
3月31日より放送開始する春の連続テレビ小説『あんぱん』のモデルの一人であるやなせたかし。国民的キャラクターになった「アンパンマン」は今や、国際的に見ても大きな市場規模を持っている。
日本の乳幼児がターゲットなのに、世界で6番目に…
「世界で6番目に稼いでいるキャラクター、それがアンパンマンです」
そう述べるのは、東京科学大学教授の柳瀬博一氏。柳瀬氏は先日『アンパンマンと日本人』を上梓し、乳幼児からこよなく愛されているアンパンマンの人気の秘密をまとめた。
「アメリカの金融会社『TitleMax』が、2018年までの世界のキャラクタービジネスの規模を累計したランキングで世界で最も稼いだIP(知的財産)のランキングを発表しているのですが、アンパンマンはなんと第6位です。
あくまでも人気の目安ですが、アンパンマンがキャラクタービジネスとして強い力を持っていることは確かです」(柳瀬博一氏、以下同)
実際、推定されるアンパンマンの市場規模は約7兆円。特徴的なのは、そのニーズとなる年齢層だ。
「アンパンマンは、日本の乳幼児のシェアが異様に高いのです。私の勤務校でアンケートを取ってみたところ、2000年代生まれの学生の87%がアンパンマンユーザーでした。
残りの1割はおそらく親がアニメを子どもに見せない層とアンパンマンが放送されていない外国からの留学生でしょうから、日本の乳幼児のほとんどがアンパンマンを通っているといっても過言ではないでしょう」
逆に言えば“日本の乳幼児”だけが見ているにもかかわらず、世界的なキャラクタービジネスの規模になっているのがアンパンマンなのだ。
ディズニー以上のキャラクターになるかもしれない
一方で、気になるのは海外進出。アンパンマンが海外展開をはじめたのは2010年代半ばからと他のキャラクターと比べて、遅れをとっていた。
そのためポケモンやサンリオに比べると、まだまだ進出は進んでいない状態だ。そもそも海外ではパンの種類として“アンパン”が一般的でないこともあり、進出は厳しいという声もあるが……。
「まだ未知数ですが、僕はこれからアンパンマンが本格的に海外進出したら、とてつもなくブレイクする可能性があると思っています。
というのも、アンパンマンが日本で人気なのは、カルチャーではなく“ネイチャー”に働きかけたからです。スーパーマンなどのアメコミヒーローは、アメリカのカルチャーを理解していないと楽しめない部分がありますが、アンパンマンは乳幼児の生理的な部分であるネイチャーに働きかけてるんです。
進化生物学者の岸由二さんによれば、子どもの成長過程において、視覚情報の処理や吸収の仕方は明確に決まっているといいます。
人間は他者の顔を認識することが生存条件なので、子どもは丸くて目が2つあってニコニコしている顔を優位に汲み取るといわれています。
それと、子どもは多様性が好きなんです。同じ形だけど違う種類を持つものにとても反応する。昆虫図鑑に夢中になるようなものですね。
アンパンマンは3頭身をベースにしながらも、なんと2300種類以上ものキャラクターがいるんです。ギネス記録にも登録されていますが、まさに子どもの好きな条件を兼ね揃えている。
1990年代以降、世界トップのキャラクタービジネスに上り詰めたポケットモンスター=ポケモンと似ていますね。ポケモンも1000を超えるキャラクターが存在し、生き物を採集して愛でたり、友達同士で戦わせたり、という狩猟採集民としてのネイチャーに訴えかけた。
ですから、どんな国の子どもでもアンパンマンを楽しめる可能性があります」
アンパンマンは現在、中国を手がかりに海外進出を行なおうとしている。
「中国での成功によっては、アンパンマンがディズニー以上のキャラクターになってもおかしくないと思います」
「気持ち悪い」「くだらない」…当初は散々だった評価
そんなアンパンマンだが、誕生までにはさまざまな試行錯誤があった。
一般的に、今の形のアンパンマンがはじめて登場したのは1973年に発売された絵本『あんぱんまん』だといわれている。
しかし、アンパンでできた自分の顔を人にちぎって食べさせ、顔が半分のまま空を飛んでいるビジュアルは強烈そのもので、最後には顔を全てあげてしまって、首なしのまま空を飛ぶ描写さえあった。
「当初、編集者や幼稚園の先生、評論家など『児童書のプロ』たちからの評判は『気持ち悪い』とか『くだらない』など、散々なものでした。人間にとって顔はアイデンティティですから、顔が食べられてなくなっちゃうなんて気持ち悪いに決まっていると生理的に思うわけです。でも、そのちょっと奇想天外で一見グロテスクな感じがむしろ子どもにはウケたんですよね」
大人からの評判をよそに、『あんぱんまん』は幼稚園や保育園で子どもたちからの人気が高まっていった。それに合わせて、キャラクター造形なども乳幼児に向けたものに徐々に変わっていった。
1980年代後半、絵本の世界でのアンパンマンの人気を見たテレビ局が、やなせにテレビアニメ化の話をもちかけ、1988年に放映が始まったのが、日本テレビでの『それゆけ!アンパンマン』だった。アンパンマン人気が磐石となったのは、このアニメの影響が大きかったという。
「ある病院の看護師さんに聞いたことがあるのですが、注射を嫌がる子どもがいてもアンパンマンを見せるとピタッと泣き止むそうなんです。1988年以降、子どもがいる日本の家ではアンパンマンのグッズが知らないうちに増殖していきました。
アンパンマンに流れるやなせたかしの「正義」
さらに、柳瀬氏が指摘するのは、アンパンマンが持つ「哲学」を知ると、より作品を楽しめるということだ。
「最初の絵本を出したあと、やなせさんは『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』(1977年)という作品を描いています。ここでアンパンマンは、自分自身がなんのために生きているのか、自問自答します。今のアンパンマンはむしろ“悩まない存在”として描かれていますが、最初はきわめて人間らしい姿で描かれていました。
実はこの問いはのちに『なんのために生まれて なにをして生きるのか』という、アニメ主題歌の『アンパンマンマーチ』の歌詞になっています。現在のアンパンマンには、こうしたやなせさんの『哲学』の核が今も中心にあります」
さらに、アンパンマンの中には“アンチスーパーマンの思想”が流れているともいう。
「アンパンマンの造形自体がスーパーマンを喚起させるもので、やなせさんはかなりスーパーマンを意識していました。
さまざまな媒体、場所で、マンガとしてのスーパーマンを称賛しつつ、一方でそれが持つ『揺るがない正義感』は徹底的に嫌っていたんです。アンパンマンの着想が見られる作品の中には、スーパーマンを揶揄するようなものもあります。
というのも、戦争を体験したやなせさんは、『正義』が社会の変化でいとも簡単に変わることを知っていました。だからこそ、アンパンマンは何か特定の正義を振りかざすのではなく、ただ飢えて困っている人にアンパンでできた自分の顔を分け与えます。
どんな国に生まれようとも、どんなイデオロギーのもとにいようとも、飢えている人に食べ物をあげる、ということは、人間という生き物にとってもっとも普遍的で絶対に揺るぎのない『正義』だとやなせさんは確信していました」
『アンパンマンと日本人』では、アンパンマン誕生に至るまでのやなせの人生や作品、そしてアンパンマンがどう人気を博していったのかが丁寧に紹介されている。
「アンパンマンが今のキャラクターになるまでには、子どもが好きなキャラクターを模索しつつ、同時に人間にとって正義とは何かを考え続けたやなせさんの試行錯誤がありました。
朝ドラ『あんぱん』が放映される2025年は、子どもだけでなく大人人気やさらなる海外進出が発展するメモリアルイヤーになるのかもしれない。
#2 に続く
取材・文/谷頭和希
アンパンマンと日本人 (新潮新書 1080)
柳瀬 博一