
漫画『テルマエ・ロマエ』の作者で知られるヤマザキマリさんは17歳で高校を中退し、単身イタリアに渡り、美術史と油絵を学んだ。一見無謀に思えるが、人生を振り返ったときにあの経験が重要だったと振り返る。
書籍『座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65』よりカエサルの名句を引用し、人生における挑戦の重要性について解説する。
パリ市のモットーに学ぶ
ラテン語 開高健がよく使っていた言葉に「漂えど沈まず」もあったそうですが、これはパリ市のモットーであるfluctuat nec mergitur「たゆたえども沈まず」に似ています。
ヤマザキ 開高さんは、格言の引用が大好きな人ですね。コピーライターという仕事をしていたことを踏まえると納得できます。荒波が多くてうまく舵は取れないけれど、沈むことはない。しぶとさ、生命力を感じさせる格言ですね。パリという街らしい粋なモットーですが、そもそもの由来は何でしょうか?
ラテン語 いろんな説があるんですが、中世に教皇が書いたラテン語です。神聖ローマ帝国※1のフリードリヒ2世※2がカトリックの国と戦争をしていた時に、教皇が「カトリックという船を攻撃しても無駄である。揺れはするけれど、その船は決して沈まないのだから」と、そういう意味で使ったのが最初で、それがパリ市のモットーになったんだと思います。
ヤマザキ 歴史の質感を感じさせるセンスが素晴らしい。これを引用する開高さんもだけど。
ラテン語 モットーにしているのはフランスのパリ市ではありますが、ヤマザキさんが住んでいるイタリアの都市にも、荒波に揉まれながらもたくましく存続する歴史ある街というイメージはありますか?
ヤマザキ 古代ローマは建国時から1000年の間、歴史に残り続けるような戦争がいくつも起きていますし、あらゆる激動を乗り越えてきた国家です。
最後はまあ、沈んでしまうのだけれど、そんな古代ローマに関して言えばdum vivimus vivamus「生きている間生きようではないか」のような言葉に通底するものを感じます。
ルビコン川を渡れ
ラテン語 続いては、iacta alea est「賽は投げられた」です。「賽は投げられよ」という命令形のギリシャ語のことわざがもとだと考えられていて、それをカエサルが使った。ルビコン川※3を渡ってイタリアに侵攻する。つまり元老院に盾突く。その決断の際の言葉です。
ヤマザキ 古代ローマという歴史を語る上ではあまりにも有名な言葉、有名な場面です。「賽は投げられた」という言葉そのものの含意よりも、カエサルの踏み切った行動が重要と言えるでしょう。
ラテン語 引き返さない決断。
ヤマザキ 一線を越えた、ということですよね。
ラテン語 英語でもcross the Rubiconという表現は「後戻りができない決断をする」という意味になります。ヤマザキさんのイタリア行きはまさにこれだと思うのですが、いかがでしょう?
ヤマザキ 確かに賽が投げられた感、ありましたねえ。片道航空券でしたから、飛行機に乗った瞬間に「もう簡単に日本には戻れないのだなあ」という感慨を抱きました。
行ったら行ったで最初の頃はカルチャーギャップに本当に苦しめられましたけれど、辛さに耐えかねて「やっぱりダメでした」と、さっさと帰ってしまっても、残る後悔に苦しめられそうだなという思いもありました。
でも人生においては、そういう一線を越える瞬間が必要なんじゃないかと思いますよ。そういう思い切りを持たないと開いていかない人生もありますから。ラテン語さんもないですか? 絶対にありますよ。
ラテン語 私にとっては最近のことかなと思います。今は会社に勤めていますが、そろそろ辞めて、ラテン語さん一本でやっていく。会社員の安定を手放す。ルビコン川が近づいてきました。
ヤマザキ すごい、ラテン語さんの緊迫感が伝わってきました(笑)。ルビコン川を渡ることで、人はそれまでの馴れ合いの環境に甘え続けていられないという責任感を抱くことになる。人が成熟する上で欠かせない感覚でしょう。カエサルのこの言葉が歴史に残ってきたのは、やはりどの時代の人も一線を越える勇気と必然性というのを感じてきたからなのではないでしょうか。
自らの成熟のために
ラテン語 1作目の『世界はラテン語でできている』を発表した後、ラテン語さんとして生きていくという思いが強くなり、それまで公開してこなかった自分の顔をメディアに出すという決断もしました。
本を出すまでは顔出しNGと編集者に伝えていたのですが、顔を出したほうが認識されやすい部分もあると思い、加えて顔出しを求めるメディアが多かったこともあって、やっぱり出すことにしたんです。
確かにそれは大きな決断であり、怖く思う気持ちもあったんですが、今では出して良かったと思っています。読者から反応があったし、おかげでいろんなメディアに呼んでもらえました。
ヤマザキ 賽を投げられて次なる展開に差しかかるわけですが、そこには充足感も伴うということですよね。
ラテン語 そうですね。いよいよこれから先も、ラテン語さんとして生き続けなければいけない。その思いが強くなりました。
ヤマザキ 自らの成熟のためにも良い決断だったのではないでしょうか。これからルビコン川を渡るラテン語さんには、miseris succurrere disco「私は不幸な人々を助けることを学んでいます」の格言について話していた時に言い淀んでいた、人に救われる経験というのも増えていくのではないでしょうか。
直接相対する人だけじゃなく、格言を通じて歴史上の偉人たちに救われることも、これから何度でもあると思いますよ。これだけたくさんの格言を知っていれば、ラテン語さんの前途は大丈夫ですよ。楽しみですね。
*注釈
※1 神聖ローマ帝国
962年にオットー1世がローマ教皇により戴冠してから1806年にフランツ2世が辞するまで長らく続いたドイツ国家。
※2 フリードリヒ2世
1194年~1250年(皇帝在位:1220年~1250年)。シチリア王でもありイタリア統一を目指したが実現せず。ローマ教皇と対立した。
※3 ルビコン川
アドリア海にそそぐイタリアの小川。カエサルが渡った時、本土と属州を隔てる境界線だった。
写真/shutterstock
座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65
ヤマザキ マリ、ラテン語さん
すべての悩みはローマに通ず
古代ローマを描いてきた漫画家と、気鋭のラテン語研究者。
ふたりが選びに選び抜き、語りに語り尽くしたラテン語格言の数々。
偉人たちの残した言葉の中に、人生に効く至言がきっと見つかる。
libenter homines id quod volunt credunt
人は自分の信じたいものを喜んで信じる
カエサル『ガリア戦記』
dimidium facti qui coepit habet
物事を始めた人は、その半分を達成している
ホラーティウス『書簡詩』
amicus certus in re incerta cernitur
確かな友情は不確かな状況で見分けられる
キケロー『友情論』(エンニウスの言葉)
……など65点を紹介。
※この対談は本書で初公開の語り下ろしです※
ホラーティウス、キケロー、ウェルギリウス、プリニウス、セネカ、カエサル……。
ローマ人の残した言葉を、二人が読み解いていく、スリリングな対談。
また、古代ローマ時代より後に生まれたラテン語も多数扱う。
二人はどんな時に、どんなラテン語に救われたのか。
創作の裏側にもつながるエピソードも多数明かされる。
はじめに ヤマザキマリ
第1章 人生と友情
第2章 芸術家のエネルギー
第3章 恋愛指南
第4章 ラテン語の表現世界
第5章 生き方について
第6章 為政者たちのラテン語
第7章 歴史の教訓
おわりに ラテン語さん