも頼む側にとって安心だったのは、やなせたかしが母屋を乗っ取るようなことは絶対にしない人だったからです。

ビジネスの起業の世界では、起業家と創業メンバーとが途中で仲違いして、起業家の地位を後から加わった創業メンバーが乗っ取ったりする事件がしばしば起きます。アップルを創業したスティーブ・ジョブズは、後から雇ったペプシコーラ出身のジョン・スカリーたちに10年以上も追い出されました。

やなせたかしは、天才たちに声をかけられて知らない仕事の世界に飛び込みます。そして成果をあげます。
が、声をかけてくれた天才たちを出し抜こうとしたり、仕事をぶんどったり、ということはいっさいしていません。

その姿勢には、彼の中のデザイナー体質が大きく関わっている、と思います。デザイナーはクライアントからの発注があって初めて仕事が発生します。どんなに素晴らしいデザインを施しても、主人公ではない。主人公は製品や作品であり、その製品の経営者です。

やなせたかしは、アニメ映画やテレビドラマ、舞台、コンサートなどさまざまな仕事の現場で「デザイナー」として仕事をしてきました。人と作品とのインターフェースとなるデザインの仕事は、最も重要な領域です。ただし、やなせたかしはデザイナーの立場を超えてまで頼まれた作品づくりの中枢に行こうとは微塵も思っていない。

だから、天才たちは安心してやなせたかしに声をかけることができたのでしょう。やなせさんならば、安心してまかせられる、と。

文/柳瀬博一 写真/shutterstock

『アンパンマンと日本人』(新潮社)

柳瀬博一
なぜマンガの神様・手塚治虫はアンパンマンの生みの親・やなせたかしにアニメ映画『千夜一夜物語』のキャラクターデザインと美術をお願いしたのか?
『アンパンマンと日本人』(新潮社)
2025年3月17日968円(税込)208ページISBN: 978-4106110801

乳幼児の人気は不動のトップ、アニメや本におもちゃや食品など関連グッズを含めれば今や9兆円の巨大ビジネス。おなかが空いた人に自分の顔を食べさせる不思議なキャラクター、アンパンマンはどのように誕生し、国民的ヒーローとなったのか。

愛する人たちとの別れ、過酷な戦争体験、幾多の天才からの高い評価、最愛の妻の支え……生みの親である漫画家やなせたかしの生涯をたどりながら、その秘密を解き明かす。

【目次】
第1章 世界6位、7兆円の巨大ビジネス
平成以降のヒーロー/テレビアニメで大ブレイク/不動のナンバーワン人気/学生の88%がアンパンマン消費者/日本限定なのに世界6位/本格化する海外展開/「幼児は大人のグループの中にいる」/妻・暢への感謝と鎮魂etc.

第2章 高知の自然とデザインと死と
愛する肉親たちの相次ぐ死/東京高等工芸学校で学んだ商業美術/学校と銀ブラで身につけた現場主義/生涯の伴侶、小松暢との出会い/三越の包装紙と「まんが入門」etc.

第3章 アンパンマンはこうして生まれた
中国戦線、仲間の死、紙芝居/「喰わないと死ぬ」という当たり前/敗戦とともに消えた「正義」/正義は逆転するが、空腹は真実/向こう見ずなロイス・レイン=小松暢?/中年スーパーマン「アンパンマン」誕生/顔を食べさせるという発明/「残酷」「くだらない」評判は最悪/敵役「ばいきんまん」誕生/そして奇跡が始まった/発見したのは幼児たちetc.

第4章 天才たちが愛した天才、やなせたかし
「遅すぎた」ではなく「早すぎた」天才/自宅に押しかけた永六輔/宮城まり子の舞台衣装/いずみ・たくと「手のひらを太陽に」/若き向田邦子と「父の詫び状」の挿絵/サンリオの創始者、突然の来訪/手塚治虫と「千夜一夜物語」/詩を「普通の人々」とつないだ『詩とメルヘン』/アンパンマンは、やなせたかしだったetc.

第5章 「困った人を助ける」利他的本能
「お客さん」がいるかいないか/ご当地キャラは全国で200/震災で注目された「詩」の力/アンパンマン=人工知能=AI?/人間にある普遍的な利他性etc.

編集部おすすめ